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12「……ありがとう。嬉しい」


 昼過ぎ、須桜は待ち合わせ場所へと向かった。高く昇った太陽はさんさんと夏の日差しを降らせ、肌に痛いほどだった。

 日傘でも差してくれば良かっただろうか。でも屯所には、もう辞めてしまった女性隊員が、昔使用していた古臭いものしか無い。

 そうだ。今日紗雪に見立ててもらおう。彼女の見立てなら趣味の良いものを選んでくれるはずだ。

 まあ、日傘など持っていても普段こうして遊びに出かける事は少ないから無意味かもしれないが。しかし手元に有れば嬉しいのも事実で、須桜は紗雪の来訪を心待ちにした。

 待ち合わせ場所の目印となっている石灯籠は木陰にあって、須桜はほっと息を吐いた。

 歩みを止めれば途端に汗が滲み出す。半襟を南京玉ビーズ仕立てのものに取り替えておいて正解だった。首周りがひんやり冷たいだけで随分と気持ちも違ってくる。

 やがて汗も引き、そよぐ風や木陰の冷涼な空気を楽しむ余裕も出てきた。行きかう人の中には風鈴売りや金魚売り、冷やし果売りの姿もあって、夏なのだなあとぼんやり考える。

 その中、少し小走りにこちらに駆けてくる紗雪の姿があった。

「ごめん、待たせた?」

「ううん、あたしも今来たとこ」

 良かった、と紗雪はきれいな刺繍のほどこされたハンカチで汗を拭う。

 いつも紗雪は好んで袴をつけているが、夏の暑さに辟易したのか、今日は薄墨色の薄物姿だ。大人びた雰囲気の彼女に良く似合い、すっきりと涼しげである。

 お太鼓に結んだ蛍の柄の総紗の帯。半襟にもさりげなく夏の花の縫取りがあった。

 こういった大人っぽい格好は須桜も憧れるところである。が、自分が大人びた着物を身につけたところで似合わないのは決まりきっているのだ。背も低いし、顔立ちも幼いし。

 今はまだ十七だから、膝丈の着物も半幅帯も飾り兵児帯も違和感がない。しかしもう少ししたら年不相応になってしまう。その時、自分に似合うものはあるのだろうかと、須桜は少し不安に思ったりもする。

 でもまあその際は、紗雪に聞いて似合うものを選んでもらえたらなあ、とも思っている。

 それまで、彼女との交友関係が続いていたらの話だが。

 並んで二人は歩きだした。目指す先は永年坂と呼ばれている通りで、その通称の通り、緩やかな勾配が終わりの見えぬほどに延々と続いている。その両脇には数々の店が並び、一軒一軒覗いていれば一日では足りないだろう。

「どうしたの、それ」

 と、須桜は紗雪の手首に巻かれた包帯に目を止めた。

「ああ、これね……」

 紗雪は苦々しい顔でそこを押さえた。

「今日の実戦稽古でちょっとね……」

「大丈夫?」

「うん、ありがと。そんなに痛くはないんだけど、痣がやけに目立つのよね」

 だから隠してるの、と紗雪は手をぷらぷらと振って見せた。

「実戦稽古かあ。頑張ってるじゃない」

「まあ、私にしたらね」

 紗雪の目指す瑠璃七官は、大学の課程を終えた者のみに受験資格を与えられる。紗雪はその大学に入る為に私塾に通っているのだが、私塾では数々の分野に及ぶ座学の他に、実戦の稽古も行っていた。

 大学の試験は座学・実技の二つだ。座学の方は、紗雪は驚くほどに優秀である。

 だが実技がどうにも駄目だ。時折須桜も紗雪に稽古をつけるのだが、紗雪は武具の扱いに慣れていない。不慣れなばかりでなく、武器を手に向かい合うのが怖くて、苦手だと言っていた。

