第9話 流星群
撮影の最終日、私はばっちり気を持ち直していた。
数日間続いたバイトの間に台本を読み込む中で、『私たちのキャンバス』という素晴らしい作品に携わることができたというこの奇跡に感謝して最後まで精一杯やりきろう、と心に決めたのだ。
今日は私個人の台詞はないけれど、最終回シーンで出番がある。
破産したユラの両親が海外でなんとか仕事が軌道に乗ってきて、ユラは両親の元へ向かうために韓国を発つことになる。
ユラはジュンソの幸せを願って一方的に別れを告げたまま何も言わずに出発しようとするが、それを止めるためジュンソが学校から急いで駅に向かうのを、私を含めた友人役たちが二人への応援を込めて見送るシーンだ。
私とミョソンが入れ替わる前はまだ最終回放送前だったから分からなかったけど、台本を読んだだけで胸が熱くなった。
普段友人達に感情的なところを見せない王子様なジュンソが、ユラのためになりふり構わず走っていく描写が良いんだよなぁ〜〜〜…!
まだ見れていないシーンを生で見られるなんて、元に戻る前にプレゼントが貰えた気分だ。
そのシーンは校庭での撮影なので、今日は校舎を使ってのロケ。
私はちょろっと撮影したあとは自由時間になって、全工程が終了した後打ち上げに参加する予定だ。
今日飲むお酒はとんでもなく美味いぞ…!
そんなことを考えながらニヤニヤしていたら、さっそく撮影がスタートした。
ーーーーーー
仲の良い友達数人が校庭でジュンソを囲んでいる。
友人の一人がジュンソに声をかける。
ー おいジュンソ、いい加減強がるなよ!今からならまだ間に合うんだぞ?!
ー …分かってるけど、
ー 今行かないと、後悔するぞ?
ー …!
ー この先何年も何年も、今日行かなかった後悔の話で酒を飲むの、俺はまっぴらだからな。
ー …ごめん、ありがとう。行ってくる!
ー 行ってこい!
ー 行け〜!
ー 走れ!ジュンソ!
ー 頑張れよ!!!
ー ユラによろしく!!
校門に向かって走っていくジュンソを、友人達が声援とともに見送る。
ジュンソはしばらくして一瞬振り返り、友人達に感謝するように手を上げて見せ、校舎を後にした。
ーーーーーー
ユラの元へと走り出したジュンソを見送りながら、私は違うことを考えていた。
ただのワンシーン。ただの演技。
それなのに、遠く離れていくこの距離が、私たちの別れのように思えた。
キラキラと日差しが差し込む中を走っていくジェヒョンさんが、あまりに美しくてスローモーションみたいに見える。
やばい。いま目を閉じたら涙が溢れそうだ。
「カット!OKーーーー!このあとの撮影シーン準備してー!」
急いでその場から移動する。
あーーーーーーーーーーー、ダメだダメだダメだ!
笑顔で応援しながら見送るシーンなのに。なんで涙目になっちゃうんだ!
メインの友達役さんの影に隠れてたから映ってはないと思うけど、本当に本当に情けない!
ズンズン歩いて人がいない倉庫の裏まできたところで、我慢していた涙が限界に達し溢れてきた。
…笑顔のシーンで泣くなんて、やっぱり私は入れ替わりが元に戻らなかったとしても女優なんてやっていけないんだ。
しかも、作品を敬愛するファンとして、こんな、作品の流れを汚すような演技をしてしまって…
映ってないかもしれないとはいえ、ファンの風下にも置けない!!!!!!!!!!!
ジュンソがキラキラ輝いて、幸せに向かって進んで行くシーンなのに!!!!!!
なんで…なんでこんなに涙が出てくるんだよぉ!!!!!!!!!!!
