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11「じゃあ、ま、とやかく言わねえけど」


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 その日、須桜は朝から浮き足立っていた。鼻歌まじりに屯所の庭の朝顔に水をやる須桜を、影虎は珍獣か何かを見るような目で眺めてくる。

「何よその目」

「……お前が機嫌良いと、紫呉がまた被害に遭ったんじゃねえかと思ってさ」

 洗濯物を干しつつ、影虎は半眼で失礼なことを言ってくる。その声が少し嗄れているのは、先日例の店でお仕事をした時にずっと裏声でいたからだろう。かく言う須桜も少し喉が痛かった。だみ声を出すのも楽じゃない。

「別に何もしてないわよ。夜着脱がしただけ」

「そうだな、何もしてないな」

「いたっ」

 すこんと脳天に手刀を落とされる。

「だって寝苦しそうだったから」

「そうだな、最近暑いからな」

「脱がされて困るならいっそ着なければ良いじゃないたい痛い痛い、痛いってば!」

 すこんごすんずがんと立て続けに手刀を落とされ、須桜は涙目で影虎の攻撃範囲から逃れた。

「もうっ、縮んだらどうするのよ!」

「んー、青生が身長伸ばす薬とか開発しだすんじゃね?」

「……ぜったい嫌」

 兄の高笑いが耳に蘇る。ついでに傷の痛みもぶり返すようだ。全く、傷そのものよりも治療薬による治療の痛みが痛いだなんて、馬鹿げている。

「で?」

 よっこいせ、と気の抜けた掛け声で洗濯物の入っていた籠を抱え上げた影虎が、問いながら須桜を見おろす。

「何でそんなに機嫌良いんだよ。脱がす以外にも何かしたんじゃねえの?」

「してないわよー。信用無いわね」

「そりゃ自業自得だ」

 室内へと向かう影虎の背で、前掛け(エプロン)の蝶結びがひらひら揺れた。フリルがたっぷりとついた装飾過多なそれは、春に須桜が紫呉にと思って買ったものなのだが、いつの間にやら影虎の物となってしまっている。

 須桜は手桶と柄杓を元の位置に戻し、影虎の後を追った。

「今日ね、紗雪と一緒に買い物に行くの」

「ああ、それで」

「うん。久しぶりだからすごい楽しみ」

 お茶をしたり、紗雪が弐班に訪ねてきてくれたりと、そういう事は春以降も何回かあった。だが、買い物に行くのは随分と久しぶりだ。

 籠を直す影虎は、どことなく複雑な表情を浮かべていた。何か言いたげに難しい顔で眉を寄せている。

「大丈夫よ」

 影虎の言いたいことは分かっている。だから、言われる前に須桜は言った。

「大丈夫。紗雪に、吉村楓の事は悟らせない」

 生前、吉村楓と紗雪は仲が良かった。楓がもう死んでいるのだと知ったら、紗雪は哀しむに違いない。

 しかも、紫呉に殺されたのだと知ったら。

「……お前は平気なのか?」

 神妙な影虎の声に、首を傾げる。

「平気か?」

 重ねて、影虎は言った。

 じっとこちらを見る桃色の瞳は真摯だ。

「……平気よ。あたしだって嘘つくのには慣れてるわ。影虎ほど上手くないにしてもね」

 影虎はまだ何か言いたげにこちらを見ていたが、やがて目を逸らせて、呆れたように嘆息した。

「じゃあ、ま、とやかく言わねえけど」

 そうは言うものの、わさわさと髪を掻いているその横顔はまだ何か言いたげだった。

 言い足りない影虎の気持ちは分かる。平気だと強がったものの、須桜は内心不安だった。

 いや、不安というよりも、後ろめたい。

 友を騙すのだから。

 以前、里炎党の一件の時だって紗雪を騙していた。騙し、利用していた。

 その最中だって、須桜は苦しくてならなかった。

 だって紗雪は須桜にとって、初めて出来た同性の友人だ。

 影亮は良くしてくれる。でも友ではない。血のつながりは無いが、姉のような存在だ。きれいで強い彼女は大好きだし憧れているが、でもやっぱり友達ではない。

 雪斗だって友である事には変わりない。大事な友人だと思う。だけど異性である彼には、やはりどこか遠慮してしまう部分もある。

 それに茶屋を巡ったり、小間物屋を覗いたり、着物や化粧品や装飾品のことではしゃいだり。そういう楽しみは同性の友ならではだと思うのだ。

 だから、紗雪といられるのはとても楽しい。楽しくて嬉しい。

 同時に怖い。彼女が大事で、好きで、失いたくないから、怖い。

 須桜は影虎に悟られないよう、こっそりと息を吐いた。

 騙すと決めた紫呉の決断は正しい。仮に自分が彼の立場でも、きっと同じ事を言ったと思う。

 それでもやはり、後ろめたい。

 黙秘は卑怯な選択肢なのかもしれない。

 でも、それでも。傷つけずに済むのなら。

 ついに溜息が漏れた須桜は、はっとして口を押さえた。それ見た事か、と言いたげな顔で影虎は目を眇めている。

「行かなきゃ良いんじゃねえの?」

「…………でも、会いたいってのも、あるもの」

「……ま、精々うまくやれよ」

 少しばかりの皮肉と心配を同時に声に滲ませて、影虎は須桜に背を向けた。朝食の準備をしに厨房へ向かう。

 その背を見送り、須桜は紫呉を起こしに彼の部屋へ足を向けた。

 まだ寝ているだろうか。もしかしたら須桜より先に、黒豆が彼を起こしにいっているかもしれない。

 そう思っていた矢先、りん、と軽やかに首の鈴を鳴らして黒豆が須桜を追い抜かす。しなやかに揺れる尻尾が、どことなく得意げだった。




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