第1話 逮捕から始まるタイプの異世界
浜野真也は異世界で警察に捕まった。彼は学校の教室から、異世界の警察組織・義心組の庭へ転移してしまった。異世界に来て早々に、彼は警察に囲まれてしまったのだ。そして、現在は和室で尋問を受けている最中である。先程から、真也はただ呆然と天井を眺めていた。見た目は黒髪で、普通の高校二年生だ。一つ特徴を挙げるならば、光の加減で黄色にも見える深緑の瞳くらいだろう。
「おい貴様、聞いているのかっ!」
向かい側に座っている黒髪の少年が声を上げた。長い黒髪を後ろで結んでいる姿は、いわゆるポニーテールという髪型だ。黒い和服には、黄金の獅子のバッジが付いていた。和服の上に、青地に黒色の獅子の刺繍がされた羽織を着ている。この少年は、宵時十夜。義心組の二番隊隊長である。
「そろそろ、君の話を聞かせてくれないかな」
宵時の隣に座っている男性が、穏やかな声で真也に話しかける。茶髪をオールバックにした、優しげな顔立ちの男性だ。この男性は豹間作太郎。警察組織、義心組の組長である。
「まずは、名前を教えてくれるかな?」
「名前は浜野真也です」
真也は返答に困っていた。正直に話せば、彼は間違いなく牢屋に入れられるだろう。それ故に、先程から口を開くことができずにいたのだ。
「単刀直入に聞かせてもらうが、君は異能力者なのかな?」
真也は深緑の瞳を少し開いて、首を傾げてみせた。言葉の意味は何となく理解できるが、正しい意味かどうかは確信を持てない。
「いや、分からないです。異能力者って何ですか?」
「貴様、ふざけているのかっ!」
宵時が立ち上がろうとすると、豹間が片手で制する。
「ふざけているわけではなさそうだ。詳しく聞かせてくれるかな。正直に、ね」
彼は全てを見透かすような、金色の瞳でこちらを見ている。豹間には嘘が通じないと、真也は直感で感じ取っていた。強い視線から、真也は目をそらさない。ただ真っ直ぐに見つめ返していた。
「えっと、実は異世界から来たんですよね」
「は?」
宵時が露骨に顔をしかめた。赤い瞳が鋭く細められる。細身の少年から放たれているとは思えないほどの圧だった。あまりの空気の重さに、真也の背筋に冷たいものが走っていく。それでも、彼はまだどこか上の空で、他人事のように一歩離れた目で宵時を見つめていた。
「貴様……本気で言っているのか」
「待ちなさい、十夜」
豹間が静かに告げた、たった一言。それだけで、宵時の殺気がわずかに引いた。
「君、続きを」
豹間の真也を見るその視線には、まだ興味が残っている。
「実は俺もよく分かっていなくて。気づいたら、ここの庭に立っていた感じです」
何の説明にもなっていない返答だった。それでも真也は焦らずに、豹間の方を見る。彼は顎に手をあてて、何かを考えているようだった。宵時は相変わらず、疑いの眼差しを向けている。
「浜野くん、失昏薬という薬を知っているかい?」
「いえ、知らないです」
全く聞き覚えのない薬の名前に、真也は再び首を傾げた。尋問を受けているというのに、真也は焦ることも怯えることもない。感情の希薄さが、彼に独特な雰囲気をまとわせていた。
「ふむ、そうか」
豹間は考え込むように、顎に手を当てている。宵時の視線はますます鋭いものになっていった。宵時は重苦しい空気を放ったまま真也を威圧する。真也はその空気に臆することなく、宵時に話しかけた。
「失昏薬って何ですか?」
「黙れ。知らないはずがないだろう」
宵時は苛立たしげに真也を睨んでいる。真也は身に覚えのない罪を、彼から押し付けられているような感覚がしていた。ほんの少しだけ気まずさを感じて、顔を下へ向ける。宵時の視線から逃げようとしていたのだ。
そのとき——
襖が勢いよく開いた。
「姉上っ!」
宵時が驚きと批判の混じった声を上げる。襖を開けたのは、気が強そうな、美しい女性だった。紫陽花の模様が描かれた青い着物。長い黒髪をゆるく左側にまとめている。つり目がちな瞳は、意志の強さを感じさせた。女性は真也を見ると、緩やかに口元を綻ばせる。
