第6話 違う、そうじゃない
「も〜ほんとに美味しそうなご飯ばっかりで辛いんです〜!すぐむくむ体質なので控えてるんですが、今回ケータリング全部美味しそうなのばっかりで〜!」
すぐそばでビハインド映像用の撮影がされていて、私は息を潜めながらお茶を飲む。
微笑ましいやりとりが展開され、今日もわくわくしながら撮影を楽しめている。
「ご飯といえば、ミョソンさんが美味しそうに食べる天才なんですよ。本当に美味しそうに食べるんだよね、ミョソン」
ふいにジェヒョンさんから話題が振られ、スタッフさんの持っているカメラが少しこちらを向く。
「えっ!あっ!はい、すみません!すごく美味しいのでめちゃくちゃ食べちゃってます!」
咄嗟にしどろもどろで答え、あははははと笑う。
にこにこと笑うジェヒョンさんとは別に、なぜだかソヨンさんの視線は鋭く感じる。
「え〜〜〜〜うらやまし〜〜〜〜」
「ね、いいよね。どんどん食べてね!」
はは、、と笑うそばからカメラの画角から外れて安心する。
「ジェヒョンせんぱぁい、私にも食べられるヘルシーなメニュー増やしてくださいよお」とソヨンさんが言いながらジェヒョンさんの腕にくっつく。
…!?
なんかいま心臓のあたりがギュってなったな…と思いながら、深呼吸する。
体調不良などではないことを願うが、昨日もしっかり寝たので大丈夫なはずだ!
体調面の心配なんてどこ吹く風、という感じで今日もたっぷりお昼ご飯を食べ、順調に撮影が進んだ。
ふと見にきたシーン撮影の最中に、ジェヒョンさんの様子が気になった。
時折、少しだけ辛そうな表情をしている気がする。
カットがかかり、映像チェックのため一旦休憩となったところでセット裏に来たジェヒョンさんに声をかける。
「お疲れ様です!」
「ミョソン!お疲れ、もう今日はあとちょっとだね。」
「はい。あの、勘違いかもしれないんですけど、ジェヒョンさんもしかして体調悪かったりしますか?」
「え?」
「違ったらすみません、なんか少し辛そうな感じがしたので…」
「すごい、よく分かったね。実は偏頭痛っぽくて。でも薬効いてきてるからすぐ楽になると思う。」
「そうなんですね!難しいかもしれないですが、無理しすぎないでくださいね。」
「ありがとう。」
薬を飲んだなら少しは楽になるだろうし、私にできることは無いな…と思ったところで昨晩のミョソンとのやりとりを思い出した。
「あ、あの、」
「ん?」
「少しだけでいいので、手を出してもらってもいいですか?」
「手?…こうかな?」
ジェヒョンさんが右手の平を差し出した。
私は両手の親指で、ジェヒョンさんの親指付け根あたりを押す。
(モチ、モチ、おもち、元気になーれ)と小声で唱えながら。
「…祖母がよくやってくれたんです。元気になる魔法のツボだよって。気休めですが、おまじないみたいなものでも気が楽になればと思いまして…」
「…ありがとう。いいね、これ。また体調悪い時にもやってくれる?」
「…!はい、もちろんです!いつでも!」
明らかに大した効果はないだろうけど、少しでも役に立てれば、と思う。
喜んでくれたようで良かった。ありがとうおばあちゃん…。
その後の撮影も無事に終わり、帰り支度をして撮影所を後にする。
歩いて駅に向かっていると先日見かけた車が近寄ってきて、ジェヒョンさんが声をかけてくれた。
「お疲れ様!乗って行かない?」
「お疲れ様です、っていやいや!」
「魔法のツボのお礼にさ。」
「いえ、そんな大したことしてませんし、」
「それにさ、ジュンソが車を買ったばかりって考えたら、友達を乗せて送りたがると思うんだよね〜…。そう思ったらさ、乗りたくない?」
「うっ………!」
案の定その発案に私は釣られ、まんまと言いくるめられる形で助手席に座った。
ジェヒョンさんは多分交渉術の才能もお持ちだ。
車を運転するジェヒョンさんは、それはまあカッコ良い。しかも今日はこれからまだ別のお仕事があるらしく、ジャケット姿だ。
なんだか大人になったジュンソの車に乗せてもらっているようで、胸が熱くなる。
…けどそう思うと、本来ここに座って、笑いかけてもらえるのはユラのはずだ。
…?!
