表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/22

18「重ね重ね……、感謝申し上げます」


「あくまで仮説だけどな。そのへんの事は専門の奴らがちゃんと見たら分かるんだろうけど……」

 屈み、莉功は槙の身体に目を凝らした。

 そのうちに、制服姿の壱班の者達がやってきた。周囲の者達はその制服姿を目にとめ、やや慌てた足取りで去って行く。しかし壱班は彼らには目を留めず(姿を記憶するくらいの事はしただろうが)こちらに向かってくる。

 先頭に立つ男は莉功と同輩の者だ。紫呉も数回、任を共にした事がある。彼も莉功と同じく、乾壱班の部隊長を務めていた。名は、彰司しょうじという。

 彰司は長い前髪の奥から、莉功を窺った。

「やーん、彰司くん睨んじゃいやー」

「うるさい、ふざけてる場合か。それに睨んでない」

 彰司は実に鬱陶しそうに言った。紫呉の姿を見とめ、軽く会釈してくる。

「莉功の部下からだいたいの話は聞いている。君と彼が諍う最中に彼が悶絶しだし、そして死亡した。彼の取り巻きは逃げた。莉功の部下が追ったが、まだ捕らえてはいない。間違ってはいないかな?」

「はい」

 紫呉は立ち上がった。彰司の部下が矢立を取り出し、書付の準備をする。

「彼と、君の面識は?」

「僕が用心棒を勤める店に、……ああ、これは弐班の任の一環と思ってください」

 正確には弐班の任ではなく、鳥獣隊の任の一環だ。しかし彰司は鳥獣隊の存在を知らない。紫呉の本当の名も知らない。

「僕が用心坊を勤める店に、彼がやってきました。お帰り頂いたのですが、どうやらその件で恨まれてしまったようでして。槙は僕を誘き出して、喧嘩をふっかけてきました。彰司殿もご存知頂いているかと思いますが、彼は最近愛染街を闊歩する荒くれ者たちの一人です」

「ああ、その件に関しては俺も聞いている。そうか、彼がその……」

 彰司は槙の側に屈んだ。莉功は彰司の部下から行灯を受け取り、彰司が見やすいように槙の姿を照らしてやっている。

「窒息死にみえるね」

「ええ。槙は僕と諍う最中に、突然発作を起こしたように見えました。泡を吹いて、痙攣して、そして息絶えた」

「それだけ聞くと、薬物の急性中毒に思えるな……」

 彰司は顎に手を添え、難しい顔をしている。

「まあ、決め付けるのは早計だけれども。遺体は持ち帰って、解析班に調査を進めてもらおう」

 言いながら、彰司は槙の袂に手を入れる。ごそごそと漁り、取り出したものは薄い紙の包みだった。

 それを開ける。中から現れた白い粉に、彰司はやはりと言いたげな顔で、莉功と顔を見合わせた。

 阿片だ。中毒と決めつけるのは彰司も言うように早計だろうが、その可能性は高いだろう。

 彰司の部下達が、槙の身体を布で包んで担架に乗せた。

「じゃあ、俺は戻るよ」

 彰司は制服の洋袴の裾を払い、立ち上がった。

「はい、彰司くん」

「何だ」

 挙手した莉功を、彰司は疎ましげに見やった。この二人、仲が悪いわけではないのだろうが、どうにも険悪な空気が漂っているように思える。気心が知れている故の険悪さなのかもしれないが。

「俺の部下がさ、槙の取り巻き追ってんだよね」

「ああ、まだ捕らえていないみたいだな」

「そうなんですよ。なのでまあ、俺も捕まえに走ろうかと思うんだけど、良いかしら?」

「いちいち俺に聞く必要はないだろ」

「もー、彰司何で今日そんな冷たいんだよー、前髪長いくせにー」

「俺はいつもと変わらないし、前髪は関係ない」

「……あの」

 言い合う二人に、紫呉はやや及び腰に呼びかけた。揃ってこちらを向いた二人に、何となくぎくりとしてしまう。

 紫呉はひとつ咳払いをしてから続けた。

「例の逃げたその二人なのですが……、僕が槙を手にかけたと思っているようです」

 殺しやがった、と昭夫は言っていた。

「僕に喧嘩を売るにあたって槙たちは情報屋を雇っていたみたいでして、僕が乾弐班の紫呉翔太だという事は彼らに割れているんです」

 その事で紫呉個人に何か害が及ぶのは構わない。だが、紫呉が『乾壱班の紫呉翔太』である、という事を知られている事で、乾壱班に害を及ぼしてはまずい。

 何しろ、昭夫たちは紫呉が槙を殺したと思っているのだ。それを言い触らされたらでもしたら、きっと壱班に迷惑をかけてしまう。可能な限り、早く捕らえたい。

「できれば僕も、莉功殿と共に彼らを追いたいのですが……」

 ここは参考人として彰司と共に戻るのが筋なのだろう。しかし戻ったところで、今と同じ供述をするだけだ。今述べた事柄は全て書付けられているし、同じ供述を繰り返そうとも新しい発見も無い気がする。ならば足働きで害を振り払う方が、得策のように思えるのだ。

