第3章 その2
朝陽がオストヴァルの石畳を黄金色に染め上げる頃、活気づき始めた市場通りの一角で、エイリンは腕を組み、ぷくりと頬を膨らませていた。
「まったく、どこをほっつき歩いてるのよ、あの子は! 人を待たせるのもいい加減にしてほしいわ!」
その隣で、銀髪のエルフ、フィアは澄んだ瞳で通りの喧騒を眺めながら、静かに告げる。
「昨夜は見なかったわ。宿に戻るように言ったのはあの子なのに」
神官のルードは、心配そうに眉を下げて辺りを見回している。
「何か事件に巻き込まれたのでは……。いえ、彼女に限って、そう簡単に不覚を取るとは思えませんが」
「はは、あの猫のことだ。どこかの屋根の上で、月を相手に語らっていたのさ」
吟遊詩人のリアンが大げさな身振りで歌うように言うと、戦士のレンが呆れたように空を仰いだ。その視線が、ふと路地の向こうに吸い寄せられる。
「――あ、来たぞ」
レンの呟きに全員が振り返ると、細い路地の影から、黒猫が闇に溶けるように、ミアルヴィが姿を現した。フードを目深に被り、何事もなかったかのような涼しい顔で、一行の元へと歩み寄ってくる。
「……あんたねえ! 今までどこほっつき歩いてたのよ!」
仁王立ちで詰め寄るエイリンに対し、ミアルヴィはふいと顔を逸らし、ぶっきらぼうに答えた。
「……別に。ちょっと、昔の知り合いにね。例の紋章について、何か情報が得られるかと思って」
「知り合いって、誰よ?」
食い下がるエイリンの言葉を遮るように、ミアルヴィは懐から羊皮紙の切れ端を放るように差し出した。
「そんなことどうでもいいでしょ。それより、面白い話が聞けた」
彼女は、まるで他人の噂話でもするように、淡々と告げた。
「この街の東の森に、古い遺跡があるらしい。その奥には“開かずの扉”があって、どんな手段を使っても開けられない代物だとか。おまけに、最近その周辺で魔物の目撃情報が増えてる。……あの目の紋章と、何か関係があるかもしれない」
その言葉に、仲間たちの間に緊張が走った。
「……確かな情報なの?」
フィアの問いに、ミアルヴィは「腕のいい情報筋から」とだけ短く答える。
レンがごくりと喉を鳴らした。
「魔物が出るってんなら、放っておくわけにはいかねえな」
「遺跡に封印されし扉! なんと、冒険の香りがするじゃないか! これは新たな叙事詩の幕開けだ!」
リアンがリュートをかき鳴らす勢いで叫ぶ。
「……じゃ、決まりだな」
ミアルヴィがそう結論づけた時、ルードが「ああ、そうだ」と手を打った。
「皆さん、宿のブルノさんから伝言を預かっています。一度、戻りましょう」
一行が《明日の栄光亭》に戻ると、主人のブルノが「おう、待ってたぜ!」と大きな革袋を担いで出迎えた。
「バザル家からの礼金だ。前の舞踏会での働きと、今後の調査の足しにしてくれ、だとよ!」
彼が威勢よくテーブルに置いた袋の口から、眩い金貨の山がこぼれ落ちる。
「一人頭、1500Gだ。これで装備でも新調したらどうだ?」
「やった! これで新しい弓が買える!」
エイリンが満面の笑みで拳を握る。レンもまた、目を輝かせた。
「俺も、剣の手入れ道具と、もっといい盾が欲しかったんだ……!」
「出発の前に、まずは武具を整えましょう。備え有れば憂いなし、です」
ルードの落ち着いた声に、誰もが力強く頷いた。
ミアルヴィは、そんな彼らの様子を少し離れた場所から黙って見ていた。金貨の輝きにも、仲間たちの歓声にも加わることなく、ただ静かに。
だが、そのふさふさとした黒い尻尾の先だけが、まるで楽しげな音色に合わせるかのように、かすかに揺れていた。




