第9章 その9
空間の歪みから這い出てきた異形の怪物、レギオンとの激しい戦闘は、一行の連携によって辛くも勝利を収めた。
レンの剣が最後の一体を切り伏せ、フィアがすかさずエイリンに魔法解除の呪文を唱える。
眩い光がほとばしり、エイリンを縛り付けていた紫色のオーラが、苦悶の叫びと共に霧散した。
激しい戦闘の末、黒水晶の祭壇から召喚された四体のレギオンは塵と化し、洞窟には一行の荒い息遣いと、崩れた祭壇が放つ微かな残光だけが残された。
呪縛から解放されたエイリンは、まるで糸が切れた操り人形のようにその場に崩れ落ち、気を失っていた。彼女の胸元から滑り落ちたペンダントは、先程までの禍々しい輝きを完全に失い、今はただの飾りとして、冷たい地面に転がっている。
「エイリン! しっかり!」
フィアが真っ先に駆け寄り、親友の体を固く抱きしめる。
その顔には安堵と、これまでの戦闘による極度の疲労が色濃く浮かんでいた。
ルードもすぐに駆けつけ、聖印をかざして柔らかな癒しの光を彼女に注いだ。仲間たちの顔にも、ようやく安堵の色が戻る。
やがて、エイリンがうっすらと目を開けた。
虚ろだった瞳には、ようやく微かな意識の光が戻り始めている。だが、その光はすぐに激しい混乱と恐怖に揺らいだ。
操られていた間の記憶が、断片的に、しかし悪夢のように鮮明に蘇ってきたのだ。
仲間に弓を向けたこと、殺意のこもった言葉を吐いたこと、そして、心の奥底で感じていた仲間への醜い不信感。
「私……、なんてことを……」
罪悪感に顔を歪め、エイリンはフィアの腕の中で身を縮こませる。
仲間たちの顔を、とてもじゃないが正視できない。
しかし、彼女を包んだのは、責めるような厳しい視線ではなかった。
「無理もないわ。あのペンダントの魔力は、人の心の弱い部分につけ込んで増幅させる、とても邪悪なものだったから」
フィアが、自分に言い聞かせるように優しく語りかける。
「君だけのせいじゃない。僕らも、君の苦しみに気づくのが遅すぎたんだ。本当にすまない」
リアンも、いつもとは違う静かな声で言った。
レンはぶっきらぼうに頭を掻きながらも、「……無事で、よかった」と短く呟く。
その言葉には、彼なりの不器用な気遣いが滲んでいた。
ルードが、転がっていたペンダントを革手袋で慎重に拾い上げる。そ
その表面には、今はもう何の力も感じられない。
「これも『深き目の徒』の仕業なのでしょう。ただ魔物を操るだけでなく、人の心を蝕み、内側から信頼関係を破壊しようとする。これほど悪質なやり方とは……」
彼の言葉に、一行は改めて敵の底知れない邪悪さを思い知り、固く拳を握りしめた。
この一件で、彼らの結束は試され、そして、皮肉にも、より強固なものへと変わろうとしていた。
「……ごめんなさい」
エイリンのか細い声が、静まり返った洞窟に響く。
「私、みんなを信じられなくなってた。怖くて、誰にも頼れなくて……フィアを一人にしたくないっていう気持ちが、いつの間にか、自分勝手なものに変わってた……」
ぽろぽろと涙を流す彼女の肩を、ミアルヴィがぽんと叩いた。
「もういいって。あんたが無事なら、それで十分。借りは、この騒動の元凶にきっちり返させてやればいいだけの話よ」
そのぶっきらぼうだが温かい言葉に、エイリンはゆっくりと顔を上げた。仲間たちの優しい眼差しが、そこにあった。失われたはずの絆が、確かにまだここにあることを知り、彼女は再び声を上げて泣いた。
一行は、まだ体力の戻らないエイリンを支えながら、忌まわしい鉱山を後にする。
帰り道は誰の口数も少なかったが、その沈黙は、失われた信頼をゆっくりと取り戻し、次なる戦いへの決意を静かに固めるための、重要で、そして優しい時間だった。
深き目の徒は、この一件で一行の存在を明確に察知しただろう。
これは巧妙に仕組まれた罠だったのだ。
そして一行は、その罠にかかり、敵に自らの存在を知らせてしまった。
メイキルクの地に渦巻く陰謀は、彼らが思うよりもずっと深く、暗い根を張っている。
一行の本当の戦いは、まだ始まったばかりだった。




