第4話 推し、襲来
初のフルバイト日は、そこまで困ることもなく無事やり遂げることができた。
正確には初出勤なカフェバイトだったけど、自分自身の日本でのバイト先とかなり勝手が似ていて、楽しみながら働くことができた。
それに、韓国ドラマで見ていた通り本当にアイスアメリカーノやラテの注文がほとんどということで、日本と違うコーヒー文化を感じられたのも面白かった。
個人的にはハンドドリップが好きなのだけど、こんな機会はまず無いから、すごく新鮮だ。
台詞が増えた件について、一応所属事務所側は快諾してくれたみたいで、「まぁがんばれよ〜」と応援してくれている。
けど、その分撮影スケジュールも増えたので、カフェのシフトは調整してもらう必要があった。
どうしても、というところは午前だけ、午後の数時間だけでもシフトに入る感じになったけど、かなり融通をきかせてもらえたのでありがたい。
…よし。
明日はバイトからの撮影で、友達役の初日だ!!頑張るぞ…!
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「おはよう!ミョソン。今日からいよいよだね。」
午前中のバイトを終えて撮影所に来て早々、ジェヒョンさんに会えた。
これだけで今日は運勢が良い感じがする…!
「おはようございます!はい!頑張ります!」と勢いよくお辞儀をしたところで思い出した。
バイトから直接来たからパーカーにスウェットというめちゃくちゃにラフな格好だし髪もボサボサだった…!
そそくさと髪を手櫛で整える。
「すみませんこんな格好で…バイトから直接来たもので…」
「そうなんだ!それはお疲れ。バイト何やってるの?」
「カフェでコーヒー淹れてます!」
「そうなんだ!いいね、どんなカフェなの?」
「こじんまりした渋めのカフェですね。私ハンドドリップ淹れるのが好きで、一応ハンドドリップもあるにはあるんですけど、ラテとかばっかり出るのでなかなか新鮮で面白いです!」
「ほんとに!僕もハンドドリップ派だよ!」
「え、そうなんですね!!良いですよね〜。まあコーヒーなら結局はなんでも美味しいんですけどね」
「良いよね〜、今度行ってみたいな〜。」
「あはは、ぜひぜひ」
こうやって撮影の合間に他愛も無い会話をする感じ、なんだか “ 俳優仲間 ” って感じがして嬉しいっ…!(すみません、一般人、わきまえます)
「なんてカフェ?」
ビジネストークだと思って、喜びを愛想笑いで隠していた私はびっくりしてしまった。
「え?いや、あの…私が言うのもなんですが、ほんとに大したカフェじゃないですよ!」
「行きたいからさ。名前教えて」
まあさすがに忙しいジェヒョンさんがいらっしゃることはないだろう…と、一応バイト先の店舗名をお伝えし、撮影の準備に向かった。
今日から始まった改稿版台本での撮影は、練習の甲斐あって大きなNGなく進めることができた。
私が演じるキャラの設定変更は、ストーリーの大筋に影響は与えないながらも、メインキャラクターの個性がより視聴者に伝わるような内容となっていた。
ジェヒョンさんの提案で、より「わたキャン」が良い作品になった。
こんなの、推しを推し直してしまうってもんよ…。
推しの才能に崇拝の念を向けた1日が無事終了し、もはや日課となっているミョソンへの報告のことを考えて撮影所からしばらく歩いていたら、横に一台の車がゆっくりと寄ってきて、私の歩調に合わせるように停まった。
高級そうな黒い車の窓が開いて、何かと思ったら、なんとハンドルを握るジェヒョンさんが運転席から声をかけてきた。
「お疲れ、ミョソン!もし良ければ乗ってく?近くまで送るよ」
「えいやいやいやいやそんな恐れ多いですよ!!!お気遣いなく!!!」
運転席から覗き込むような姿勢の推し可愛い!!!!かっこいい!!!!という気持ちと、恐縮の感情がデットヒートする。
「いやいや、気を遣ってるわけでは、」
「本当に!!!私は大丈夫ですので!!!!!ジェヒョンさんゆっくり休んでください!!!!!ただでさえお忙しいと思いますので!!!!お疲れ様です!!!!!失礼します!!!!!」
と一方的に捲し立て、深々とお辞儀をして足早に駅へ向かう。
退勤後に私なんかのために時間を取らせてはいけない!
実は、入れ替わり前に「わたキャン」を狂ったように見ていたタイミングで目に入った出演者による対談記事の中で、ジェヒョンさんが過労で倒れかけたエピソードがあったのだ。
追い越して行ったジェヒョンさんの車が目に入り、「毎日忙しい中、作品に情熱を注ぎ続けるジェヒョンさんが、少しでも休めますように」と心の中で唱えた。
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今日は1日フルでバイトなので、合間を縫って台本に目を通していく。
やはりこじんまりカフェなのでそこまで混まないのがありがたい。
おだやか〜な勤務時間も終盤に差し掛かったところで1名のお客様がカウンターにいらした。
キャップを目深に被り、マスクをつけた男性だ。
「いらっしゃいませ。ご注文をお伺いします。」と声をかけると、男性客はマスクをずらした。
「来てみたよ。おすすめとかある?」
「ジェ!!!!!…ジェヒョンさん…!」
突然の推しの供給に心臓が飛び出るかと思ったが、どうにか声のボリュームを抑える。
撮影の日は心構えができているが、まさか自分の日常に推しが登場するなんて、寿命が縮む!!!!