止まらない涙とぐちゃぐちゃな頭の中を落ち着けるために深く息を吐く。
「…推しを推させていただいた誇らしさと、推しを諦める悲しさでぐちゃぐちゃだ…。」
「諦めるって何?」
びっくりして顔をあげると、息を切らしたジェヒョンさんが立っていた。
「さっきのシーンで、泣いてるの見えたから気になって来たんだけど」
な……なんであんな遠くで一瞬振り返っただけなのに、メインの友達役の人の影にいたはずなのに、私なんかのことに気が付いてくれるんだ…
だめだ…嬉しい…寂しい…。
「…諦めるって何を?」
ジェヒョンさんが真剣な表情で近づいてきて、思わず後退りしてしまう。
「え、えっと」
「諦めるって、誰を?」
倉庫の壁に背中が着いてしまい逃げ場のない私と、ジェヒョンさんの距離が無くなった。
ジェヒョンさんが腕を伸ばして囲うように立つ。
……顔が近い!!涙がやばい!!頭の中ぐちゃぐちゃ!!
だめだ。もう、嘘がつけない。
「………ジェヒョンさん」
そう言った直後、優しいキスが降ってきた。
世界中が止まったみたいに静まる。
「…君が色々なことを抱えてるのは分かったよ。でも関係ない。そういうことに向き合って悩んでるのも含めて君自身を好きになったんだ。抱えてることもそのままでいいから、僕のこともそのまま受け止めてほしい。」
切実な顔でそう言うジェヒョンさんに、余計に涙が出てくる…。
私の…私のままでいいなんて、そんな嬉しいことあるか…?!
無理、ほんとに無理!!言葉が出ません!!!
うううううう、と泣いている私を、ジェヒョンさんが覗き込む。
「…もう一度しても良いなら、頷いて。」
黙ってゆっくりと頷くと、ジェヒョンさんは私の頬を包み込むように手を添えて、またキスをした。
お互いの唇の熱を、何度か確かめるように。
…ああ…目を閉じてしまっているのでこのシーンが見れません…!
もし、もしどなたか今ご覧になっていらっしゃる方がいるなら、録画をお願いいたします…!
おそらくこれがドラマなら、きっと贅沢に3カットくらいゆっくり流れるでしょうね…!
1:まずは右側からの寄り(ジェヒョンさんの顎のライン美しい)
2:そして引きで全身の画角(スタイル良!!!壁ドン好!!!)
3:最後は、私越しに瞳を閉じているご尊顔のアップ(まつ毛長い肌綺麗お顔美しい!!!)
冷静でいられるはずもない状況にこんなことが脳内を駆け巡ってしまう。
けれど、不思議なことに、
目を閉じているはずの私が一番、この人の全てを感じられているような…そんな感覚になる。
遠くの方から「ジェヒョンさんー?」とスタッフさん達が呼ぶ声がした。
やばい!と思ったのも束の間、ジェヒョンさんは知らぬ間に私の腰元に回していた腕をぎゅっと引き寄せて、「もう少しだけ」とキスの続きを始めた。
さすがにスタッフさんが探し回っている様子が聞こえて来たので行くように促すと、ほっぺやおでこにちゅっと軽く口付けされる。
「打ち上げの後、送らせてね。」
ジェヒョンさんの笑顔が久しぶりに見られて、熱くなった胸の奥に暖かい気持ちが広がった。
見送りのシーンで私たち友人役の出番は終わりだったので、その後はスタッフさんからちょっとしたお花をいただいたり、視聴者の方へ向けてメッセージを撮影したり、クラスメイト役の皆で記念写真を撮ったりと、慌ただしく最終日が終了した。
ほんとすみません正直あのあと記憶が曖昧です…!
そんな感じにバタバタと全員がクランクアップし、飲み屋さんを貸し切った打ち上げがスタートした。
監督さんや脚本家さん、メインキャストの方々が全員の前で一言ずつ挨拶をする。どれだけ熱意を持ってこの作品に携わっていたかが伝わって来て、一人のファンとして胸がジーンとした。
ありがたいことに周りの席に座っている人と楽しく喋りながら過ごしていると、お手洗いに立った隣の人の空席にジェヒョンさんが座ってきた。
周りの役者さんが一斉に挨拶し、皆はお酒を注ぎ合い、ジェヒョンさんは運転があるのでソフトドリンクで乾杯をする。
楽しんでますか、と気さくに役者さん達に話しかけながら、ジェヒョンさんがなんとテーブルの下で私の手を握ってきた。
びっくりしたのをなんとか隠してバレないようにと焦っていると、ジェヒョンさんが悪戯っぽく微笑んでくる。
………ぐっ!!!!!!!!!!
