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5 休息と焦燥

 周りを囲う壁の影に空間がすっぽりとおさまるころには、ユウリは地面についた手を離すことができなくなった。汗を吸った道着は重く、起き上がろうという気概をごっそりと削りにくる。

 そんなに激しい動きはしていないはずだった。手加減はしないと宣言されたが、オウギははじめと比べてゆっくりと動き、どこで仕掛けているかをユウリにもわかりやすく見せてくれる。それをユウリはオウギの助言を頼りにいなす。訓練は基本それの繰り返しだった。こちらの目が慣れてくるとオウギは少しずつ動きを速くする。だがそれでも最初に転がされたときには到底及ばない程度。攻撃をただいなしているだけのはずなのに、ユウリの体力は次第に削られていった。そして今、もう立ち上がることもままならなくなっている。

「どうやらここまでのようだな」

 淡々とオウギが告げる。攻撃を仕掛ける側であるオウギのほうがよほど動いているはずなのに、息ひとつ乱れていない。体力にはわりと自信があったユウリは、その自信をも打ち砕かれた境地だった。

 そのとき、扉が開いて誰かが出てきた。

「お疲れさん。こんな刻限までよくやるねぇ」

 軽い調子でオウギに話しかける。どうやら知り合いのようだ。

「お前の基準で言われてもな」

「いやぁ?もう交代で休憩入ってる刻限だって。厨房からかっぱらってきたし、ここで食っちまおうぜ」

 その男は持っていた包みを掲げてみせた。そういえばなにかの料理のにおいがしている。

「おぅいあんた大丈夫か?立てる?」

 包みをオウギに押し付けるように渡し、男はユウリに近づいてきた。こちらからも見えるように手を差し出してくる。どうやら助け起こしてくれるようだ。初対面の相手にまで情けない姿を晒しているのは恥ずかしかったが、ここは素直に甘えておくことにした。その手を取ると、ぐいと引っぱり起こしてくれる。

「あの、ありがとう……」

 オウギとの会話は砕けた様子だったのでお偉方ではないのかもしれないが、来たばかりのユウリにはここの人間関係の機微はわからず戸惑ってしまう。それを察してくれたのか、男は鷹揚に笑った。

「あぁすまん。自己紹介がまだだったな。俺はカナトという。仕事の内容は言えねぇが、まぁあんたの同僚みたいなもんだ」

「……ユウリ、です」

「うん知ってる。殿下から聞いたよ。あの方もなかなか突飛なことするよなぁ」

 カナトと名乗った男はユウリの事情についてもある程度は知っているようだった。その発言からカナトも皇子の手勢のひとりであることもわかる。ユウリは頭を下げた。

「よろしく、お願いします」

 するとカナトはぷっと吹き出すように笑った。

「あっはは、まぁまぁ堅苦しいのは抜きにして飯食おうぜ。あんたの分もあるからさ」

 そう言われると急に空腹を実感した。ユウリはカナトとともにオウギの元へと歩いた。オウギはその間に包みを解き、中の三人分の折詰を広げていた。その周りを囲むように座る。料理からは湯気が立っていてまだあたたかそうだ。

 折詰をひとつ取り、カナトがユウリを見た。

「しっかし着いて早々あんたも大変だな。オウギにいじめられて」

「え、いや……」

「いじめ、じゃなくて教練だ」

 ぼそりとオウギが言うと、カナトはそちらに的を変えた。

「お前は手加減ってもんを知らなすぎるんだよ。もうちょっと相手に合わせるとかしないわけ?」

「そんなことをしている時間はない。叙任式までになんとかしないといけないんだぞ」

「にしてもペースってもんがあるだろ。誰もがお前ほど丈夫じゃないんだし」

「問題ないだろう。案外体力はあるようだしな」

「結果論じゃねぇか」

 ユウリは二人の会話に圧倒された。オウギがこんなにしゃべるところは初めて見たというのもあるし、カナトのテンポ良い話し方はどことなくリュウと似ている気がした。二人の会話は初めてラッカのジオウを訪ねたときを思い出させた。

 ぽかんとしているユウリに気づいたように、カナトが頭を掻いた。

「おっと悪い。俺までオウギのペースに乗せられてんな。あんたに話を聞こうと思ってたのに」

「いや、それは別にいい、けど」

「飯もあったかいうちに食いな。ほらオウギも」

「お前が話を振るからだろう……」

 それからは三人で飯を食べながら、カナトが訊くことにユウリがぽつぽつと応えて話した。故郷のことや前回の旅のことなどを。

「なるほどな。殿下から聞いた話だけじゃこの采配の意味はよくわからんかったが、あんたの話でなんとなく掴めたぜ」

「ここのことはまだよくわからないから、迷惑かけるかもしれない」

「気にすんなって。むしろちょっと心配なくらいだ。殿下の手勢は男所帯だからな。腕の立つ女の手合いってのは陛下が囲ってるし」

 現帝は女性なのだから、それは当然ともいえる。女性でなければ側につくことができない場面もあるだろう。だからといって国の要たる現帝の護衛を手薄にするわけにもいかない。そこまで腕の立つ女性というのも少数派だろうし、囲う以前に絶対数が少ないということだろう。ユウリはそもそも腕が立つことを見込まれて招聘されたわけではない。それでも最低限自分の身を守るのに必要ということでオウギから護身術を教わっているのだ。皇子の話を聞いた限りでも、ユウリはかなり微妙な立ち位置にいるのだというのはわかる。少なくとも「お目付け役」という役職はここには存在しないのだ。

「私は……」

 ユウリは下を向く。空になった折詰がその目に映る。

「女らしさを求められないところのほうが、気が楽だ」

 侍女として働いていたユナは、きっとこんな風に食事をすることはなかっただろう。こちらに着いて早々着替えさせられたスカートの服も、着ていた時間は短かったもののどうにもむずがゆかった。一方で今しがたオウギから受けていた護身術の教練は、きつくはあっても嫌ではない。むしろそちらの方が性に合っていると思う。周りに女性があまりいないこの環境も、そのせいで居心地が悪いということはなかった。今ユウリの心を占めているのは、一刻も早くちゃんと動けるようになって、せめて周りに迷惑をかけずに立っていられるようにならなければという焦りだった。

「へぇ」

 一瞬、カナトの目が鋭く光った気がしたが、すぐに表情は柔らかくなった。

「まぁあんたが気にしないならいいけど。とにかく俺らは同じチームみたいなもんだから。これからよろしくな」

「……うん、よろしく」

 己のことでまだまだいっぱいいっぱいのユウリは、人好きのする笑みをみせるカナトに努めて笑顔を返した。

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