第3章 その5
夜の闇が森を深く包み込み、焚き火の炎だけが、仲間たちの顔を暖かく照らし出していた。ぱち、ぱち、と薪のはぜる音が、静寂の中に心地よく響く。熱いスープで満たされた腹が、心地よい眠気を誘っていた。
そんな穏やかな空気の中、誰からともなく、ルードがぽつりと呟いた。
「こうして野営するのも、少しずつですが板についてきましたね。正直、最初の頃はどうなることかと思いましたが」
「わかる! 地面って、思ったより固いんだもんね」
エイリンが悪戯っぽく笑いながら同意する。
「でも、こうやってみんなで火を囲んでいると、なんだか不思議と安心するの。……こういうの、ずっと昔から憧れてたんだ」
彼女は燃え盛る炎を見つめながら、懐かしむように言葉を続けた。
「私の両親ね、昔は冒険者だったの。今は故郷の森で木こりをしているけど……子供の頃、夜になるとこうして焚き火を囲んで、旅の冒険譚を語ってくれたの。それが、すっごく面白くて、わくわくして!」
「それで、ご自身も冒険者になろうと?」
ルードが、その横顔に優しく問いかける。
「うん。いつか私も、自分の言葉で冒険を語れるようになりたいって。……そして、その物語を、いつか自分の子供にも聞かせてあげたいなって思ったの」
そう言ってはにかむエイリンの頬は、炎の光で赤く染まっていた。
その言葉を受けるように、今度はフィアが静かに語り始める。
「私の故郷は、深いエルフの森だった。……けれど、その森はもうない。私がまだ幼かった頃、村は魔物の大群に襲われて……滅んでしまった。私だけが、長老の手で大樹の洞に隠され、奇跡的に生き延びたの」
誰もが息を飲み、焚き火の音だけが響く。
「数日後、私を見つけ出してくれたのが、エイリンのおばさんだった。彼女に引き取られてからは……ずっと、エイリンと共に育ったの。だから、彼女が旅に出ると決めた時、私も共に行くと決めた。」
「フィア……」
「だけど、それだけじゃない。あの日、故郷に何が起きたのか、私はまだ何も知らない。なぜ村が襲われなければならなかったのか、あの魔物たちは一体何だったのか……。それを、この目で見届けるまでは、終われない」
揺れる炎が、フィアの澄んだ瞳の奥に、消えることのない決意の光を映し出していた。
重くなった空気を払うように、ルードが穏やかに微笑む。
「……なるほど。では、次は僕の番ですか。僕は、大きな商家の末っ子として生まれました。船を使って大陸と交易をする、それなりに名の知れた家です。ですが、優秀な兄たちがいたので、僕が家業を継ぐことはありませんでした」
「それで、聖職の道に?」
リアンの問いに、ルードは少し困ったように笑った。
「ええ。幼い頃に“ルーシードの神の篤い加護を受けている”と神殿に告げられまして。正直に言えば、戸惑いの方が大きかった。まさか、こうして冒険の旅に出ることになるとは、夢にも思っていませんでしたから」
「でも、今は?」
「……ええ。悪くない、と思っていますよ。旅を通して世界を知り、こうして皆さんと出会えた。これもまた、神がお与えになった導きなのだと、今は信じられます」
「はは、ルードらしいな! よし、次は俺の番だ!」
リアンがリュートを軽くかき鳴らし、語り始める。
「俺の家族は、旅の行商人だったんだが、幼い頃に盗賊に襲われてね。俺と兄貴だけが、命からがら近くの村へ逃げ延びた。そこで、宿屋を営む心優しい夫婦に引き取られたんだ」
「……そうだったのか」
「ああ。今じゃ、兄貴とその宿屋の娘――俺の義姉さんが、立派に店を切り盛りしてるさ。俺の今の夢は、いつか故郷に帰った時、ふたりの間に生まれた子供たちに、最高の冒険譚を語ってやることなんだ。“お前たちの叔父さんは、こんなにも凄い冒険をしたんだぞ!”ってな!」
そう言って、リアンは夜空を指差した。
「だから、この夜空に輝く星も、この焚き火の暖かさも、全てが俺の物語の一部になる。そう思うと、なんだか胸が熱くならないか?」
その言葉に、皆の口元が自然とほころぶ。
「……じゃあ、次は俺、か」
レンが少し照れくさそうに頭を掻きながら、ぽつり、ぽつりと語り出した。
「うちは代々続く鍛冶屋でさ。兄貴たちは皆、腕が良くて、俺だけがどうにも不器用で……。だから、家を出て衛兵になったんだ。でも、そこで……ちょっとしたヘマをしでかして、クビになっちまって」
「どんなヘマよ?」
エイリンが興味津々に尋ねると、レンは気まずそうに顔を伏せた。
「……あんまり、胸を張れるような話じゃないんだ。でも、この腕っぷしと、剣の腕だけは、誰にも負けないつもりだ。だから、今はこうして、みんなの盾になれてる……そう思ってる」
「ええ。あなたは、私たちが誇る最高の盾よ」
フィアの静かな、しかし確信に満ちた言葉に、レンは顔を上げて、嬉しそうに笑った。
そして、自然と皆の視線が、輪から少しだけ外れていたミアルヴィへと注がれた。
「……なによ」
「いやいや、君の番だろう?」
リアンに促され、ミアルヴィは仕方なさそうに膝を抱えると、焚き火から目を逸らし、呟くように言った。
「……私の故郷は、この大陸じゃない。ワルド大陸っていう、遥か西の……猫の獣人だけが暮らす村」
「ワルド大陸……! 随分と遠いのね」
フィアの驚きの声に、彼女は小さく頷く。
「うん。……ある日、森で道に迷って、気づいたら“妖精の道”ってのに紛れ込んでた。次に目を開けた時には……ブルノの宿の、薄暗い倉庫の中だった」
「以来、宿の手伝いをしながら、あそこで生きてきた。時々、ブルノに頼まれて、遺跡を調べたり、お宝を探したり……トレジャーハンターの真似事みたいなことをしてね。別に、あんたたちみたいに、大した話じゃないわよ」
「それって、つまり……盗賊みたいなもんか?」
レンが悪気なく口にした言葉に、その場の空気がぴしりと凍りついた。
ミアルヴィの金緑色の瞳が、カッと見開かれる。ふさふさの尻尾が、怒りに任せて地面を叩いた。
「……盗賊と一緒にしないで」
その声は、氷のように冷たく、鋭かった。
「私は、誰かから何かを“奪う”んじゃない。“見つける”のが仕事なの。何も知らないくせに、簡単に決めつけないで」
「わ、悪い……!」
レンが慌てて謝るが、一度凍てついた空気はなかなか解けない。
その沈黙を破ったのは、リアンの陽気な笑い声だった。
「はっはっは! いやあ、これで全員、互いの物語を語り合ったわけだ! 素晴らしい! 実に素晴らしいじゃないか!」
「……無理やり語らされただけでしょ」
ミアルヴィは、まだ少し不機嫌そうに顔を背けながらも、その声の棘は少しだけ丸くなっていた。
焚き火の炎が大きく一度だけ弾け、無数の火の粉が、満天の星空へと溶けるように吸い込まれていった。




