推しからきみへ(2)
数日の撮影を経て、ミョソンが友達役として参加する日を迎えた。
ぜひ頑張って欲しくて声をかけたところ、彼女はバイト終わりに直接現場に来たのだと教えてくれた。
バイトについて話しを聞く中で、彼女がハンドドリップコーヒーを淹れるのが好きだと分かり思わず興味が湧いて、彼女が働いているというカフェの名前を聞いた。
その後の改稿版台本での撮影については順調に進んで、演技が苦手だと言う割に大きなNGを出さず監督の指導を熱心に受ける彼女からは努力を感じた。
彼女自身は全くそんなことには気付いていないが、彼女のお陰でまた少しこの作品が良いものになっていた。
撮影終了後、ウノさんと一緒に駐車場まできたところで撮影所から出ていくミョソンの姿が目に入った。
「ジェヒョン今日はもう終わりだよな。飯でも食ってから家まで送るか?」
「ウノさん、今日はもういいよ。自分で運転して帰るから」
「は?」
ほぼウノさんの運転で移動している僕がそう言うのは珍しいのか、ウノさんがびっくりした様子でいるのを放って駅までの道を走らせる。
ミョソンに追いついたところで速度を落とし、彼女に声をかけた。
良いアイデアをくれて、急な台詞変更にも頑張って対応してくれた彼女を労おうと車で送ることを提案したが、即座に断られる。
「えいやいやいやいやそんな恐れ多いですよ!!!お気遣いなく!!!」
いやいや、気を遣っているわけではなくて、とすぐに言葉が出たけれど彼女は頑なに断ってきた。
「本当に!!!私は大丈夫ですので!!!!!ジェヒョンさんゆっくり休んでください!!!!!ただでさえお忙しいと思いますので!!!!お疲れ様です!!!!!失礼します!!!!!」
そう言ってスタスタと駅に向かって歩いていく彼女の姿を目で追う内に、どうして気遣いではなく単純に送ろうと思ったのか、なんとなく分かった気がした。
大抵の場合、僕と喋る人は僕に何かを望んでいることが多い。
笑いかけてほしいとか、もっと話したいとか、ビジネスに繋げたいとか自分を知ってほしいとか。
そういった望みは言葉にされていなくても、僕に向けられた表情や態度、会話から伝わってくる。
僕が俳優ユン・ジェヒョンになってからは、もはや当たり前のことだった。
けれど不思議なことに、彼女からはそういう望みみたいなものを一切感じないのだ。
僕にとってそれはとても久々の感覚だった。
翌日、早速撮影終わりにミョソンのバイト先に来てみた。
彼女はどうやらまさか本当に僕が来るとは思っていなかったようで、ものすごく驚いた表情を見せてくれて面白い。
案内してもらった席から店内を見渡してみて、どこか懐かしい気持ちになった。
こういう普通のカフェでゆっくり過ごすのは本当に久しぶりだ。
カウンターに目をやると、ミョソンが僕の注文したコーヒーを淹れているのが見える。
優しく、楽しそうな顔をしながら。正しい表現が見つからないが、コーヒーを「愛ている」というのに近い感じがする。
僕は、しばらく彼女から目が離せなくなった。
彼女がコーヒーを淹れている姿をとても美しいと思った。
そして彼女がそんな美しい人だということを、僕はとっくに知っていたような気がした。
ミョソンが淹れてくれたコーヒーは驚くほど美味しくて、なぜかあの中学1年の夏の、日本の喫茶店で飲んだコーヒーを思い出した。
飲み慣れないコーヒー、異国の地、『COBALT BLUE』。
幼い僕の心のワクワクが詰まった、大人の味がしたあのコーヒー。
帰宅して、テーブルに置いたペーパーカップに描いてあるタカハシを見て彼女の言葉を思い返す。
「お湯を注いでる中で、豆が膨らむじゃないですか。その時の造形が生き物みたいに少しずつ変わるのがすごく綺麗だから、その様子を、じーっと見ながら淹れてる感じです。」
彼女の目を通して見る世界は、きっとすごく美しいんだろうな、と思わず笑みが溢れる。
翌撮影日、ミョソンに声をかけて「昨日はありがとう」とお礼を言う。
通わせてもらうかもと伝えたら、彼女が僕を気遣って周りにバレないようにと言ってきた。
そんなことを言えばミョソンだって女優ではあるし今回の放送で視聴者の人に顔が割れるだろうから大変だろ、と思ったらすかさず彼女が言った。
「え?いやいや私は一般人ですので!」
「一般人?」
思わず声を出して笑ってしまった。
僕が知っている女優や俳優の人たちは、心臓に「芸能人」というタトゥーを入れているかのような人ばかりだった。彼らが今の言葉を聞いたらきっと顔を真っ赤にして怒るだろうな!そう思ったら笑いが止まらなかった。
それに彼女がそう言うと、まるで僕自身もそうなんだと思えて、嬉しくなった。
「すいません!変なことを言いました…。」
