第10話:執事の朝と、同棲という名の誤解
平日の朝。吹田市にあるヨースケのマンションの一室。
カーテンの隙間から差し込む朝日よりも先に、ヨースケの意識を覚醒させたのは、バタン、ガチャンという生活音だった。
「……んあ?」
薄目を開けると、ドレッサー(本来はヨースケの勉強机)の前で、ジウンがメイクを始めていた。
「あ、起きたんかヨースケ。おはよ」
「……おはよ。お前、ほんま早起きやな」
記憶を数時間前、昨夜の深夜へと巻き戻す。
居酒屋のバイトで遅くなったヨースケが帰宅すると、チェーンのかかっていないドアの向こうには、すでに先客がいた。
飲み会帰りでお金も終電もなくなったジウンが、当然のように合鍵を使って侵入し、爆睡していたのだ。
しかも、ヨースケのお気に入りのTシャツとジャージを勝手に着て、ヨースケのシングルベッドを占領して。
その寝相は芸術的ですらあった。頭と足が逆向きになり、掛布団はとっくにベッドの下へ吹っ飛んでいる。
『……風邪ひくやろ、アホ』
昨夜のヨースケは、苦笑しながら布団を拾い上げ、器用にジウンに掛け直した。
そして自分は、クローゼットから来客用の布団を引っ張り出して床に敷いたのだ。
「オレ、なにやってんねやろなー」と、天井に向かって独りごちながら。
そんな虚しい夜を越えて、今、朝が来た。
「ヨースケ、なにボケっとしてんねん! 先に起きてコテ(ヘアアイロン)温めとけ言うてるやろ!」
ジウンがアイライナーを引きながら、鏡越しに泉州弁で吠える。
「……はいはい、お姫様。今コンセント差しましたよ」
「腹減った。なんか食いたい」
「何がいいんですか」
「フレンチトースト。カリカリで中ジュワッとしてるやつ」
「……お前、人の家で遠慮ってものがないんか」
「あるわけないやろ。早よして」
ヨースケはため息をつきつつ、しかし手際よく卵と牛乳を混ぜ始めた。
文句は言うが、体は完全に「執事モード」に最適化されている。
***
「うまー! さすがヨースケ、天才!」
「はいよかったですねー」
朝食を終えると、次は戦争だ。身支度の時間である。
ジウンがヨースケのクローゼットを我が物顔で漁り始める。
「今日はこれにしよ。このオーバーサイズのパーカーと、このカーゴパンツ」
「おい待て、それ俺が今日着ようと思ってたやつ!」
「知らんがな。早いもん勝ちや」
「しゃーないな……ほな俺はこっちのジャケットにするわ」
二人の身長は共に170cm。体型も似ているため、服のサイズが完全に一致する。
結果として、ジウンがヨースケの服を着て、ヨースケも自分の服を着て玄関を出ることになる。
***
北摂大学への通学路。
並んで歩く二人は、端から見れば「完璧にコーディネートされたカップル」だった。
「見て、あの二人。また一緒や」
「絶対同棲してるよねー」
「同じ部屋からペアルックで出てくるとか、ラブラブすぎて尊いわ」
「いつ結婚すんのかな?」
周囲の学生たちのヒソヒソ話が、ヨースケの耳にも届く。
(……同棲? ラブラブ? ちゃうねん。これはただの『寄生』と『介護』や)
ヨースケの心は、もはや悟りの境地にあった。
2回告白して2回振られている。なのに、周りからは一番幸せなカップルに見られている。
この矛盾。この生殺し。
だが、隣で昨夜の酒も抜けてスッキリした顔で歩くジウンを見ると、「まあ、これも悪くないか」と思ってしまう自分が一番重症なのだと知っている。
***
夕方の講義が終わると、ジウンがヨースケの背中をバシッと叩いた。
「ヨースケ、今日の晩飯は鍋にしよか!」
「……は? なんで?」
「飲み代使いすぎて金ないねん。スーパーで白菜と豚肉買うて帰るで!」
「お前……また泊まる気かよ」
「当たり前やん。2日連続鍋パや! 〆は雑炊な!」
ジウンは悪びれる様子もなく、ヨースケの腕を引いてスーパーへと向かう。
夕暮れの帰り道、食材の入った袋を提げて歩く二人の後ろ姿。
「ねえ、あの二人……」
「うん、もう熟年夫婦やん」
「結婚式、いつ呼んでくれるんかな?」
学友たちの純粋な疑問は、秋の空に吸い込まれていった。
ヨースケの部屋の合鍵が返却される日は、当分来そうにない。




