季節は心模様のように
「長旅で疲れたでしょう。今日は無理をせず、休みなさい」
「ありがとうございます」
桜麗はわずかに頷き、女官のひとりへ視線を向ける。
「部屋へ案内してあげて」
「かしこまりました」
案内役の女官が一歩進み出る。
ヒサギはもう一度頭を下げ、その場を後にした。
背を向けた瞬間、なぜか肩の力が抜ける。
花の香りはまだ濃いのに、先ほどよりも息がしやすい。
宮を出て、回廊に入る。
屋根の影に入った途端、空気が変わった。
ひんやりとした風が、肌を撫でる。
ヒサギは思わず大きく息を吸い込んだ。
「やっぱり、最初はそうなるわよね」
先を歩いていた女官が振り返る。
「え?」
「春妃様の宮。あそこ、慣れないうちはみんな息苦しいものだから」
ヒサギは一瞬、言葉を失った。
先ほど桜麗が言ったのと、まったく同じことだ。
「……そう、ですね」
曖昧に答えると、女官は肩をすくめた。
「無理もないわ。あそこは“春”が濃すぎるもの」
その言い方に、ヒサギはわずかに引っかかる。
まるで場所ではなく、現象そのものを指しているようだった。
「春妃様は、ああして季節を留めていらっしゃるのよ」
女官は軽く言った。
「花が咲くのも、散るのも、あの方の御心ひとつなの」
さらりとした口調だった。
だがヒサギの足は、そこで止まりかける。
(御心ひとつ……?)
そんなことが、あり得るのか。
疑問は浮かんだが、口には出さなかった。
ここは後宮だ。
軽々しく口を滑らせていい場所じゃない。
「……他の妃様の宮も、同じなのですか?」
代わりに、少しだけ角度を変えて尋ねる。
女官は「ああ」と頷いた。
「夏妃様の宮では青々と草木が繁っているし、秋妃様の宮では紅葉が色づいているわ。冬妃様のところなんて、真夏でも雪が舞うことがあるのよ」
冗談めかした口調だが、その目は笑っていない。
「だからね」
女官は足を止め、ヒサギのほうを振り返る。
「四季の妃様は、普通の妃じゃないの」
声が、ほんの少しだけ低くなる。
「帝のお渡りも、決してないわ。妃様に近づくのだって、決まりごとが多いのよ」
ヒサギは目を見開いた。
「……では、陛下は――」
問いかけた瞬間、女官はわずかに眉をひそめる。
「そういうことは、軽々しく口にしないの」
ぴしゃりとした口調だった。
それ以上の言葉はない。
ヒサギはすぐに頭を下げた。
「申し訳ありません」
やがて、女官はふっと息を吐く。
「……まあ、あなたが気になるのも無理はないわね」
少しだけ声がやわらいだ。
「滅多にないけれど、帝が四季の宮を訪れることもあるわ」
ヒサギは顔を上げる。
「ただし、それは“お渡り”じゃない」
言い切る。
「視察か、儀式か、あるいは……異変がある時だけ」
「異変……ですか?」
「最近はね、少しだけ季節がずれているの」
ヒサギも後を追う。
「ほんのわずかだけどね。春が長いとか、夏が遅いとか、その程度なんだけれど」
ヒサギは、先ほどの庭を思い出していた。
咲きすぎていた花。濃すぎた香り。
(あれは、本当に“ほんのわずか”なの?)
「だからもしかしたら――」
女官はふと足を止める。
振り返り、ヒサギを見る。
その目には、わずかな緊張が宿っていた。
「近いうちに、帝がおいでになるかもしれないわね。春妃様の宮に」
その一言で、空気が変わる。
ヒサギの胸が、どくりと鳴った。
なぜかはわからない。
けれど、その知らせは――
どこか、良くないもののように感じられた。