「いやいや、違うんだ。君が一般人、って言うなら僕もそうなんだって思えて嬉しくて」
「いやそんなバカな!!!!!ジェヒョンさんは大スターじゃないですか!!!!!!」
「いや〜!実は僕一般人なんですよ〜!」
女優さん相手に、子どもみたいに冗談を言って笑えるなんて、こんなこと初めてだ。
そう喜んでいたらソヨンに声をかけられた。
ソヨンはしきりにビハインド映像を撮ろうと誘ってくる。恐らく撮影裏の交流映像で話題になりたいのだろう。作品だけで完結するものではあると思いつつも話題性も必要なので、ビジネススマイルで対応する。
お互いの印象について5個ほど質問に答えていたらミョソンの姿を見つけたのでその場を離れて話しかける。やはり一緒にアイデアを考えてくれるので彼女との会話は楽しい。
「なんでソヨンと一緒にいないであの子に話しかけるんだよ。」
「なにが?」
「だから、主演のソヨンともっと絡めよって。年末のベストカップル間違いなしって言われてるんだから、ちゃんとそこ狙って行った方がいいぞ。」
「ユラとジュンソがベストカップルなら何もしなくても獲れるだろ。」
「甘く考えすぎだって。ていうか何もしないならそうかもしれないがあの子とばかり喋ってたらそれも怪しくなるぞ。」
「関係ないって。ウノさんこそ考えすぎ。」
「熱愛報道なんかは出すなよな。」
「だから違うって。」
仕事仲間と喋ってるだけで色々勘繰られるだなんて、改めてここは面倒な世界だな。
監視の目が無い外で喋る分には問題ないか。
次の撮影日の仕事終わり、またミョソンのカフェに来た。
真面目な表情でレジと睨めっこしていた彼女が、僕が来たのに気付いて笑顔を向けてくれて嬉しくなる。
そんな嬉しさからもう少し話したくなってご飯に誘ってみたら、彼女は案の定断ってきた。
だが彼女を説得する方法はなんとなく分かってきていたので僕は悪びれもせず『私とキャンバス』を悪用してしまう。出演者なのに作品ファンでもある彼女はまんまと誘いを受けてくれた。
やっぱり美味そうに食うなぁ…と彼女が食事している様子を微笑ましく眺めていたら、彼女が嬉しそうに言った。
「こういうことするの初めてなんですけど、好きな作品の中のものを味わうのって良いですね。まるでその世界に入ったような気になれて…。しかも、私はラッキーなことに目の前にジュンソのお顔があって…!」
ふと、今食事しているのはジュンソではなく僕だぞ?と意地悪心が働いた。
彼女が食べる分のサムギョプサルを用意して、食べさせてあげる。
きっとジュンソならこんなことしないだろ。
俳優ユン・ジェヒョンを長らくやっているので、自分がどんな振る舞いをすれば女性が喜んでくれるのかを僕はなんとなく分かっているつもりだった。
だからミョソンが少し照れた様子になるのはもちろん予想通りではあったのだけれど、彼女が見ているのがはたして僕なのかジュンソなのか、ということが一瞬気になってしまう。
その後も色々と話をして、彼女は本当に創作が好きな人なのだということが分かった。
僕がどこかで彼女に安心感を覚えるのは、そういう共通点があるからなのかもしれないな。
翌撮影日、今日はミョソンがいるのでビハインド映像の撮影も楽しいななんて思っていたら、ウノさんが珍しく渋そうな顔をして言った。
「なあ、勘違いならいいんだが、一つ聞いていいか…」
「なに、なんかあった?」
「お前恋愛感情とかあるのか」
「なに急に。僕に感情があるかってこと?」
「そういうことじゃねえよ。だから…」
「なんなんだよ、はっきり言ってくれ」
「まさかとは思うが、恋してたりしないよな?」
「はあ?」
「好きな人ができたとか、そんなことないよな?」
「なんでそんなこと聞くんだよ」
「いやもういい、分かった。俺の勘違いだな。うん。お前は分からなくて当然だ。けどいいか、もしも万が一お前が誰かを好きになることがあったら、俺に絶対言えよ?」
「なにそれ笑」
「あのな、いいか?見ただけで顔が熱くなったり、美味いものを食う時には食べさせてあげたいとか、綺麗なものを見る時には見せてあげたいとか、もしそう思うような相手ができたら真っ先に俺に知らせるんだぞ。」
「なんでだよ、ウノさんて俺の親かなんかだっけ?」
「違う、危機管理の問題なんだ。頼むから。」
ウノさんが真剣な顔で僕のプライベートに口を挟んでくるなんて、俳優生活が始まってから初めてのことなので思いきり笑ってしまう。
大笑いした僕に居心地が悪くなったのかウノさんは楽屋から出て行った。
…意外と面白いなあの人。
そんなことを考えていたらふと携帯に電話がかかってきた。
画面を確認すると中高時代の友人からだ。
「もしもし」
ー おう、ジェヒョン、久しぶりだな。その、元気か?
