第6章 その13
翌朝。
港の職人街はまだ目覚めきっておらず、石畳に朝露の残る時間。
リアンとルード、そしてフィアは、昨日目をつけた刻印師の工房を訪れていた。
小さな木の看板がかかるその店は、外観こそ古びていたが、中には整然と道具が並べられている。
壁一面には大小の彫刻刀、刻印棒、削り屑を受ける木盆など――年季の入った仕事場だった。
中にいたのは、頑固そうな年老いた職人。
彼は最初、訝しげに客人たちを見たが、ルードが神官証を示すと、ため息をついて椅子を勧めた。
「昨夜、若い書記が来たはずです。帆印を急ぎで、と」
ルードの問いに、刻印師は肩をすくめた。
「ああ。左利きだった。彫り方の指示も雑でな……“浅くていい”なんて言うやつ、初めて見たよ。彫る意味がないだろうが」
その言葉に、フィアが顔を上げる。
「左利き……描線の癖と一致する可能性があります」
刻印師は渋い顔のまま、机の下から小さな木皿を引っ張り出した。
中には細かい木片と、鋭く削られた金属の切れ端が収まっている。
「これが昨夜の切れ端だ。納品はしていない。代金も受け取ってない。……俺は“偽印”は請けねぇ」
リアンが深く頭を下げる。
「ご協力、感謝します。……その書記の名は?」
「名乗っちゃいなかったな。けど、袖口に“商連の若手会”の色紐が見えた。赤に白線が入ってたやつだ」
フィアは金属片を丁寧に布に包み、描線の順序を確認できるよう印をつける。
ミアルヴィが職人の店の外で合流し、鼻をひくつかせた。
「……樟油の匂いが濃い。同じ線だね」
リアンは金属片を手に、呟くように言った。
「“形”が揃ってきた。あとは、誰が何のために動かしたか……だね」
工房の扉を背に、彼らは再び港の裏手へと足を向けた。
商連事務所の記録室は、ひんやりとした空気に包まれていた。
窓は小さく、棚には帳簿が整然と並べられ、紙の擦れる音だけが響いている。
リアンが丁寧な口調で口上を述べ、ルードが照会の文書を手渡す。
「商連若手会の出入りと、刻印の外注に関する記録を閲覧させていただければと思います。刻まれた印に不審な点があり、治安案件として調査中です」
書記係の男は、少し眉をひそめながら応じた。
「若手会は行事が多く、外注については私の管理外です。……会計は別棚にございます」
「では、その帳簿の閲覧をお願いします。神殿の証明がついた正式な書式も提出しています」
ルードが書類を差し出すと、書記は不満げに書棚を開き、数冊の帳簿を机に置いた。
フィアが静かにそのページを開き、日付を指先でたどっていく。
表の中から、わずかな不一致が見えてきた。
「……樟油の購入が三度。いずれも、夜間の搬入があった翌朝に記録されています」
リアンがその記録を覗き込む。
「名目は“雑費”。印刷や工芸の記録はなし。刻印の外注も載っていない。……つまり、帳簿の“外”だ」
ルードが補足するように言った。
「金の流れが表に出ていないということは、どこかに“隠し財布”がある」
リアンは一瞬間を置き、書記係を見つめた。
「……夜に動いている若手会の書記、誰か知っていますか?」
書記係の視線が揺れた。
わずかな逡巡のあと、口を開く。
「……“サロ”という名の若い書記がいます。最近、夜に倉庫に出入りしていると聞きました。フルネームはサロ・ミーン」
その名を聞いた瞬間、ミアルヴィが一歩、前に出る。
「会ってみる。今夜、港倉で張る」
帳簿の隙間から浮かび上がった名――サロ・ミーン。