ん、また心臓付近がギュってなったな…?
くそっ、やっぱり体調不良の兆しか?!今日はいつも以上に早く寝よう!!
「…ミョソンはさ、次の作品とか決まってるの?」
「あ、えっと、決まってないです。というより、そもそもこのまま女優をやっていけるか正直分からないなと思っています…。できれば頑張ってあげたいなとは思うんですけど…」
「頑張ってあげたい、って、なんだか人ごとみたいな台詞だね」
はにかんでそう言うジェヒョンさんに、違った伝わり方になってしまったと焦る。
「あ、いえ、人ごとみたいな言い方になってしまいましたが、人ごとというよりも責任感から、と言いますか…」
「そうなの?」
微笑みながら優しく話を聞いてくれるジェヒョンさんに、なんだか少しだけ、胸の内を明かしたくなってしまう。
「…どうしたらいいか、分からないんです。ミョソンの夢を叶えてあげられる方向に動きたいのに、自分には才能は無いし、それに、このままではだめだと言われて、見た目を変えることも勧められたりして。このままだったとしても、上手くいかないって分かってるから、余計にどうしたらいいのか、分からなくて」
女優・ミョソンの夢の話にかこつけて、本当はこの入れ替わり自体が、どうしたらいいのか分からないということを漏らしてしまう。
「……僕も同じだ。」
「え?」
「…こないだ話したみたいに、スカウトしてもらったのはラッキーだったなと心の底から思ってるんだ。でもたまに、ふと、不安になるんだよね。見た目だけでここまでトントン拍子で来てしまって、ずっとこのままっていうわけにはいかないことなんて、僕も、みんなも、分かっているはずなんだ。それでたまに、僕は、顔に傷でも付いたら価値が無いに等しいような気になっちゃうんだよね。」
前を見つめるジェヒョンさんの横顔が、対向車のライトに照らされて所々光る。
「……そんなことないです。」
「ん?」
「そんなこと、絶対にありません!!!!」
信号待ちで停車した車内が暗くなり、お互いの目線が分からないが、目を見て伝える。
「ジェヒョンさんが、見た目だけでここまできたなんてこと絶対に有り得ません!!ここ数日ではありますが、撮影の様子やお話してくださったことから十分に伝わってきました!!!」
「…」
「ジェヒョンさんは情熱を持って、周りの人と信頼関係を築きながら、作品により良いアイデアや影響を与えられる人です!その姿はまさに創作者のあるべき姿です!!!!ジェヒョンさんの生み出した作品を、こんなに、愛してくれる人がどんどん増えているということは、ジェヒョンさん自身を、中身を含めて、評価する人が増えているということです!!」
「…」
「顔に傷が付いても、声が出なくなっても、ジェヒョンさんはジェヒョンさんとして、きっと世界中から愛される、ものすごい作品を世に生み出し続けるに決まってます!!私が保証します!!!!」
興奮気味にここまで一息で喋り、呼吸が少し荒くなってしまった。
対向車のライトが差し込み明るくなった車内で、私たちの視線が交差していることが分かる。
「…ありがとう。本当に。ミョソンに言われると、大丈夫っていう気がしてくるな。」
「いや、本当なんですよ…!きっとみんながそう思ってますよ。」
はは、と笑いながらジェヒョンさんが前を向く。
「ミョソンがそう思ってくれてるってだけで十分すぎるくらいだよ。」
家の近くまで送ると言われたが、お仕事に向かうのに迷惑はかけられないと思いお願いした、少し手前のターミナル駅に到着した。
「すみません、お忙しいのにここまで送っていただいてしまって。それじゃ次はロケの時ですね!」
「そうだ、あのさ、明日オフだよね?」
「あ、はい。夕方までバイトです!」
「ちょうど良かった。バイト終わり迎えに行くから映画見に行かない?」
「え、いやいやいやいや!」
「ちょうど『Dancing on air』のリバイバル上映やるところがあってさ、限定公開なんだって。君が行くなら僕も行けるなーと思ったんだけど…。頼みを聞くと思って一緒に行ってくれない?」
参った…この…推しのお願い顔に弱いのだ。
一人だと目立つとかチケットが買えないとかあるんだろうか…?
