第7章 その6
エイリンが通されたのは、王城から少し離れた場所にある、静寂に包まれた射撃場だった。
彼女の教官となったのは、かつて王都随一と謳われた老狙撃手、ギデオン。
白髪と深い皺が刻まれた顔は穏やかだが、その瞳の奥には、長年の戦場経験で培われた射手の鋭い光が宿っていた。
彼は多くを語らず、ただエイリンに一本の矢を渡し、こう言った。
「小娘、あそこの的を射てみろ」
ギデオンが指さしたのは、百歩はあろうかという距離に置かれた、ごく普通の的。
エイリンは自信を持って弓を構え、矢を放った。矢は甲高い音を立てて的の中心に突き刺さる。
村では誰にも負けたことのない腕前だ。
しかし、ギデオンは眉一つ動かさない。
「ふむ。腕は悪くない。だが、それでは戦場では赤子同然だ」
彼はそう言うと、おもむろに自身の長弓を手に取った。
エイリンが射た矢の、その矢羽だけを正確に射抜いてみせたのだ。
「戦場で狙うべきは、的の中心ではない。敵兵の兜の隙間、鎧の継ぎ目、魔法使いが呪文を紡ぐその唇。全ては、針の穴を通すような一点だ」
ギデオンによる訓練は、エイリンが今まで経験したことのない次元のものだった。
揺れ動く船の上から、嵐で荒れ狂う川の対岸にある的を射る。
目隠しをされ、風の音と気配だけを頼りに、飛来する複数の的を撃ち落とす。
分厚い鉄板に開けられた、指の先ほどの小さな穴を通して、その奥にある蝋燭の火を消す。
それはもはや、弓術というよりは、精神集中と自然との対話に近い領域だった。エイリンは何度も失敗し、己の未熟さに打ちのめされた。
(こんなので、フィアを守れるはずがない……)
焦りが募り、矢筋が乱れる。そんなエイリンの心を見透かしたように、ギデオンが静かに言った。
「お前の矢には、迷いがある。何のために矢を放つのか、その覚悟が定まっておらん」
「……わたしは、仲間を、フィアを守りたいんです!」
エイリンが叫ぶように言うと、ギデオンは初めてわずかに口元を緩めた。
「ならば、その想いだけを矢に乗せろ。恐怖も、焦りも、雑念も、すべて捨て去るのだ。守りたいという純粋な一念だけが、矢を必中に導く」
その言葉は、エイリンの心に深く響いた。
彼女は目を閉じ、フィアの姿を思い浮かべた。
故郷の森で共に過ごした日々。
旅に出てからの数々の戦い。いつも隣で、静かに、しかし力強く自分を支えてくれたかけがえのない存在。彼女が危険に晒されることだけは、絶対にあってはならない。
(わたしが、フィアの盾になるんだ。どんなに遠くからでも、どんな困難な状況でも、彼女を脅かすものすべてを、この矢で射ち抜く)
覚悟が決まった瞬間、エイリンの周りの空気が変わった。
迷いが消え、心が水面のように静まり返る。
彼女が再び目を開けたとき、その瞳には的だけが映っていた。
最終試験の日。
エイリンの前に置かれたのは、一体の鋼鉄のゴーレムだった。ゴーレムはゆっくりと動き出し、彼女に向かってくる。
「あのゴーレムを止めろ。ただし、射ることを許されるのは、首の関節部分にある指輪ほどの大きさの隙間、ただ一点のみ」
ギデオンの非情な宣告。
動く的、しかも急所は極小。並の射手ならば、矢を当てることすら叶わないだろう。
エイリンは深く息を吸い、弓を引き絞った。
ゴーレムの動き、関節の軋み、風の流れ、その全てが彼女の感覚に流れ込んでくる。
そして、守りたいと願う強い想いが、矢先に収束していく。
――放たれた矢は、一筋の光となって空を切り裂いた。
金属的な甲高い音と共に、矢は寸分の狂いもなくゴーレムの首の隙間に深々と突き刺さる。
動力源を破壊されたゴーレムは、数歩よろめいた後、大きな音を立ててその場に崩れ落ちた。
「……見事だ」
ギデオンが、心からの称賛を込めて呟いた。
「お前の矢は、もはやただの矢ではない。敵の鎧のいかなる隙間をも見逃さず、確実に急所を穿つ『針』だ。その神技は、戦場で多くの仲間を救うだろう」
彼はエイリンに、新たな称号を与えた。
「お前は今日から、“針穿者”――パンクチャーと名乗るがいい。その一矢は、千の軍勢にも勝る力となる」
エイリンは、愛用の弓を強く握りしめた。
その手には、どんな困難な狙撃も必ず成功させるという、揺るぎない自信が満ち溢れていた。