「話は聞かせてもらったわ。真也くん、うちにいらっしゃいな」
突然すぎる展開に、真也は困惑する。女性の言葉に、宵時が勢いよく立ち上がった。
「姉上!」
宵時は咎めるような声を上げた。彼は目を吊り上げて、抗議する。
「また妙なやつを拾う気ですかっ!」
「あら、いいじゃない」
女性は楽しげに微笑んでいる。袖で口元を隠しながら、優雅に笑っていた。
「身寄りのない子を放っておくなんて、私にはできないわ」
「しかし、」
宵時が言い返そうとした。
そのとき——
パン、と軽い音が響いた。
豹間が両手を叩いた音だ。
「落ち着け、十夜。監視という意味でも、水華さんの家に浜野くんを置いておくのはいい案だ」
宵時は不満そうに眉を寄せる。
「豹間さん……」
小さくため息をつくと、横目で女性を見た。
「まあ、姉上ならば、何かされそうになっても返り討ちにできるでしょうが……」
「ふふっ、決まりね」
笑いかけてきた水華に真也の背筋が凍りつく。危険な空気を感じ取って、自然と拳を握りしめる手に力がこもった。
「私はそこにいる宵時十夜の姉、宵時水華よ」
水華の優しげな微笑みを見ても、真也の警戒心は解けなかった。
「よろしくね、真也くん」
「よろしくお願いします」
不穏な気配を感じりながらも、真也は小さく頭を下げた。
「はぁ。まったく、姉上はすぐ妙なものを拾ってくる」
宵時が重々しいため息をつく。ふと、真也は豹間と目が合った。
「浜野くん。正直に言うと、私たちは君の話を完全に信じているわけではない。十夜は特に君を疑っている」
宵時の鋭い視線を受けながら、真也は涼しげな顔で耳を傾ける。
「だからこそ、君自身の行動で身の潔白を示すんだ」
「分かりました」
真也は豹間の方へ体を向けて、姿勢を正す。
「俺は悪人じゃないってことを、行動で示してみせます」
頭を下げた瞬間、宵時の鼻で笑う声が聞こえた。宵時の冷たい反応に動じることなく顔をあげる。
その瞬間——
恐怖で大きく心臓が跳ねた。
絡み付くような視線に、真也は初めて表情を崩す。周囲を見回すが何も見えない。
「何をしている」
「いえ……何でもありません」
違和感に目を閉じて、彼はまた無関心な表情を作った。
◇
真也は水華の屋敷へ連れてこられた。屋敷は昔ながらの、いわゆる日本家屋というやつだ。廊下は歩くたびに軋む音がする。
「こら、十夜。そんなに睨んだら、可哀想でしょう」
水華が宵時に軽く注意をする。真也は内心で息を吐いた。先程からずっと睨まれていたのだ。
「姉上、この者はあまりにも怪しすぎます」
「あら、豹間さんの言葉が信じられないの?」
宵時は思わず俯いた。
「そういう訳ではありません。たとえ嘘をついていなくとも、僕はこいつを信用できません」
「仕方のない子ね。もう少し歩み寄ってあげてもいいんじゃないかしら。ほら、あなたと歳も近そうだしね」
水華の言葉に、宵時は真也の方を見た。彼は露骨に嫌悪感を出している。
「友人にでもなれ、ということですか?」
「ふふっ、それもいいかもね」
友人という言葉で真也はクラスメイト達を思い出す。彼には友人と言えるような関係性の相手はいない。それでも、少しだけ他の者たちの行方が気になる。真也達が廊下を歩いていると、縁側に一人の少年が座っていた。
「月狼」
水華が声をかけたのは、白い髪の少年だった。少年の顔は人形のように整っている。伏せられたまつ毛の下には、不完全な白と完全な青のオッドアイが隠れていた。右目の白は青色を侵食したように溶け込んでいる。青の中に白が混ざっているのだ。
「月狼、この家に新しく住むことになった真也くんよ」
月狼は何も言わず、ただ庭を見つめている。彼の目には、光がなかった。生きているのに、まるで死人のような虚ろな空気をまとっている。
「…………」
冷たい沈黙が流れた。白い髪に白い和服。年齢は12、13歳くらいだろう。全体的に白い少年は、今にも消えそうなほどに儚げだ。隣で、宵時が鼻を鳴らす。
