第1章 その6
水路の奥に静けさが戻ってからも、誰一人としてすぐには動けなかった。血の匂いと湿った石の感触、そして激しい戦いの残響が、まだ肌にまとわりついているかのようだ。
「……これで、証拠になるな」
レンがリーダー格だったコボルトの亡骸から、証拠として片耳を切り取り、革袋に納める。依頼を達成した証ではあるが、その行為の生々しさに、彼はまだ慣れずにいた。
「ねえ、こっちに何かあるよ!」
エイリンの声に振り返ると、彼女が隅に置かれていた木箱をこじ開けていた。中にはがらくたと一緒に、鈍く青い光を放つ石が一つ。
「あんた……罠だったらどうするのよ」
ミアルヴィが呆れたように言った。
「盗んだのか、それとも拾ったのか……。とにかく、こいつも持ち帰ろう」
リアンが肩をすくめ、レンがその石を袋にしまった。
町へ戻ったのは、太陽が西の空に傾きかけた頃だった。
役場で報告を済ませると、担当の役人は労いの言葉とともに、ずしりと重い報酬の袋を一人一人に手渡した。
「見事な働きだったと聞いている。これが約束の報酬、一人400Gだ。君たちの名は、この街の信頼できる冒険者として記録させてもらった。また何かあれば、ぜひ力を貸してほしい」
役場を出ると、夕暮れの冷たい風が頬を撫でた。
「……終わったね」
ミアルヴィが小さく呟きながら、猫のようにぐっと伸びをする。その言葉を合図にしたかのように、誰からともなく安堵の笑みがこぼれた。
宿《明日の栄光亭》に戻ると、ブルノがカウンターの奥で煮込み鍋をかき回しながら、ニヤリと笑って一行を迎えた。
「おう、おかえり。無事だったようだな」
「うん、もちろん! ちゃんと片付けて、報酬ももらってきたよ!」
エイリンが胸を張って答える。
「そいつは上出来だ。……まあ、あそこは昔から何かと物騒でな。よくやってくれた」
ブルノはそういうと、木の椀に熱々の煮込みをよそい始めた。
「さ、冷めねえうちに食いな。今日のところは、宿代も夕食代も俺の奢りだ!」
その言葉に、わっと歓声が上がる。
香ばしいスパイスと肉の匂いが、疲れた体に染み渡るようだった。
(帰ってきたんだな……)
レンは湯気の立つ煮込みを一口運び、ほう、と息をついた。
初めての仲間との、初めての本格的な戦い。そこで得た達成感と、こうして戻る場所があるという安堵感。そのどちらもが、今の彼にとっては温かく、そして誇らしいものに感じられた。
「それにしても、見事な連携だったな! 特に、レン殿のあの太刀筋! まさに英雄のそれだった!」
リアンが、早速手にしたエールで乾杯の音頭をとる。
「そんなことないですよ。みんなの助けがあったから……」
「謙遜するなよ、兄弟! 今宵は祝杯だ!」
その陽気な声に、他のメンバーの表情も自然とほころぶ。
「……でも、あの盾の紋章は、やっぱり気になる」
フィアが静かに呟くと、それまで賑やかだったテーブルの空気が、少しだけ引き締まった。
「ああ……」
ルードも、穏やかな表情の奥に憂いを滲ませる。
「コボルトまでもが、あの目の印を掲げていた。一体、何が始まろうとしているのか……」
楽しい宴の最中でも、あの不気味な紋章の謎は、暗い影のように彼らの心にまとわりついて離れない。
だが、今は――。
「ま、難しい話はまた明日! 今日のところは楽しもうよ!」
エイリンがそう言って、大きな肉の塊にかぶりついた。
その言葉に、誰もが頷き、笑い合う。
今はまだ、名もなき冒険者たち。
それでも、彼らの間には、確かに仲間としての絆が芽生え始めていた。




