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10「汚い手」


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 文机に頬杖をついて、日生加羅は少し前の出来事に思いを馳せる。

 あれは一月と少し前、澪月の頃の話だ。祭の準備に慌しい瑠璃の里の片隅で、加羅は吉村楓と顔を合わせた。

 楓は加羅の姿を見とめるなり、にこりと愛らしい笑みを浮かべた。親指には血の滲んだ包帯が巻かれている。

「こんにちは」

 楓の声は明るい。少し痩せただろうか。その所為か、大きな目が一層大きくぎらついて見えて、どこか薄ら寒いような感じを覚えた。

 軽く手を挙げて挨拶に代え、加羅は腕を組む。興奮した様子で近況を語る楓を、土蔵の壁に背をもたせかけてぼんやり眺めた。

 楓は加羅に従順だった。手紙を書けと言えば、その通りに手紙を書いた。破天に入天しろと言えば、その通りに入天した。

「ねえ、次はどうすれば良いの?」

 幼い子供が教えをねだるように、楓は無邪気に問うてくる。

「……祭の当日、おれが彼を誘き出す。きみは破天の彼らと、行動を共にしていれば良い」

「分かった。そうすれば、拓也の仇が討てるのね」

「ああ」

 こくりと頷き、楓は単の上から懐をぎゅうと押さえた。そこには、加羅が与えた小刀があるはずだ。

 瀬川拓也の仇討ち。楓を突き動かすのはその思いばかりなのだろう。

 今もし、拓也を殺したのは彼――紫呉ではないと告げれば、楓はどんな反応をするのだろうか。

 加羅が、辰覇に命じて殺させたのだと告げれば、彼女はいったいどんな反応をするのだろうか。

 少しばかり興味が湧いた。しかし告げても何の益にもなりはしない。だから告げずにおいた。

 そしてもう一つ、興味が湧く。

 楓自身にだ。

 ここまで瀬川拓也を愛し抜ける彼女自身に、興味を抱いた。

 だからこそ、聞きたくなった。

「きみは、瀬川が何者かは知っているのか?」

 拓也が楓と出会う前、いったい何をしていたのか。楓は知っているのだろうか。

「知らないわ」

 にこりと笑う。

「知らないけど、良いの。関係ないわ。私は、拓也が好き」

 でも、と楓は言葉を区切る。

「何も知らないわけじゃないわ。拓也は、あなたと同じ手をしてた」

 すい、と楓はこちらに寄ってくる。にこにこ笑って加羅の手を取ったかと思えば、

「汚い手」

 まるで汚物を見る目で吐き捨てる。

「あなたの手は、人の命を奪った事のある手よね」

 楓の言う通りだ。この手は幾人もの命を奪ってきた手だ。刀を振るう事に慣れた手だ。手の皮は厚くなり、爪は欠け、傷痕は幾多にものぼる。

「瀬川と同じ手なんだろう?」

「そうね。でも拓也は良いの」

 楓は加羅の手を振り払った。

「私は拓也が好き。拓也を赦す理由なんてそれだけで良いわ」

「なるほど」

 加羅は唇に笑みを浮かべた。

「きみは、分かりやすくて良いね」

「ありがとう。あなたは、分かりにくい人ね。今も。気持ち悪い笑顔ね。嘘の顔よ」

「そんなことないさ」

「そう? なら、そう思ってるあなたは変ね」

 くすくすと笑って、そして、楓は長く長く息を吐いた。息を吐ききった彼女の顔からは、表情という表情が抜け落ちていた。

「それで、誘き出した後は?」

「その小刀で彼を刺せば良い。教えただろう? 簡単だ。両手で持って、体ごとぶつかる。それで大概の相手は死ぬさ。思っている以上に簡単にね」

「そう。簡単に死ぬんだね」

 拓也みたいに。

 呟いて、楓は笑う。涙を零しながら、笑みを浮かべた。

「でも、本当に殺せるの? あの人は、拓也を殺した人。なのに私が、そんなに簡単に出来るものなの?」

「出来るさ。おれがいる」

「なぁに、それ」

「だっておれは、彼の仇だから。彼は必ず、おれに気を取られる」

「……あなたは、彼の大切な人を殺したの?」

「ああ」

「……そう。ひどい人」

「そうだね。そして彼は、きみの大切な人を殺した」

「……そう、だ、ね。彼も、ひどい人」

「ああ」

「私も、彼を殺せば、ひどい人ね」

 楓は己の両手を見おろして、微笑んだ。

「私も人殺し。あなたと一緒ね。彼とも一緒。拓也とも一緒」