「うん、元気だよ。何か用?」
ー メール見てないか。2年生の時のメンバーで10年ぶりに同窓会しようってなってるんだ。お前の返事がまだだったからそれの確認。
「ああ、ごめん見れてなかった」
ー 忙しいもんな。来ないんだろ?
「…そうだね。行けないかもしれないから、僕は数にいれずに進めてもらって。」
ー OK。そう伝えとくよ。相変わらず大変だなぁラブコメ俳優は。最近のやつ「私となんとか」だっけ?俺の彼女に見させられたんだけどまじですげえな、尊敬するよ。よく鳥肌が立たないで作れるよなあんなもん。お前も演技できるなんてよっぽどだよ。
「…まあね。彼女さんが好きなシーンでも二人で真似してみたら?喜ぶかもよ。」
ー やるかよそんなこと。死んでも嫌だね。それより、そろそろちゃんとした作品に出られるようになれよ?お前も老化には抗えないんだ。おっさんになってもアイドル俳優じゃいられないだろ。
「はは、ありがと」
電話を切ってため息をつく。
作品を好きになるも嫌いになるも自由だが、好きな気持ちを否定することも、それに携わっている人間を否定することも、なぜできるのか理解し難い。
天気も悪いのに、気分まで苦いものになってしまって、最悪だ。
けれど一番最悪なのは、僕の不安が言い当てられてしまっていたことだった。
頭が重くなる。
その後悪い予感が的中して頭痛薬を服用しながら演技シーンに臨んでいたら、ミョソンが体調を心配して声をかけてくれた。
ウノさんは僕が体調不良の時の扱いを熟知していてあえて放っておいてくれるので、あまり周りに不調を気付かせない自分が心配されるのは久しぶりだった。
薬を飲んだから大丈夫だよと伝えたらホッとしたような表情をしたあと、少し恥ずかしそうに、手を出すよう言われた。
(モチ、モチ、おもち、元気になーれ)
僕の手に触れながら、優しくそう唱える彼女に釘付けになってしまう。
涙目になりながら『私とキャンバス』を知れたことへの感謝を伝えてくれた彼女が頭をよぎって、今日の最悪な気分が全て吹き飛んだ。
離れていく彼女を見届けていたら、少し顔が熱っぽくなってきていたことに気がついた。
あとで念の為、体温計を借りよう。そう思っている僕を見てウノさんがめずらしくデカい声を出した。
「いやいやいやいやいや!!!!!」
頼むから俺に運転させろとしつこいウノさんを「熱は無かったし大丈夫だ」と振り払って車を出し、歩いて帰っていたミョソンに追いついたところで声をかける。
相変わらずジュンソに弱いのを利用して、なんとか車に乗ってもらった。
送りながら色々と会話する中で、彼女がふいに悩みを打ち明けてくれた。
このままではいられないと分かっていて、どうしたらいいのかと真剣に悩んでいる彼女に、僕自身の悩みが重なる。
ジェヒョンさんが映ってればもうあとは何でもいいですよ〜と言われるのも、今のうちだけだ。
そう言われることに嫌気がさしているくせに、そう言われること自体も無くなってしまったら?
たまたま出来上がったこの見た目で喜んでくれる人がいるのは嬉しいことではあるけど、この顔が変わってしまったら、僕の価値なんて無いも等しいのだ。
僕が僕自身として、あの頃の自分に誇れる仕事ができる日なんてこのまま来ないのかもしれない。
そんな気持ちを不意に口にしてしまった。
「そんなこと、絶対にありません!!!!」
暗くなった車内で僕の顔が見えていないはずなのに、彼女が僕の目を見て訴えてきているような気がした。
「顔に傷が付いても、声が出なくなっても、ジェヒョンさんはジェヒョンさんとして、きっと世界中から愛される、ものすごい作品を世に生み出し続けるに決まってます!!私が保証します!!!!」
この子は、僕に何も欲しがらない。僕に「僕のままでいて良い」と言ってくれる。
俳優ユン・ジェヒョンに向けて言ってくれた言葉ではあるが、創作に心動かされて涙を流した少年だったころから何一つ変わっていない、僕自身の胸に染み渡った。
瞬間、暗かった車内に光が差し込んで、彼女の顔が照らされる。
彼女自身の光で煌めいているかのようで、瞬きするのも推しい気持ちになって気が付いた。
僕は、この子のことが好きだ。
いや多分、もうとっくに好きだったんだ。
今すぐ抱きしめてこの想いを伝えたいような、それでいて知られたくないような、こんな気持ちを僕は生まれて初めて知った。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
ダイジェスト版的にぎゅっとすると、現在形と過去形の配置がとても難しくて苦戦しております...!
また修正するかと思いますがお許しください...
この後の続きもお読みいただけると嬉しいです!
ご意見・ご感想いただけたらとてもとても幸いです...!
2025.4.20. 海野