ごめんなさい、お仕事の場で本当に不謹慎ですが…
幸せですごめんなさい嬉しいです…
しばらく平静を装うも、照れすぎてまともに会話ができねえわこれ…!と思って一旦席を立ってお手洗いで気を落ち着かせる。
ヨシっ!と気合いを入れ直して女子トイレから出たところでソヨンさんが待ち構えていた。
「あのさぁ」
「ソヨンさん!お疲れ様でした…」
「私言ったわよね?!ジェヒョン先輩に迷惑かけるなって!」
「…」
「そもそもさぁ!!!あんた演技ぜんっっぜんじゃない!!!この世界はね、男に目をかけてもらったからって売れるほど甘くないんだからね?!…こんんんんんんなに可愛いあたしでさえ、死ぬ気で努力してんのよ?!?!?!?あんたなんか、まじで認めないからね!!!!」
そう言い放ってソヨンさんはみんなのもとへ戻って行った。
………そりゃそうだ。やっぱり女優としての才能はないんだよ。できる範囲で頑張ったけど、しょうがない。
本気でやっている人達がいる中で私のままやりつづけようなんて、やっぱり失礼な話なんだよな。
分かっていたことではあったけれど、ちょっと期待敗れた感じになっている自分を笑い飛ばす。
うん。今日で元に戻るしかないな。
*
打ち上げ終わり、ジェヒョンさんが家まで送るよと車に乗せてくれた。
「今日は流星群が見えるんだってね。」
ジェヒョンさんの車は天井がガラスルーフになっていて、夜空が綺麗に見える。
そうです。この流星群で、多分お別れなのです。
「…けどやっぱり、僕の星は君だな。」
照れくさそうに微笑みながら言うジェヒョンさんに、私は思いの丈を伝える。
「あの、」
「ん?」
「明日からもし私が変わってしまったとしても、この世界のどこかにあなた自身を好きな人間がいること、忘れないでください。」
ふふっとジェヒョンさんが笑う。
「君はたまに不思議なことを言うね。もちろん、忘れるわけないよ。それに君がもし変わったとしても、僕はきっと君のことが好きなままだよ。」
「…本当に変わるかもしれないの。」
「それでもいいよ。どんな君でも絶対に分かると思う。君は僕の星なんだから。」
そう言って車を停めたところでジェヒョンさんが私に身を寄せてキスをした。
目を閉じる瞬間に、うっすらと流れ星が見える。
…多分、絶対にちゃんと伝わっていないけど、もういいんだ。
推し、いや、大好きな人。健やかに生きてくれ…。
私は流れ星に推しの幸せを心から願った。
家に着いて、ミョソンとおそらく最後であろうメッセージを送り合う。
これまで頑張ってきたお互いを労い、一旦戻らない可能性は考えずにゆっくり寝てみようと言葉をかける。
おやすみ、と返信がきたところで寂しさが一気に押し寄せて来た。
…もしも、万が一元に戻れなかったとしても、私は女優なんてやっていけないから、違う世界を生きる人間になるんだ。そうなったら、明日からはカフェ店員に本腰を入れるしかない。
そうだ。彼はスターで、私は一般人。
結局は一時の甘い夢で終わるしかない。
あーーーーーーーねえちょっと待って、
「元に戻さないで、演技を上手くして、めちゃくちゃ売れるようにしてください」ってお願いすればよかったんじゃないの????
…馬鹿だなぁ私は。
………いや、でも。
ミョソンのためにも、ジェヒョンさんのためにも、これで良かったんだ。
涙が止まらない自分にそう言い聞かせて、私は眠りにつく。
ーーーーーー
翌朝目を覚ますと、私は自分の部屋にいた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
キスシーンの文章を書くのがものすごく難しかったです。。
次回で本編最終回になります。
また続きを読んでいただけると嬉しいです。
2025.4.10. 海野