「よく休めって言われたからさ。休みにきたんだ。」
「そ、そうですか…!すみません、こんな普通のカフェに…。けどコーヒーは美味しいので、ぜひ…えっと、個人的なおすすめは本日のハンドドリップコーヒーですね。今日はエチオピアで、フルーティな味わいになってます。」
「いいね、それでお願い。」
「かしこまりました。テイクアウトですよね?」
「いや、ここで飲んでいくよ。」
「あ、それならあちらの席にどうぞ。あそこの席なら、マスク外しても大丈夫だと思います!コーヒー出来次第お持ちしますね。」
会計を済ませながら、ジェヒョンさんに奥まった半個室のような席を促し、丁寧にコーヒーを淹れる。
案内した席はカウンターからは見えるので、バイト先で視界に推しがいるという状況に、こそばゆい気持ちになる…。
全身ブラックでオーバーサイズシルエットなのにラフすぎず、清潔感のある印象を受ける。
オフの推し、た、たまんねぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!
コーヒーを提供した後、ジェヒョンさんはなにやらPCを開いて作業をし始めた。
こんななんてことないカフェでも、映画のワンシーンみたいになってしまうんだな…とため息が出る。
『私たちのキャンバス』が好きになり、ジュンソをまず推したけれど、もう完全に、ジェヒョンさん自体が推しになっている。落ち着いたらジェヒョンさんが出ている作品を全部網羅しよう、と心に決めた。
もうすぐ閉店のガランとした店内で締め作業を始めた私に、帰り際のジェヒョンさんが声をかけてくれた。
「コーヒーものすごく美味しかったよ。人生で1番かもってくらい。」
「え!良かったです!1番は言い過ぎですよ…!」
「ほんとにほんとに。それに、ペーパーカップに描いてくれた絵、可愛いね。これタカハシだよね。」
せっかく来てもらったからと、提供用のカップに『COBALT BLUE』のキャラクターを描いてみたのだ。
主人公の近所に住む、偏屈な老人彫刻家の「タカハシ」というキャラで、コミカルな顔をしていて、あれなら描けるかも、と思ったのだ。
「そう、タカハシです!気に入ってくださって良かったです。」
「これ持って帰らせて。家に飾っとく。」
「え、そんなそんな!」
「あ、ねえ、ハンドドリップを淹れる時のコツとかってあるの?」
「コツですか?」
「うん。本当にすごく美味しくて、自分で淹れたのと全然違うから、何か特別なコツとかがあったら知りたいなって。」
「いやぁ、普通に淹れてるだけなんでコツなんてほどのものは無いんですけど…。そうですね…。“じーっと見る”、ですかね。」
「じーっと見る?」
「はい。お湯を注いでる中で、豆が膨らむじゃないですか。その時の造形が生き物みたいに少しずつ変わるのがすごく綺麗だから、その様子を、じーっと見ながら淹れてる感じです。」
「…生き物か…確かに。面白いね。僕もそうしてみる。ありがとね、また撮影で。」
「うまく説明できなくてすみません。はい!また撮影日よろしくお願いします!」
ありがとうございましたー、とジェヒョンさんを見送って、締め作業に戻る。
オフの推しを拝めて、その上コーヒーを美味しいと言ってもらえるなんて……
なんてご褒美なんでしょうか!!!!!!!!
神様、もしいらっしゃるなら、このヘンテコな入れ替わりに難癖つけたこと謝ります。
明日からの撮影も精一杯頑張ります……!
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「おはよ、昨日はありがとね。」
「おはようございます!!!いえいえこちらこそです!!!」
撮影所に来て、朝から推しを拝める幸運に勝るものはないぜ…、と、今日も幸せを噛み締める。
慣れない撮影もこのおかげで乗り切れておりますっ!
「また行くね。と言うより多分通っちゃうと思う。」
「あ、え、あの、バレない程度であればぜひ!もしファンの方とかに広まったらジェヒョンさん大変だと思うので。」
「はは、それを言うならミョソンだって、そろそろ反響あるんじゃない?」
「え?いやいや私は一般人ですので!」
「一般人?」
…やばい!!!ミョソンは女優だった!
と、すっかり自分が成りすましていることが頭から抜けた発言をしてしまっているのに気がついた瞬間、ジェヒョンさんが声を出して笑い出した。…どこかにツボポイントがあったのだろうか?
