妃らしい妃
桜麗はいつものように、やわらかく微笑んでいた。
「ようこそ、紅琳様」
「お招きありがとうございます、桜麗様」
二人は向かい合う。
どちらも美しく、そして、どちらも完璧な笑みをたたえている。
それなのにヒサギは、なぜかこの二人の間に、言葉にならない緊張感があるように感じた。
ヒサギは二人の間へ茶を運びながら、できる限り気配を消した。
「春の宮は相変わらず華やかですね」
紅琳が庭へ目を向ける。
「今年は咲き始めが少し早いように見えますが」
その言葉に、部屋の空気がごくかすかに止まった気がした。
ヒサギの指先が、盆の縁をわずかにきつく握る。
桜麗は微笑みを崩さない。
「そうでしょうか。春は、少し気まぐれですもの」
「ええ。そういうことにしておきましょう」
紅琳もまた、柔らかく言う。
だがその声は、まるで刃の腹で静かに撫でられるようだった。
気づいているのだ、とヒサギは思った。
秋妃は、春の宮の異変に気づいている。
「清蘭様も、先日そのようなことを仰っていました」
桜麗がさりげなく話を逸らす。
「あの方は、ずいぶん気が立っていらしたようだけれど」
「夏は熱を隠すのが苦手ですからね」
紅琳は茶器を持ち上げる。
「その点、桜麗様はお上手ですね」
わずかな沈黙が落ちる。
褒めているようにも聞こえる。けれど本当は違う。
“お上手ですね”――つまり、隠しているのですね、と。
「上手でなければ、四季の妃は務まらないわ。あなたもよくご存知でしょう?」
やわらかな声。
けれどヒサギは、そこに初めて、かすかな硬さを聞いた。
紅琳は茶をひと口含み、静かに置く。
「そうですね」
それから、ふと視線を上げた。
「ですが、いくら上手く隠しても、季節は嘘をつきません」
ヒサギは息をのんだ。
瑞寿をはじめ、控えていた女官たちも、一瞬だけ身じろいだ気配を見せる。
「……」
「花が咲きすぎている。散るべきでないものが散り、開くべきでないものが開いている。春が揺れているのなら、それは春妃の心が揺れているということです」
そこで初めて、たった一瞬だったが、桜麗の指先がぴくりと動いた。
だがヒサギは見ていたた。
紅林も、きっと見ていたはずだ。
「紅琳様」
桜麗の声が、少しだけ低くなる。
「私は、私の役目を忘れてはいないわ」
「ええ。存じています。だからこそ、申し上げているのです」
視線が交わる。
春と秋。やわらかさと冷たさ。咲くものと、実りの先を知るもの。
やがて、紅林がゆっくりと視線を落とした。
「……失礼いたしました。差し出がましかったですね」
その一言で、張り詰めていた空気がわずかにほどける。
桜麗もまた、同じように微笑む。
「いいえ。こちらこそ、心配をかけてごめんなさい」
けれど、そのやり取りのあとでは、どちらの微笑みも少しも穏やかには見えなかった。
***
紅琳が去ったあと、春の宮はしばらく妙な静けさに包まれていた。
控えの間へ戻る途中、ふいに瑞寿が声をかけてくる。
「見たでしょう」
足が止まる。
「……何を、ですか」
瑞寿はあからさまに呆れたような顔をした。
「秋妃様よ。あの方は、ああいうお方なの」
「……とても、怖い方ですね」
思わずこぼすと、瑞寿は鼻で笑った。
「あの方は……誰よりも妃らしい妃だから」
それだけ言って、彼女は水差しを受け取る。
その言葉が妙に胸に残った。




