第2章 その6
翌朝、一行が《明日の栄光亭》で簡素な朝食をとっていると、宿の主人が緊張した面持ちで声をかけてきた。
「バザル家からの使者の方がお見えですが……」
現れたのは、昨夜の警備兵とは違う、家の紋章を刺繍した豪奢な仕立て服をまとった壮年の執事だった。彼は一行の前に立つと、恭しく一礼した。
「昨夜の件につきまして、我が主、バザルが皆様と直接お話を、と。急な申し出、まことに恐縮ですが、どうか屋敷までお越し願えませんでしょうか」
再び訪れたバザル家の屋敷は、夜の華やかさが嘘のように静まり返っていた。通されたのは豪奢な応接間。重厚な調度品に囲まれたその部屋で、当主と娘のヴェリナが一行を待っていた。
「よく来てくれた。昨夜の働き、改めて礼を言う。君たちがいなければ、我が家に伝わる“あれ”は、今頃盗人の手に渡っていただろう」
当主の言葉に、ルードが代表して口を開く。
「我々は、なすべきことをしたまでです。それよりも、侵入者の目的であった“あれ”とは……」
「うむ……。教会とも協議の上、君たちにすべてを話し、そして、一つの依頼をしたいと決めたのだ」
当主は傍らのヴェリナに目配せをした。彼女は一つ頷くと、静かに、しかし凛とした声で語り始めた。
「……あの宝物庫に収められていたのは、《リオ=アルミナ》と呼ばれる魔具です。それは、かつてこの大陸で暗躍した“深き目の徒”という教団が用いていた、“遺跡”を開くための鍵、と伝えられています」
「遺跡……?」
リアンの呟きに、ヴェリナはこくりと頷く。
「彼らが儀式を行った場所、あるいは、何かを隠した場所……。教団はこの魔具を使い、大陸各地に点在する拠点を渡り歩いていた、と」
「では、昨夜の侵入者は、その“深き目の徒”の生き残りか、あるいは関係者……」
ルードの推測に、当主が重々しく口を挟んだ。
「その可能性が高い。だからこそ、このまま魔具を屋敷に置いておくのは危険と判断した。そこで、君たちに、この魔具の調査と、その行き先……“遺跡”の捜索を依頼したい」
「我々に……ですか?」
思わずエイリンが問い返すと、当主は力強く頷いた。
「そうだ。昨夜の働きを見て、確信した。君たちのように、それぞれが卓越した技能を持つ者たちこそ、この任にふさわしい」
一行は再び、屋敷の地下深くへと案内された。
厳重な封印が施された祭壇の中央に安置された《リオ=アルミナ》を前にした時、誰もが息を呑んだ。
それは、鈍い銀色の輝きを放つ、複雑な環状の装置だった。精緻な金属細工が幾重にも重なり、中央には淡い光を宿した水晶が嵌め込まれている。そして、その縁には、誰も見たことのない奇妙な文字がびっしりと刻まれていた。
「……これは……」
ルードが眉をひそめ、誰もがその禍々しくも美しい魔具に言葉を失った、その時だった。
「……魔界語、ですね」
ぽつりと呟いたのは、今まで黙って魔具を見つめていたフィアだった。一同の視線が、一斉に彼女に集まる。
「フィア、読めるのか!?」
「……独学で、少しだけ」
彼女は小さく応えると、祭壇にそっと近づき、指でその文字をなぞり始めた。その横顔は、いつになく真剣だ。
「“境界は、血によりて開かれん”……そう、刻まれてる」
「血、だと……?」
レンが忌々しげに呟く。その言葉の不吉な響きに、その場に重い沈黙が落ちた。
「……ねえ、一度、宿に戻らない?」
その沈黙を破ったのは、腕を組んで面白くなさそうに壁に寄りかかっていた、ミアルヴィだった。
「宿に? どうしてだい、ミアルヴィ」
リアンが問いかけると、彼女は猫のようにしなやかな動きで一行に背を向けた。
「ちょっと、気になることがあるだけ。……もしかしたら、何か分かるかも」
その言葉には、確信めいた響きがあった。ただの気まぐれではない。誰もが、そう感じ取っていた。
ルードが静かに頷く。
「……分かりました。一度、宿へ戻り、我々で方針を協議いたします」
当主からの正式な依頼を受け、一行はバザル家の屋敷を後にした。
屋敷の門を出て、オストヴァルの街並みを見下ろす坂道を下りながら、リアンが天を仰いで芝居がかった声で言った。
「さて、と……。どうやら俺たちの“冒険”が、いよいよ本格的に始まる、というわけだ!」
その声は、これからの苦難と、そしてまだ見ぬ謎への期待に満ちて、青空へと吸い込まれていった。