 彰司は腕を組み、悩む様子を見せた。だがやがて力強く頷き、紫呉に視線を合わせた。

「分かった。だが朝になったら、一応は壱班に顔を出してくれないか」

「はい。ありがとうございます」

「あと、逃げた二人の特徴を教えてくれ。俺も部下を数名残していく。それに、応援を募ってみるよ」

「重ね重ね……、感謝申し上げます」

 紫呉は深く頭をさげた。

 昭夫と浩志の特徴を伝え、似絵を作成してもらった。あっという間に特徴を捉えた似絵が出来上がる。

 担架を運ぶ彰司たちを見送る。莉功に肩を叩かれ、紫呉は仰向いた。

「んじゃ、俺はこのまま南に足伸ばしてみるよ。お前さんは橋付近から華芸町の方見てみてくんねえかな」

「はい。お気をつけて」

「お前さんもな」

 莉功はひらりと手を振り、歩みだした。紫呉もまた、莉功とは反対の方向へと足を踏み出す。

 来た道を引き返し、南方から遠ざかる。表通りが近づくにつれ、愛染街の華やいだ空気が肌に感じられた。南方はどこか薄暗く重苦しい空気を漂わせている。道行く人々も口数少なく、あからさまに物騒な気配が立ち込めている。だが背後に在る重い空気は、次第に色濃くなる脂粉の香りにかき消されていくようだった。

 小道を抜けた途端、喧騒がわんと耳に響いた。普段は厭っているはずの甲高い客引きの声や酔漢の言い争う声が安堵を引き連れてくるようで、何だか不思議な心地を覚えた。

 さて、どうするか。人ごみを掻き分けながら紫呉は考える。

 このまま無闇に探し回ったところで、昭夫たちを見つけられるとは思えない。とはいえやみくもに聞きまわるのもいけない。それは探している、と告げて回るのと同義だ。

 ふ、と浅葱の顔が脳裏によぎる。浅葱ならば有益な情報を持っていると思った。

 だが、浅葱から昭夫たちの情報を買う事はつまり、紫呉が昭夫たちを探しているという情報を浅葱に売る事だ。金次第で黙秘を約してくれるかもしれないが、紫呉が払った以上の金を積まれればきっと、浅葱は紫呉を売る。

 それ自体は構わない。情報屋と繋がりを持つという事は、つまりはそういう事なのだ。正直なところ構わないと言い切れない心の淀みを感じはするが、今は構わないと思う事にしておく。

 問題は、仮に浅葱からうまく昭夫たちの情報を買えたとして、すぐさま昭夫たちを捕縛できるのか、という事だ。

 浅葱は昭夫たちと繋がりを持っている。その事は先程身をもって知っている。紫呉が浅葱を頼れば、すぐさまにその情報が昭夫たちに売られるかもしれない。

 となると、昭夫たちを逃がす可能性を高めてしまう。それは喜ばしい事ではない。

 他の情報屋を頼る手もある。だが今までの経験上、一番信憑性の高い情報を売ってくれたのは浅葱なのだ。

 紫呉は唸りを飲み込んだ。こうして悩み迷う事は、昭夫たちに逃げる時間を与えているのと同じだ。

 己の足だけを頼りに探し回る時間の無駄と、情報屋を頼る危険リスク。どちらがより損益を増やさずにすむのか。

 考えるうちに、いつしか紫呉は歩みをゆるめていたらしい。後ろを歩いていた男が、背にどんとぶつかってくる。

 咄嗟に謝ろうとした紫呉だったが、すぐにその謝辞を飲み込んだ。赤ら顔の酔漢は紫呉の手首を掴み、何やら早口に捲くし立ててくる。

 これだから酔っ払いは嫌いなのだ。紫呉は酒臭い息から逃れるように顔を背け、とりあえず売り物ではないことを告げる。

 だがそれでも男は汗ばんだ手を離してくれない。いい加減鬱陶しくなって、紫呉は空いた手で男の手を捻りあげた。

「僕は急いでいるんです。邪魔をするなら潰しますよ」

 苛立ちに任せて言葉を吐く。痛みに喚く己の声にかき消され、紫呉の声は男の耳に届いていないようだった。

 手を離し、紫呉は小道に逃れた。

 男のおかげで、心は決まった。街をうろつき馬鹿に絡まれ時間を浪費するよりも、情報屋を頼った方がきっと無駄も少ない。

 浅葱はもう園に戻っているだろうか。それともあの後そのまま、街を泳いでいるだろうか。

 どちらにせよ、園に向かわない事には話は始まらない。紫呉は先程辿った透蜜園への道を再度行く。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