 だが最近はその苦手を克服しようと、以前よりもずっと努力しているようだった。稽古をつけてくれ、と頼まれる回数も増えた。

 あんまり無茶はしない方が、と心配する須桜に、紗雪は黒官目指してるんだからと笑ってみせる。黒器作ろうとしてる人間が武器を扱えなきゃ駄目でしょ、と。

 虚勢を張っているのだと青い顔から見て取れる。だがその虚勢は、須桜の目に好ましく映った。

 夢に向かって努力している紗雪を、須桜は凄いと思っているのだ。

「さて、どうしよっか。須桜、何か欲しいものある?」

「んとね、日傘。紗雪に良いやつ選んでほしいの。紗雪は何か見たいのある?」

「んー、特にこれって決めてはいないんだけど……。可愛い半襟とか帯揚げとかが欲しい、かしら」

 日傘ね日傘、と口の中で呟いて、紗雪は首を傾げ、しばし考える素振りを見せた。

「坂の上の方に結構良い店あったかしらね。ちょっと歩くけど良い?」

「うん、それは全然!」

 昼過ぎの坂は暑い。だが人通りは多く、辺りは活気づいて賑やかだった。

「しかしあっついわねー。髪留め買おうかしら」

 赤銅色のおろし髪をかきあげ、紗雪はうんざりとした声で言う。

「暑いの嫌い?」

「嫌い。寒いほうがまだマシ。だって夏ってあいつも出るじゃない」

「あいつ?」

「ほら、あいつよ。黒くてすばしっこくてぬるぬるしてる……」

「紫呉のこと?」

「あんた紫呉のことそんな目で!?」

 紗雪の強い口調に周囲の目が集まる。はっとして紗雪は首を竦め、呆れた顔で須桜を見た。

「……じゃなくて、あいつよあいつ。ゴから始まるあいつ。あーもう、名前出すのも嫌」

 紗雪は己の両腕を抱え、ぶるっと身を震わせた。

 ああなるほどあいつか、と須桜は得心した。

「まあ見て気持ち良いもんじゃないけど」

「須桜は平気なの?」

「んー、平気は平気よ。好きじゃないけど」

「やだやだ想像しちゃった」

 紗雪はまた身を震わせた。想像を打ち消すように、ぶんぶんと大きく首を振る。

「確かに暑いのはあたしも嫌だけどね。紫呉の寝床もぐりこんだら蹴り出されるし」

「……やめなさいよ」

「こないだも怒られたの。失せろ雌犬って言われちゃった」

「……もうやめときなさいよ……」

「冬場はねえ、押し出されるくらいで蹴られはしないんだけど。あの子暑いと機嫌悪いから」

 最近機嫌が悪い理由は、暑さだけではないのだろうが。脳裏にちらつく金の髪と紅緋の目は、須桜の神経だって尖らせる。

「……そう」

 額を押さえ、紗雪は俯いた。眩暈でもしたのだろうか? こうも暑いと無理もない。朝からの実技稽古で疲れもあるのだろう。

「ね、お店行く前にどっかでお茶しない? 暑いし」

 げんなりした顔の紗雪を気遣い、須桜は彼女の袖を引いて提案した。良いわね、と頷いた紗雪は尚も少し疲れたような様相をしていたが、その提案に反対は無いようだった。

 坂の中ほどには、多く茶屋が並んでいる。ちょうど坂を上るのに疲れてくる頃合なのだ。どの店も盛況していた。

 手近な一軒の暖簾をくぐる。店の中庭に面した席に案内された。中庭には小さな池があって、竹筒を伝いそこに流れ込む水が、耳に涼やかさを運んでくれた。

 注文を済ませ、一息つく。紗雪は汗で首筋に貼りつく髪を、疎ましそうに手で払っていた。

「纏めてくれば良かったわ。……あ、そうだ」

 と、紗雪は袂から何かを取り出した。

「これ、須桜にと思って」

「あたしに?」

 きれいな結紐だった。若紫色を基調に、所々濃紫や銀の糸が織り込まれている。

「うん。見かけて、似合いそうだって思って、思わず買っちゃったの。それにあんた紫好きでしょ?」

 確かに好きだ。だって主の名にもある色なのだし、嫌いなわけがない。

「でも、良いの?」

「むしろ貰ってくれなきゃ困るわよ。私にはそんなふんわりした色、似合わないし」

「えと、じゃあ、何かお返ししたい。させて?」

「良いわよそんなの。見返り目当てで買ったんじゃないし。良いから貰っときなさいよ」

 紗雪は半ば押し付けるようにして、それを須桜の手に握らせた。じっと結紐を見つめていた須桜だが、やがてそれをぎゅっと握りしめ、顔をほころばせる。

「……ありがとう。嬉しい」

「どういたしまして」

 紗雪は髪をいじりながらそっぽを向いた。照れているようだ。

 嬉しかった。そしてやっぱり、好きだなあと思った。胸の奥がほっこりとあたたかくなるようで、何だかくすぐったかった。

「ありがとう。何か、使うの勿体ないや」

「使わなきゃもっと勿体ないわよ。ちゃんと使いなさいよ?」

「うん」

 大事にするね、と告げると、紗雪はぶっきらぼうにはいはいと返事した。思わずくすりと笑みを漏らす須桜を、紗雪はむっとした顔で睨んでくる。それがまたおかしくて、須桜はくすくすと笑った。

 そうだ、今度こっそりと紗雪に似合いそうな髪留めを買って贈ろう。喜んでくれるだろうか。驚いて、喜んでくれたなら、きっと自分もとても嬉しい。

 心の底から嬉しさと楽しさが込みあげてきて、何だか泣きたいような気持ちになる。

 胸が痛む。

 ごめんね。

 騙していてごめんなさい。

 自責が重く圧し掛かる。

 苦しかった。


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