「ふん。相変わらず覇気のないやつだな」
宵時は冷たく言い放った。だが、その瞳の奥には、ほんのわずかに心配が滲んでいた。覇気がないというよりも、生気がないように見える。真也は少し不気味に感じて視線をそらす。
「僕は組所に戻る」
宵時は睨みつけるように、真也を見た。赤い瞳が再び鋭く光る。
「浜野とか言ったか。妙なことは考えるなよ」
それだけ言い残すと、彼は去っていった。水華は困ったように眉を下げている。
「ごめんなさいね。十夜も月狼も、悪い子たちじゃないのよ」
「いえ、大丈夫です」
真也が首を振ると、水華は控えめに微笑んだ。その上品な笑みから、彼女の気品が伝わってくる。
「真也くんはいい子ね。じゃあ、私は部屋に戻るわ。今日は色々あって疲れたでしょう」
彼女は廊下の奥を指さす。
「あなたの部屋はあそこよ。しばらくゆっくりするといいわ」
そう言って、彼女は背中を向けて去っていた。真也は廊下を進み、案内された奥の部屋へ入る。畳の香りがする、静かな和室だった。座り込んで、ため息をつく。
「はあ……」
異世界転移に、突然の居候生活。今日一日だけで、真也の周りでは様々なことが起きた。
『辛気臭い顔ね』
突然、真也の頭の中に直接声が聞こえてくる。彼は無表情のまま、右に顔を向けた。
「喋る蛇かぁ」
そこにいたのは黒い蛇だった。赤い瞳の美しい黒蛇だ。細長くて、長さは2mくらいだろうか。少女のような可憐な声をしている。
『少しは驚きなさいよ』
「異世界転移したからなぁ。もう、何が起きても驚かない自信がある」
『変なやつね。私はコンセイノミコトよ。この名前に聞き覚えがあるでしょう?』
黒蛇の名前から、とある神社が真也の頭に浮かんだ。
「確か神社の神の名前だったな」
『そうよ。私は大倉神社の神、コンセイノミコト』
「喋る蛇の神様か……」
『あなた、さっきから冷静すぎない?』
コンセイノミコトは困惑した声で真也を見つめる。真也の顔には驚きも困惑もない。感情が抜け落ちてしまったようだった。
「冷静っていうか、現実逃避している感じだな。現実を受け止めたら脳が破壊されそうだ」
『ねえ、元の世界に帰りたくない?』
彼女の言葉で、真也の指先が僅かに震える。彼はコンセイノミコトの方へ顔を向けた。
「帰れるのか?」
真也の頭に父親の顔が浮かんだ。コンセイノミコトはこくりと頷く。
『私の力があれば帰れるわ。ただし、条件があるの』
「条件?」
『私の心臓を盗んだ不届き者から、心臓を取り返して』
真也は少し考えて、神社の石を思い出した。
「心臓……心宝石か」
コンセイノミコトの心臓とは心宝石のことだ。心宝石は神社の宝物である。
「そういえば、盗まれたって親父が騒いでたな」
『犯人はあなたのクラスメイトの中にいるわ』
「なるほど。クラスのみんなも、こっちの世界にいるのか」
真也が淡々と返事をしていると、コンセイノミコトが彼の首に飛びついてきた。
「うおっ!」
『言っておくけど、拒否権はないわよ』
彼女は真也の首に巻きついて、軽く首を絞めてきた。
『断れば命はないわ』
「別に断る気はない。俺も元の世界に帰りたいしな」
真也は軽くコンセイノミコトの体に触れる。蛇らしい冷たい体温だった。
「名前が長いな。コンって呼んでも良いか?」
『不敬ね。でも、いいわ』
真也の首を軽く絞めながら、コンは許可を出した。
「なんで、首を締めるんだよ」
『そういう趣味なの』
(ドSかよ。呪いの装備みたいだな)
『心の声も聞こえてるわよ』
コンが強めに真也の首を絞める。気管を的確に締め上げてくる動きは手馴れていた。
「う、ぐ……悪かった……」
喉仏が圧迫されて、真也は苦しさに呻き声をあげる。バシバシとコンの体を叩くと、彼はあっさりと開放された。
『よろしくね、真也』
「ああ、うん……」
真也は、哀愁を漂わせながら返事をする。真也がようやく見せた僅かな感情に、コンは満足げに鼻を鳴らした。