「すいません!変なことを言いました…。」
「いやいや、違うんだ。君が一般人、って言うなら僕もそうなんだって思えて嬉しくて」
しばらく笑ったジェヒョンさんがにっこにこ笑顔で笑いかけてくる。
「いやそんなバカな!!!!!ジェヒョンさんは大スターじゃないですか!!!!!!」
「いや〜!実は僕一般人なんですよ〜!」
いたずらっぽく笑う推し、尊すぎる。
ドラマでしか見ていなかった推しの、新たな表情。
圧倒的感謝…!!!!!
「あ〜いた!ジェヒョンせんぱぁい!」
「ソヨンか、おはよ。」
推しカップルが朝から揃って目の前で会話してくださり、感謝に次ぐ感謝である!
「先輩、ビハインド映像用の撮影しませんか!次はお互いそれぞれ第一印象とか答えるやつなんですよっ」
「了解。今話してるとこだから、あとでそっち行くよ」
「え〜〜〜、今スタッフに待っててもらってるんですけどぉ〜…ちょっとだから、お願いしますぅ。」
ソヨンさんの潤んだ瞳が困り顔に映える。
こ、こんなおねだり顔を誰も撮影してなくていいんか?!?!
ショート動画でめっちゃ再生回るだろこれ!!!!
「…私!!着替え行ってきますので、失礼しますね!!」と会釈をして二人の元を離れる。
どんなビハインド映像がアップされるか楽しみにしながら撮影の準備をする。
しばらくしてセットの方に行くと、ちょうどジェヒョンさんがインタビューを受けていた。
「ソヨンにプレゼントするならか……そうだな〜…色鉛筆ですかね。ユラは絵が得意じゃないけど、色鉛筆でなら絵が描ける設定があるのでソヨンにもあげようかな。」
「…オッケーです!ジェヒョンさんありがとうございます。次、ソヨンさんにも同じく5個の質問になります。」
「はぁい♪」
「じゃあまず、ジェヒョンさんの第一印象ですが…」
と、スタッフさんがソヨンさんにカメラを向けたところでジェヒョンさんがこちらに視線を向け、目があった。
ジェヒョンさんはにこっと微笑み、スススーとその場を離れこちらに向かってくる。
「ミョソン、一個相談なんだけど」
「あれ、インタビューいいんですか?」
「うん、僕のとこ終わったから。あのさ、ジュンソと仲が良い友人たちの間で共通の挨拶みたいなのがあったらいいんじゃないかなと思うんだけどどうかな?ハンドサインみたいな。」
「ああ!握手してハイタッチとかみたいなやつですよね!え、めっちゃ良いと思います!」
「だよね!あとでみんなで考えよう。」
ジェヒョンさんはやっぱり作品をより良く膨らませる天才だ…。
そこに私も関われているなんて、本当に嬉しいな。
そんな喜びに浸りながら撮影は順調に進んだ。
一通り自分の出番の撮影が終わり、ほっとして休憩していたところで、ソヨンさんから声をかけられた。
「ねえ」
「!ソヨンさん!お疲れ様です!」
「あなた台詞増えたんだってね。頑張ってね。」
「はい!ありがとうございます!頑張ります!」
ヒロインから激励をいただけるなんて…!感無量だ…!
「…あたし、ジェヒョン先輩との共演ずっと狙ってたの。だってあたしたちめちゃくちゃお似合いだと思わない?年末の大賞で、ベストカップル賞狙ってるのよね。だからできるだけ二人で」
「分かります!!!!!!!!!!!!!」
「は?」とソヨンさんが豆鉄砲をくらった顔をする。
「ジェヒョンさんとソヨンさん、めちゃくちゃお似合いです!!!!しかも演じてるのがジュンソとユラで、私、作中の二人の雰囲気と、撮影裏のお二人の雰囲気のギャップに正直ものすごく興奮しておりまして、これは絶対ベストカップル賞いくなと思ってたんです!!!!!!撮影でお二人の姿を拝むことができて本当に夢みたいです!!!!!!!」
「…あ、そう。」
「自分にできることなんて本当に全然無いんですけど、わたキャンを良いものにできるよう精一杯頑張りますので、引き続きよろしくお願いしますっ!!!!」
「ふん。ま、せいぜい頑張って。」
「ありがとうございます!お疲れ様でした!」
…あの大天使・ソヨンさんとも会話をしてしまった…!
本当にこんなに幸せでいいんだろうか…!
今日も大収穫であった旨をミョソンに伝えよう。
それから次の撮影に向けて練習もしておこう。
数日はカフェ出勤が続くから、いっぱい練習できるはず。
ソヨンさんやジェヒョンさんからの期待を、裏切るようなことがないように!
よし!!!!!!!!!!!
ここまで読んでいただきありがとうございます。
韓国はアイスアメリカーノが人気という記事を以前見かけて、日本とのコーヒー文化の違いに興味深さを覚えたんですが、ここで使えることになるとは。ラッキーでした。
時間経過の表記に揺れがあったりしてすみません。
後日揃えます。
続きも読んでいただけると大変嬉しいです!
2025.4.6. 海野