表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
春愁秋思〜巫女妃は恋を知らない  作者: 桔梗


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/7

春妃付きの女官

その日の夜、ヒサギは床に入り考えていた。


『誰にも言ってはだめよ』


その言葉は、命じるようでいて、縋るようでもあった。

春妃としての言葉なのか、桜麗というひとりの女の言葉なのか、ヒサギにはもうわからない。


ただ、あの一瞬、桜麗を少しだけ近くに感じたことだけは確かだった。


ヒサギは寝返りを打つ。


薄い帳の向こうでは、夜気に触れた花の香りがまだ漂っていた。


(お可哀想、だなんて)


そう思ったのではない、とヒサギは自分に言い聞かせる。


可哀想だと決めつけるのは、違う。

桜麗は、憐れまれることなど望んでいない。

今日のあの眼差しを思い出せば、それくらいわかる。


考えながら、ヒサギはようやく眠りに落ちた。


***


翌朝、春の宮はいつも通りの顔をしていた。


けれどヒサギには、もう昨日までと同じようには見えなかった。


「ヒサギ」


瑞寿に呼ばれ、はっと顔を上げる。


「何をぼんやりしているの。春妃様のお茶を替えて」


「あ!はい」


ヒサギは急いで盆を取る。

手を動かしながらも、胸のざわめきはおさまらなかった。


簾をくぐると、桜麗は窓辺に座っていた。


朝の光を受けた横顔は、昨日と少しも変わらない。

やわらかく、美しく、手を伸ばせば壊れてしまいそうなほど静かだ。


「春妃様、お茶をお持ちしました」


ヒサギが膝を折ると、桜麗は振り返った。


「ありがとう」


その微笑みを見た瞬間、ヒサギは妙な違和感を覚えた。


ほんのわずかだが、目の下に影がある。

唇の色も、いつもより少しだけ薄いように見えた。


昨夜、よく眠れなかったのだろうか。

そう思うと、胸の奥がちくりと痛んだ。


なぜ痛むのか、自分でもわからない。

わからないまま、茶器を差し出す。


「……春妃様」


思わず声が出た。


「……昨夜は、よくお休みになれましたか?」


気づけば、そう尋ねていた。

桜麗は少し驚いた顔をした。


「どうして?」


「……少し、お疲れのように見えましたので…」


言った瞬間、しまったと思った。

また踏み込みすぎたかもしれない。


けれど桜麗はすぐには何も言わなかった。

ただ茶器を手の中であたためるように持ち、窓の外を見た。


庭には、朝の光を受けた花々が揺れている。

咲きすぎた春は、今日も変わらず美しかった。


「あなたは……本当に、よく見ているのね」


ほんの少しだけ――嬉しそうに聞こえた。


「……申し訳ありません」


ようやくそう言うと、桜麗は少しだけ目を見開いて、それからくすりと笑った。


「どうして謝るのよ」


それから、ふっと息を吐き、「そういう人が、一人くらいいてもいいのかもしれないわね」と言った。


ヒサギは返す言葉を見つけられず、ただ黙って頭を下げた。


「ヒサギ」


「……はい」


「あなた、今の仕事は雑務だったわね」


不意の問いに、ヒサギは顔を上げる。


「はい。まだこちらにきて日が浅いので……」


「そう」


桜麗は短く頷いた。


それから、ほんの少しだけ考えるように視線を落とす。


「なら、今日から私のそばについてもらおうかしら」


ヒサギは一瞬、言葉の意味を理解できなかった。


「……え?」


「身支度やその他のことも、あなたに任せることが増えると思うわ」


やわらかな声だった。

まるで特別なことではないかのように、あまりにも自然に告げられる。


だがその内容は、決して軽いものではない。


「そばにいる時間が長くなるから……その分、よく見てしまうかもしれないけれど」


桜麗は、ほんのわずかに目を細めた。


「それでも、いい?」


まるで試すかのように問われ、ヒサギの胸が、どくりと鳴る。


「……恐れ多いことにございます。未熟者ではございますが、精一杯、務めさせていただきます」


桜麗はゆっくりと頷く。


「ええ。よろしくね」


それだけのやり取りだったが、ヒサギは、ひどく重く感じられた。


***


その日の昼過ぎ、ヒサギは瑞寿に呼び出された。


「……聞いたわよ」


開口一番、ため息まじりに言われる。


「え?」


「春妃様付きになるんでしょう?」


ヒサギは目を見開いた。


「ご存じなのですね……」


「当たり前でしょ。あの方が人をそばに置くなんて、珍しいことなんだから」


瑞寿は腕を組んだまま、じっとヒサギを見た。

その視線には、呆れと、わずかな警戒が混じっている。


「でも、浮かれないことね。何か困ったことがあれば言いなさい」


「……はい。ありがとうございます」


***


その後、春の宮の奥で、ヒサギはある女官と顔を合わせることになる。


「……あなたが、新しく春妃様付きになるというヒサギ?」


冷ややかな声だった。


振り向くと、そこに立っていたのは、背の高い女官だった。

整った顔立ちだが、表情には一切の愛想がない。


「……はい。ヒサギと申します」


ヒサギは深く頭を下げた。


女はしばらく何も言わず、そのままヒサギを見下ろしていた。

やがて、ふっと口元を歪める。


「春妃様は……ずいぶんと幼い子を選ばれたのね」


その言葉に、空気がぴんと張る。


「あなた、何日ここにいるの?」


「……まだ一週間ほどです」


「でしょうね」


即答だった。


「立ち居振る舞いも、話し方も、何もかもまだまだ未熟だもの」


一歩、距離を詰められる。


「そんな状態で、春妃様のおそばに立つつもり?」


その声は静かだったが、容赦がなかった。


ヒサギは言葉を失う。


正論だった。

すべてが事実だった。


「くれぐれも勘違いだけはしないことね」


女官は、わずかに身をかがめる。


「私は、芙蓉<ふよう>。春妃様が入宮された頃から、春妃様にお仕えてしているわ」


「……よろしくお願いいたします」


かろうじてそう返すと、芙蓉は興味を失ったように視線を外す。


「まあ、せいぜい足を引っ張らないことね」


ヒサギはその場に立ち尽くした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