第1章 その5
最初の部屋を制圧した一行は、警戒を解かずに周囲を検めた。
「こっちは……だめだ。岩が崩れてて、通れない」
レンが低い通路の先を覗き込み、首を振る。
「さっきの分岐まで戻るしかないね」
リアンの言葉に、一行は頷き、分かれ道まで引き返した。
正面に伸びるもう一つの通路は、先ほどより天井がやや高く、空気の流れも感じられる。
「ここ、頻繁に通ってる跡がある」
エイリンが壁に残る無数の爪痕を指さした。床にも、引きずったような荷物の跡が残っている。本隊はこちらのルートを使っている、ということか。
レンを先頭に、一行は慎重に奥へと進んでいく。
その時だった。
「――待って」
ミアルヴィがぴたりと足を止めた。彼女の猫の耳が、かすかな音を拾ってぴくりと動く。
「罠だ」
彼女が指さす先の床に、苔の下に隠された原始的なトラばさみが仕掛けられていた。
「へえ、やるじゃない。素人仕事だけど、踏んでたら厄介だったね」
ミアルヴィは懐から取り出した細い金属の道具で、手際よく罠を解除する。その間、他のメンバーは固唾を飲んで彼女の作業を見守っていた。
「……よし、おしまい」
彼女が立ち上がると、皆がほっと息をついた。
「助かったよ、ミアルヴィ。やっぱり、あなたがいてくれてよかった」
エイリンが屈託なく笑いかけると、ミアルヴィは少し照れくさそうに顔をそむけた。
罠を越え、道はさらに下りへと続く。やがて、通路の先に開けた空間が見えてきた。
「……広いな」
そこは水路の最深部らしかった。天井は高く、左右の壁からは水が流れ落ち、中央の浅い溝を満たしている。
そして、その空間の奥――石柱の陰に、三体の影があった。
「――いた」
レンが剣を構え、仲間たちに合図を送る。
中央に立つ一体は、他の二体より明らかに体格が良く、黒光りするレザーアーマーに身を包んでいる。手にはロングソードと、紋章の刻まれたスモールシールド。その佇まいは、これまでのコボルトとは明らかに異なっていた。あれがリーダーに違いない。
その両脇を固める二体も、ハンドアクスと棍棒を手に、隙のない構えを見せている。
空気が張り詰める。
先に動いたのは、リアンだった。
「まずは一匹!」
ハンドアクス持ちのコボルトへ、鋭い突きを繰り出す。だが、敵は俊敏にそれをかわした。
「くっ……!」
その隙を逃さず、フィアの詠唱が響く。
「ヴェル・シオン・ラミナ!」
放たれた魔弾が、コボルトの腹をえぐった。
「ギャッ……!」
叫びを上げ、コボルトは膝をつく。だが、まだ息はある。
その瞬間、ルードがレンの背にそっと手をかざした。
「レン、神の御力を」
「……ルーシードよ」
温かい光がレンの体を包み、力がみなぎっていくのを感じる。
「……助かる!」
レンは地を蹴り、リーダー格のコボルトへと真っ向から斬りかかった。
「お前が大将か!」
渾身の一撃を、しかしリーダーは盾で巧みに受け流す。金属音が甲高く鳴り響き、火花が散った。
「グギギッ……!」
手応えはあった。だが、敵の反撃はそれ以上に速かった。ロングソードがミアルヴィを薙ぐ。
「くっ……!」
咄嗟に身をひねったが、刃が脇腹を浅く切り裂き、血が滲んだ。
戦況は、一気に目まぐるしく動き出す。
フィアの魔弾で負傷したコボルトが、最後の力を振り絞ってリアンに襲いかかる。
「させない!」
エイリンの矢が、そのコボルトの喉を正確に射抜いた。
残るは、リーダーと棍棒持ち。その棍棒が、負傷したミアルヴィに狙いを定める。
「――あぶない!」
レンが割り込み、その一撃を剣で受け止めた。凄まじい衝撃に腕が痺れる。
「ぐっ……なんて力だ……!」
「今だよ、フィア!」
エイリンの叫びに応え、フィアの第二射がリーダーを捉える。
「ヴェル・シオン・ラミナ!」
魔力の直撃を受け、さすがのリーダーも体勢を崩した。
「……今だ!」
その隙を、レンは見逃さなかった。渾身の力を込めた一撃が、リーダーの鎧の隙間、脇腹へと深々と突き刺さる。
「グギャアアッ!」
断末魔の叫びを上げ、リーダーはその場に崩れ落ちた。
「あとはあんただけだよっ!」
ミアルヴィが棍棒持ちに斬りかかる。リーダーを失った動揺か、敵の動きがわずかに鈍る。その一瞬の隙を、フィアの魔弾が捉えた。
数秒後、最後の一体もまた、血の海に沈んでいた。
重い沈黙の中、聞こえるのは仲間たちの荒い息遣いと、水路を流れる水の音だけだった。
「……終わった、か」
レンが剣を下ろし、深く息を吐く。
「みんな、大丈夫か?」
「ああ……なん、とかな」
リアンとミアルヴィが、傷を押さえながら答える。すかさず、ルードが二人のもとへ駆け寄り、癒しの光でその傷を塞いでいく。
「……すごいね。あんたの神様は」
ミアルヴィが感嘆の声を漏らすと、ルードは静かに微笑んだ。
「ああ。とても、慈悲深い方だ」
レンは倒れたリーダーの亡骸に近づき、その手から落ちた盾を拾い上げた。
そこに刻まれていたのは、見慣れない紋章――ではなく、あの忌まわしき目の印だった。
「……こいつらも、か」
その呟きに、全員の視線が盾に集まる。
ただのコボルトの仕業ではなかった。この水路に巣食っていた脅威もまた、あの不気味な目に繋がっていたのだ。
事件は解決したはずなのに、謎はさらに色濃く、彼らの行く手に影を落としていた。




