挿話――皇子の懊悩
リトが私室へと戻ったのは、夜も更けた頃合いだった。執務中に張りつめていた精神を解くように一度目を閉じて息を整える。それはここへ戻ってきたときにいつもおこなっている習慣だが、今日はいつもよりも重い疲労が身体にのしかかっているのを感じた。
今日の午後、呪術の里からやってきた里長とその使者たちに会った。本当はお目付け役たるユウリも同席するはずだったのだが、カナトから急に倒れたと報告を受けた。命に別状はなさそうだと言われたが、念のため医者に診せるよう指示した。心配する気持ちはあったものの、自分は身動きが取れないのでその辺はカナトに一任した。
里長はもうここに来てしまっている。今さら謁見の日取りを動かすことはできない。カシュウとも相談し、今日のところは顔合わせと会食のみで済ませる方向で話がまとまった。明日以降のことはユウリの体調も鑑みつつ判断したいというのもカシュウに伝えた。カシュウはリトの意思を尊重して相手と話をつけてくれた。折衝役として苦労をかけているとは思いつつ、なんとか自分の意思を曲げずに済んだことに安堵もしていた。
事前に報告を受けていたとおり、呪術の里の者たちは掴みどころのない、少し不気味さを感じさせる集団だった。中央とはこれまでも持ちつ持たれつの関係だったわけだから、相手にこちらに対する敵意はないと思われる。特にリトは、その者たちがもたらした呪術の「成果」ともいえる存在だ。その術が無かったら、今ごろ病に喰い殺されていたかもしれないのだ。だが里の者たちがあからさまにリトの快復を喜ぶような態度を見せることはなかった。里長だというユイカは社交的な笑みを見せることもあったが、周りの使者たちは無表情を崩さない。ちぐはぐなようでもあるし、こちらを警戒しているともとれる態度だった。やはり禁呪が使われてから間もない今、リトの名で里の者たちを招聘したのは時期尚早だっただろうか。
(けれど、後回しにするわけにもいかない……)
母である女帝ミルダが健在である以上、そんなにすぐ帝位を継ぐことにはならないと思われる。しかし先代の例もあるのでやはり悠長に構えてはいられない。先代は早くに逝去し、環境が十分に整う前にミルダは帝位を継いでいる。もしも仮に今ミルダになにかがあれば同じ状況に陥る可能性だってある。そしてリトが帝位を継いでしまえば、中央とつながりの深い呪術の里をどうこうするのは今よりもずっと難しくなるだろう。今はまだ殿下という立場で、自分と関わりの深い側近たちに囲まれているから自由が利いているにすぎないのだ。
(難儀だな。国を背負うって)
静かに、侍女にも気取られないように息をつく。今侍っているハルは元々ミルダに仕えていた侍女だ。カシュウがとりなして陣営に迎えたものの、オウギやカナトは反感を抱いているようだった。あまり弱みを見せないようにと釘を刺されている。もちろんリトもそのつもりではあるが、ふと寂しさを覚えることもあるのだ。この心にある懊悩を、弱音を吐き出してしまいたくなる。安心して背中を預けられる、味方が欲しいと思ってしまう。
(もしも……あの人だったら)
粛々と働くハルの姿に、幻を重ねる。病に伏せていた間、身辺の世話をしてくれていた人。もしも彼女が生きていて、今も側にいてくれたとしたら、もしかしたら彼女には弱みを見せることができたかもしれない。
それを望んでいい立場にないことは、重々承知している。
彼女の命を形代として、自分は生かされてしまったのだから。
(やはり、間違いは正さなければ)
この国が成立する際、初代の皇帝が禁じたはずの呪術。それが秘かに受け継がれ、中央の都合によっていまだに使われている。そんなことがまかり通っていてはいけないのだ。中央の者たちが思っている以上に、禁呪によって多くのものが犠牲になっているのだから。これを正さない限り、自分は世継ぎとして、いやその前にひとりの人間として、己の生を肯定することなどできないだろう。
静かに目を伏せ、祈る。
(ユウリ、早く回復して私の元へ戻ってきて。私にはやはり、あなたの支えが必要だ)
味方だと思わなくていいと言ったのは自分なのに、いつの間にかユウリが心の支柱になっていたのだと、リトはこのときになってようやく自覚した。