 まるで歌うように、楓は言う。大きく瞠った目から、ぼろぼろと涙が零れた。

 同情はしまい。それはあまりにも傲慢だ。こうなるよう仕向けたのは己自身なのだから。

「……それじゃあ、おれは行くよ。さようなら、瀬川楓」

「……残酷な人。……さよなら」

 別れを告げ、その場を去る。振り返りはしなかった。

 あの時、加羅は楓に嘘を吐いた。

 確かに紫呉は加羅に気を取られるだろう。隙は生まれるに違いない。

 だが紫呉ならば、己に刃を向ける楓を許しはしないだろう。必ず牙を剥く。楓の刃が彼に届く前に、楓は彼に屠られるだろう。

 その考えは半分当たって、半分外れた。紫呉は楓を斬った。だが、楓もまた紫呉を刺した。

 楓は最期に笑っていた。

 彼女は満足して逝ったのだろうか。仇を討てて。拓也と同じ手になれて。それとも、紫呉や加羅と同じ手になった己を嗤って逝ったのだろうか。

 知る由は無い。そしてそれを知ろうとするのもきっとまた、傲慢だ。

 障子越しに月明かりが射しこみ、加羅の姿を照らし出す。加羅は頬杖をやめ、背筋を正した。

 楓の刃が紫呉に届いたことは想定外だった。そんなにも、加羅に気を取られたのだろうか。

 それほどに、彼の怨恨は深かったか。

 それもそうかと加羅は嗤った。

 この手が彼の腹を刺した。この手で彼を斬った。この手で彼が師と慕った男の首を刎ねた。

 男の名は矢岳翔太といったはずだ。

 享年は二十五。乾弐班の班長を務めた男だった。

「……お兄ちゃん……」

 ふいに縁側から控えめな声が投げかけられ、加羅は腰を浮かした。

「……あの、ね……」

 障子戸を開けると、そこには四葉よつばがいた。彼女は、腕に小さな白い生き物を抱いていた。

「うさぎ?」

「……うん。……お父さんが、四葉にって……」

 九つになる彼女は、春日井竜造の愛娘だ。今日は、黒髪をお下げに結っていた。というのも、彼女の髪形は娘を溺愛する父の手によって毎日替えられるので、定まっていないのだ。

「……なまえ……」

 と、四葉は加羅を見上げる。その目は父譲りの明るい若草色で、竜造との血縁を感じさせた。

「おれがつけても良いの?」

 こくん、と頷く。

 加羅はかがんで四葉に視線を合わせ、四葉の腕の中の生き物に目を遣った。

 白くて小さな兎は、ひたすらに稚く愛らしい。兎の目といえば赤いものと思っていたが、彼(彼女か?)は黒い目をしていた。ひくひくと鼻を動かし、加羅の方をじっと見ている。

「……すあま?」

 いや、すあまだと白さしか表現できていないか。もっと、こう、白くて柔らかい感じの……。

「……豆大福……いや、白玉?」

「白玉…………」

 こくんと頷き、四葉は微笑んで兎こと白玉に頬をすり寄せる。

「……っ四葉あああ、お前はほんっと良い子だなあああ、若の変な感覚センスにもそんっな可愛い反応してえええ」

「……お父さん……、おひげ痛い……」

 どこからか湧いて出た竜造が四葉を抱きしめ、ぐりぐりと頬ずりした。

「よおーし、今日もお父さんと一緒にお風呂入ろうな! そーら高い高ーい、からのー、蜻蛉返りー、そしてお父さんの抱っこだー!」

 ぎゅー、と効果音を口にして竜造は四葉を抱きしめまくる。四葉が何も言わないのは、多分目を回しているからだ。

 瞬く間に娘を抱き去る竜造の背を、加羅は半ば呆れ交じりに見送った。

「若、良かったのですか」

「何がだ」

 竜造とすれ違った壬生辰覇は、その空色の瞳に僅かに呆れとも見える色を浮かべ、竜造の消えた方へと視線を送る。

「白玉で」

「……そんなに変か」

 ぴったりだと思うのだが。やはり豆大福の方が良かっただろうか。

「いえ」

 辰覇の感情が読めないのはいつものことなので、彼が納得したのか否かは分からなかった。

 まあ良い。

「朝には戻る」

 縁側から庭へと降り立ち、加羅は告げた。

「ならば私も」

「いや、一人の方が動きやすい」

 辰覇の随行を断り、加羅は手首の向陽に指先を触れさせた。瑠璃玉の数珠は月明かりを冴え冴えと反射させ、まるでそれ自体が光を放っているかのようだ。

「ご無事で」

「ああ」

 ひらりと手を振る。

 背に辰覇の視線を感じたが、加羅は振り返らず歩を進めた。


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