「ねえ、頼むよ」
「…分かりました、行き、ます。」
「良かった。ありがと。」
見たかった映画が見れるのは嬉しいし、流石に一般人の私が一緒にいても関係者にしか見えないだろう、と言い聞かせる。
けど、隣の席で、私の心臓は映画の邪魔をしないだろうか。
*
**
***
リバイバル上映されるという映画館は、雰囲気の良いノスタルジックな場所で、古めかしさの中に歴史を感じる内装にワクワクする。
館内を見渡してみて気付いたのだが、他のお客さんが見当たらない。
閑古鳥が鳴いているのか…?と、気になって、座席についてからジェヒョンさんに尋ねてみる。
「ここってものすごい穴場とかなんですか?全然お客さんいないですね…」
ふふ、と悪戯っぽくジェヒョンさんが微笑んだ。
「ここのオーナーと知り合いだから、たまに頼んで貸切にしてもらってるんだ。限定公開って言ったのは嘘だよ、ごめんね。また見たい時にはいつでも来よう。」
This is THE スターといった行動に開いた口が塞がらない。
こんな素敵な映画館で、自分たちだけで映画を見られるなんて…!
真ん中に座る私たちの姿が、スクリーンに照らされた。
*
「やっぱり良かったね…。はは、大丈夫?」
終演後、声をかけてくれるも、私は余韻と涙がすごくて、ため息しか出てこない。
「水買おっか。少しゆっくりしても大丈夫だし、落ち着いたら行こう。」
そう話しかけてくれるジェヒョンさんの顔を見ると、思わずジュンソとリンクしてしまってさらに涙が出てきた。
「すみません、この作品自体がめちゃくちゃに良かったんですけどジュンソが、」
「ん?」
「『Dancing on air』のマイにとってのキリトが、ジュンソにとってのユラと重なってしまって…。ジュンソがお母さんに見つけて欲しくて描き続けた、呼吸みたいな行動自体を、ユラは “ すごい ”って評価して包み込んであげていて…。」
「うん」
「それに、マイがキリトの感受性に素晴らしさを感じている描写を見て、すいません自分語りになっちゃうんですけど、なんていうか、わたキャンを見て感じた気持ちとかを、私のそういう感性を、受け止めてもらったような気持ちになれて…すいません涙が止まりません!」
そう言いながらカバンからティッシュを出そうとしたら、
ふいに、ジェヒョンさんの手が、頬に触れた。
ジェヒョンさんの指が、涙を拭う。
「…やっぱり、君と一緒に見られて良かった」
「あの、」
「あ、ちょっと待って、まつ毛が付いてる…」
ジェヒョンさんの顔が近づく。
透き通った瞳に、目が行ってしまう。
「とれた」と微笑みながら、ジェヒョンさんがフッと吐息でまつ毛を飛ばす。
もうまつ毛は取れたはずなのに、ジェヒョンさんの顔は近いままで、瞳が私を捕らえてきた。
「す、すいませ」
「あのさ、感動してくれているところ申し訳ないんだけど」
「はい」
「今日一緒に映画を見たのが、ジュンソじゃなくて、僕だってこと、ちゃんと分かってるかな?」
にこっと笑うジェヒョンさんの顔しか見えない。
制服姿の時とは違う、ラフな前髪。
ドラマでは分からなかった、香水の匂い。
目の前にいるのが、ジェヒョンさんでしかないということがやけに鮮明に浮き上がってくる。
「めっっっっっっっっっっっちゃ分かりましたすいませんまつ毛ありがとうございました!!!!!!!!!!明日早いんで帰りましょうか!!!!!」
そう言いながら席を立って、足早に外に出る。
持っていたハンカチで涙を拭きながら顔を覆う。
さっきから心臓の音がうるさい。
ぎゅっと締め付けられるのも、どこどことドラムみたいに早い心拍音も、全部気のせいだ。
これは、恋では無い。
推しなんだから。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
作中に出てくる作品登場人物の名前がたくさんあってなかなか分かりにくいですよね…すみません。
次項に『Dancing on air』の参照資料的なものを掲載しますので、ご覧いただけると幸いです。
本編続きも楽しんでいただけると嬉しいです。
2025.4.6. 海野