4 茨道の歩き方
微動だにせずユウリを見据えていたオウギは、皇子の言葉を聞くと静かにユウリの方へ歩いてきた。対面するときはずっと手前にカシュウがいたので、こうして面と向かうのは初めてだ。背が高いとは思っていたが、目の前に立たれるとさらに圧迫を感じる。ユウリを間近に見下ろしたオウギは、ゆっくりと口を開いた。
「……ついて来い」
「え、あぁ、はい」
ぼそりとした声でたったひとこと告げ、さっさと行ってしまう。ユウリは戸惑いつつその後に続いた。扉を出る前、オウギが皇子を振り返って一礼したのでユウリもそれに倣った。
扉を開けるとそこにはカシュウが待機していた。
「殿下を頼む」
「えぇもちろん。オウギも気をつけて」
二人は低く言葉を交わす。そしてカシュウは皇子のいる部屋へと消えていった。こうして皇子がひとりにならないよう取り計らっているのだろう。だが今のところ皇子に直接仕えている者は今のカシュウとオウギ、そして侍女のハルとしか会っていない。皇子が直々に「手勢が少ない」と漏らしていたが、まさかこれがその「手勢」のすべてなのだろうか。だとしたら少ないどころの話ではない。ユウリを迎えるこの数日間は、そのうち二人が留守だったのだ。
(さすがにそれはないか……)
まだここに着いたばかりだ。今知っている情報だけで状況を判断するには早すぎる。とにかく今は目の前のことに集中しなければならない。自分のためにも、自分をここへと招いた皇子のためにも。
来たときとはまた別の通路を通り、階段を下り、奥へ奥へと進んでいく。皇子から「気にしないことに慣れろ」と言われたので、等間隔に立つ衛兵たちやすれ違う人たちのこともできるだけ気にしないようにした。慣れるにはまだまだ時間がかかりそうだが、これも精神の修行の一環だ。意識しなければ成長はない。
先導していたオウギは小さな扉の前で足を止めた。
「入れ」
あまりにもつっけんどんに言うのでユウリは戸惑ってしまう。
「え」
「中に道着がある。着替えて出て来い」
そこまで言われて納得した。ここは更衣室なのだろう。着慣れないスカート姿で動かないといけないわけではないようでそこは安心できた。そもそも本来ユウリに支給される服でもなかったようなので、汚すわけにもいかないのだから当然かもしれないが。
部屋に入ると、サイズ別に道着が何着か棚におさまっていた。ユウリは一度身体にあててみて自分の丈に合ったものを選びとった。しかし問題は今着ている服だった。着るときはハルが手助けをしてくれた。だが今はユウリひとり。脱ぎ方がわからず四苦八苦した。なんとか脱いで道着を着て、部屋を出るとオウギに冷ややかに見つめられた。時間がかかりすぎただろうか。
なにも言わずに行ってしまうので、オウギがなにを思っているのかはわからない。ユウリもただ黙ってついていく。前を行くオウギが扉を開けると、急に視界が開けた。建物の外に出たようだ。外、とはいっても四方は壁に囲まれていて、宮廷の外部とは繋がっていないようだった。それなりに広いが植栽や池などがあるわけでもなく、地面は短く刈られた下草で覆われている。庭と呼ぶにはあまりにも殺風景な空間。
その中央あたりにオウギが立つ。ユウリもその前に対峙した。
「殿下の命により、これよりお前に護身の術を授ける。しっかりと己のものにしろ」
静かだが通る不思議な声でオウギが言う。ユウリは頭を下げた。
「よろしく、お願いします」
「俺に敬語はいらない。あのお方だけでいい」
「あ……うん、わかった」
あのお方、というのは皇子のことだろう。少しだけオウギの心持ちが垣間見えた気がした。つっけんどんには見えても皇子を敬う姿勢は見てとれる。そういう職務だからというよりは、もっと自然と添っているように感じられた。皇子にもちゃんと味方はいるのだと思うとユウリはほっとする気持ちになった。
「では、オウギ。よろしく頼む」
改めて頭を下げるユウリを、オウギは表情を変えずに見つめた。目つきがあまりよくないため、見ようによっては睨んでいるようにも見える。
オウギはひとつ息をつき、口を開いた。
「まずはお前の今の実力を測る。俺の攻撃をいなしてみろ」
「……わかった」
いきなり実践的な動きをしなければならないようなのでユウリは緊張したが、これも必要な過程なのだと腹をくくった。
ユウリが応えるとオウギはゆっくりと近づいてきた。その動きを警戒しながら見ていたが、次の瞬間には視界がぐるっと回っていた。一瞬遅れて背中に痛みが走る。空が見えて、倒されたのだと理解した。だがどうやって倒されたのか、足をかけられたのか、くるりと投げられたのか、まったくわからなかった。今痛むのは強かに打ったらしい背中だけで、ずっとオウギを見ていたはずなのに攻撃の過程のなにもかもが謎だった。
呆然としていると、覗きこむようにオウギが視界に入った。
「……死にたいのかお前は」
表情は変わらないが、声には呆れたような響きがあった。情けない気持ちで立ち上がると、オウギは腕を組んだ。
「お前、格闘の経験は?」
「ない」
「前にヒュウゴウとやり合ったと聞いたが?」
「あれは、結局私が倒したわけではないから」
前回の旅を振り返ると、苦い気持ちがせり上がってくる。ヒュウゴウと対峙したときに耳にした言葉は今でも忘れることができず、心に棘のように刺さったままだ。しかしオウギはそのことを誰から聞いたのだろう、と思ったが、それも今考えても仕方のないことだった。
オウギは深いため息をついた。
「とにかく、叙任式まであまり時間はない。まずは最低限のいなし方を覚えろ。それまでは極力ひとり歩きは控えることだな。今のお前ではここで生き延びるのは不可能だ」
厳しい言葉だが、おそらくそれは事実なのだろう。情けなさに胸が苦しくなるが、凹んでいる場合ではない。
丹力をこめてオウギを見返すと、彼は淡々と告げた。
「俺はお前に合わせて手加減したりはしない。死に物狂いでついてこい。ここで死にたくなければな」
前途多難なユウリの特訓が始まった。




