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1「お久しゅうごさいますね、次男殿」



 あなたが死ぬなんて絶対に嫌だと、声の限りに叫びたかった。

 叫んでも無駄だとは分かっていた。

 だって、翔太の首は既に胴から離れていたのだから。


◇◆◇


 花菖蒲の花弁の上を、玉の雫がつるりと滑った。葉に触れて砕けた雫が四方に散り、陽光をきらりと反射させる。

「お久しゅうごさいますね、次男殿」

 にこやかに笑って、加羅が言った。

「父の弔事以来……もう、六年にもなりましょうか」

 握った拳に更に力が加わるのを、紫呉は感じていた。

 そうか。表向きは、加羅が瑠璃を訪問するのは六年ぶりという事になっているのか。

(ぬけぬけと)

 先日も瑠璃に忍びこんでいたくせに。

 それに、二年前だって。

 ああ、そうだ。

 二年の昔、この男が、紫呉を斬った。

 この男が、翔太の首を斬り落としたのだ。

 今も目に焼きついている。翔太の首から血が噴出す瞬間。翔太の首が空を舞う瞬間。ゆっくりと傾ぐ翔太の身体。その向こうに立つ、加羅の姿。

 自分はそれをただ見ていた。見ているしかできなかった。動けなかった。加羅に斬られた腹からはどくどくと血が流れ出して、目を開けていることすらも困難だった。声も出せず、ただ、必死に生にしがみついていた。

 あれから二年が経つ。

 憎しみなど既に飽和した。だのに今も生まれ続けるこの感情を、どう捌けば良いのか紫呉は知らない。

「次男殿?」

「……申し訳ない。もう、そんなにもなるのかと、……驚いて」

「はは、わたくしも驚いた。あのお小さかった次男殿が、すいぶんとご立派になられました」

「……それは、若君もでございましょう。わたくしも、ひどく驚いた。あの稚かった若君が、ずいぶんとご立派に」

 声が震えそうになるのを、必死で抑える。ぎこちなく言葉を繋ぎながら、上っ面だけの会話を続けた。

「ますます、父君に似てこられました」

「……それは光栄だ。父は我らが玻璃の、誇りでございますゆえ」

 実の無い会話をいつまで続けるのかと、嫌気が差してきたその頃だ。庵の奥から女性が現れた。男を一人伴っている。

「お久しゅうございます、皆さまがた」

 ひどく甘やかな声だった。それでいてどこかに幼さを残したような、不思議な声だ。

 彼女は加羅と同じく、白の五つ紋に身を包んでいた。裾を彩る流焔紋の縫い取りは光に踊り、金にも紅にも色を変える。

 涼やかな切れ長の目に、すっと通った鼻筋。整った容貌は身内だけあって、加羅とよく似ている。

 しかし彼女が身に宿す色彩は、日生の血に連なる者としては全くの異彩を放っていた。

 背に流れる豊かな黒髪。こちらを見つめる黒の瞳は幼げで無邪気であるのに対し、笑みを含んだ朱唇からは匂いたつような色香が漂う。

 彼女の名は日生八重――『偽焔』と称される、第十四代日生焔だ。

 紫呉は彼女に対し、対等の敬意を示す礼をした。

 少し前までは、日生は如月よりも上位とされてきた。よって、日生の者に対しては上位の者に対する礼をする必要があった。何でも、月光は日光の反射光であるから、という事に起因するらしい。

 が、それを下らぬ悪習として廃したのが、先代の日生焔・与四郎だ。

 与四郎には幼い頃、数回会った事がある。とても優しく、大らかで、美しかった。黄金色の髪は神々しいまでに陽光に映え、紅の瞳は全てを包み込むような優しさに溢れていた。彼が凶賊に弑されたと聞いた時は、ひどい悲しみに襲われたものだった。

「加羅、何をしているの。こんな所で皆さまを足止めするなんて駄目な子ね。早く中にご案内なさい」

「申し訳ございません、伯母上。気が回らずに」

「ほら、早くこちらにいらして。中は涼しくて気持ちが良いわ」

 身を翻す八重の背を、黒い髪がくるりと追った。


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