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2 到着と洗礼

 馬車での旅は、前回の徒歩での旅と比べてずっと早く進んだ。ずっと景色を見ていたわけでもなく、語らう相手もいないので旅を振り返る暇もなかった。宿場にも寄ったが、ユウリの体感としては本当にあっという間の旅だった。都へと入る門前での手続きに待たされることもなく、馬車は一路中央――皇族のおわす宮廷へと向かった。

「到着いたしました」

 窓から外を確かめたカシュウが告げて、先導するように馬車を降りる。ユウリは荷物の入った鞄の持ち手をぎゅっと握ってその後に続いた。着いたところは宮廷の裏門だった。あの嵐の中、皇子リトとともにここから飛び出したのだが、いまいち記憶とはつながらなかった。あのときは気が動転していたから定かではないが、こんなに衛兵にがっちりと守られてはいなかったように思う。

 カシュウを先頭に、ユウリ、そして御者のオウギが続く。衛兵が交差させていた槍を立てて、敬意を表す礼をした。

「長旅ご苦労様です。お入りください」

「そちらもお勤めお疲れさまです。ではユウリさん、行きましょうか」

「えっと、はい」

 振り返って促すカシュウの後から門をくぐる。その一瞬、衛兵から鋭く睨まれたような気がして背筋がぞっとしたが、通り過ぎてしまえばそれ以上視線は感じなかった。

 廷内の廊下にも、等間隔で衛兵らしき人が立っている。皇子とともに脱出したときよりも明らかに多い気がした。三人が行き過ぎるのを彼らはじっと見ているのでユウリはいたたまれない思いがした。なんとなく頭を下げてみても彼らは微動だにせず、居心地の悪さは増していくばかりだった。

 そうして緊張したまま案内されたのは控室といった風情の小部屋だった。カシュウはここで少し待つように言うと、オウギとともに部屋を出ていってしまった。急に一人にされるのは不安だったが、ユウリはそこでふぅ、と大きく息をついた。緊張していた原因のひとつはずっとあの二人と共にいたことでもあったのだと自覚する。

 カシュウは物腰の柔らかな初老の男性、オウギは宿場で休んだときもほとんど口を開くことのなかった寡黙な青年。三人で顔を合わせても会話が弾むということはなく、初対面ということも相まって一緒にいるとなんとなく気詰まりに感じていた。あっけらかんとしたリュウの明るさや、義母ミイナや妹ユナの柔らかであたたかい空気が今さらのように恋しくなる。こんなことでこの宮廷内でやっていけるのか、先のことを考えると頭が痛かった。

(ユナも、不安だったんだろうか)

 ここで侍女として何年も働いていた妹のことを思う。皇子の話によれば、病に臥せっていた皇子の身辺を世話していたユナとはほとんど面識はないとのことだった。ずっと目覚めない皇子のそばで、ユナは本当はなにを思っていたのだろう。

 物思いにふけっていると、ふいに部屋に人が入ってきた。カシュウらが戻ってきたわけではなく、そこにいたのはユウリと年頃が同じくらいの女性だった。

「あなたがユウリさん?」

 女性が訊くのでユウリははい、と応えた。対面してあいさつしたほうがいいのだろうか、と立ち上がる。

「アヌカから来ました、ユウリといいます」

 ぺこりと頭を下げるユウリを女性は無表情に見つめ、礼を返した。

「私はハルと申します。殿下の侍女を仰せつかっております」

 つまり今はこの人が皇子の身辺を世話しているということだ。ユウリはその皇子に招聘されたのだから、これから幾度も顔を合わせることになるのかもしれない。

「よろしくお願いします。皇子から乞われたので……」

「皇子、ではなく、殿下、と」

「え、あ、はい……」

 静かだが揺るぎない声で言われて、ユウリは赤面した。ユウリは敬語をうまく理解していない。アヌカでの暮らしでは必要なかったし、先の旅でも最低限の敬語しか使わなかった。当の皇子とも相まみえたが、本人はユウリの言葉遣いを気にしていないようで咎められることもなかった。これからはそうはいかないのだと思うと、また不安な気持ちが頭をもたげてきた。

 女性は平坦な調子で告げた。

「殿下にお伺いしたところ早急に通すようにとのことでしたので、ユウリさんにはここでお召し替えをしていただきます」

「え?」

 なんとなく話がつながっていないような気がしてユウリは問い返してしまった。早急に通すように、と言われたのだったらそのまま案内するのが筋ではないのか。そんな疑問が透けて見えていたのか、ハルと名乗ったその侍女は言葉を足した。

「そのようななりでは、お通しするわけにはいきませんので」

 平坦な声にほんの少し感情の揺れを感じた。つまり、ユウリは警戒されているということだ。どこかに武器を隠し持っているかもしれないと。前回の皇子との邂逅を思えばそれも当然かもしれない。

 そう思ってユウリは再び頭を下げた。

「手数をかけます。よろしくお願いします」

 しかしハルはほんの少し眉を上げてユウリを見返すだけだった。

 ハルが用意したのは今ハルが着ているものと似たような服だった。上下つなぎになっていて、下はズボンではなくスカートだ。ユウリは物心ついて以降スカートなど穿いたためしがない。まごついているとハルが着替えを介助してくれた。

「す、すみません」

「はじめなど皆こういうものです」

 言葉だけを聞けばこちらを気遣って言ってくれているようにも聞こえるが、声に抑揚がないのでその感情がわからない。ユウリはこのハルという人物がなにを考えているのかさっぱりわからなかった。

 なんとか着替えを終え、控室を後にする。荷物を持って出ようとするとハルに置いておくように言われた。自分の荷を誰もいなくなる部屋に置きっぱなしにするのは気が引けたが、ここはもう宮廷内。ユウリの思うままにはならないことは今の着替えだけでもわかる。ユウリは黙って従った。

 ハルに先導されて廷内の廊下を歩く。緊張が解けることはないがだんだんとこの環境には慣れてきた。皇子の元まで行くだけでもそれだけ長く歩かされたというのもあるが、ただの廊下とは思えない豪奢な造りも見慣れることはできるのだと思うととユウリは少し安心した。

「こちらです」

 ユウリにひとこと断ると、ハルがノックとともに中の人物に来訪を告げた。

「ユウリさんをお連れいたしました」

「入れ」

 くぐもった声が返ってきて、春は扉を開けた。

「失礼いたします……さあ、どうぞ」

 まず中の人物に礼をし、ハルは入室を促した。ユウリは軽く頭を下げて部屋に入った。そこは以前入ったことがある皇子の私室ではなく、執務室といった様相の部屋だった。正面に大きな書斎机があり、その奥に皇子が座っている。

 これまで廷内を歩くときはカシュウやハルが先導していたので、急に前に出されると戸惑ってしまう。どうしたらいいかわからずにまごついていると、目の前の皇子は小さくため息をついた。

「なぜお仕着せを着ているの」

「え?」

「彼女は侍女ではなく補佐官だ。支給するなら官服にして」

 はじめ皇子はユウリに話しかけているのだと思ったが、どうやらそうではなかったようだ。その後ろにいる人物。ユウリはハルを振り返った。

「失礼いたしました。手配してまいります」

 平坦な声でハルが応え、深々と一礼して部屋を後にする。彼女が顔を上げた瞬間、ユウリの方を鋭く見据えたように見えた。が、一瞬のことでよくわからなかった。気のせいかもしれない。

「久しぶりだね、ユウリ」

 ハルが出ていくと、改めて皇子が口を開いた。やはりどう応えていいかわからずにいると、皇子リトはにこりともせずに言った。

「ようこそ『中央』へ。光と影が交錯する華楼へ」

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