23 来訪
「よし。今日はここまでにしよう」
早朝、ユウリはオウギからの教練を受けていた。なにもわざわざこんな日にやらなくてもいいのでは、とオウギからは言われたが、ユウリはなんとなく心が落ち着かなかったこともあり、少し体を動かしたい気持ちがあった。この後のことを考えるとどうにも緊張で全身が力んでしまう。こんな状態ではせっかくオウギに鍛えてもらったのにいざというときに動けなくなってしまいそうで怖かった。教練で身体が温まれば、少しはこのこわばりも和らぐかもしれないと思ったのだ。
朝早くとはいえ冷えこむような時期でもないので、身体を動かすと思ったよりも汗をかいた。だがユウリの思った通り、緊張でこわばっていた身体は少しほぐれた。付き合わされたオウギは汗を拭いながら言った。
「里長を迎える前に汗を流さないとな。お前も身だしなみは整えておけよ。またハルにとやかく言われたくないならな」
ユウリは曖昧にうなずいた。ハルはユウリの身だしなみが乱れていると整えてくれるのだが、それはすべて皇子リトのためだという。名目上は補佐官、その実リトのお目付け役として側にいるユウリは、中央に仕える他の者からはリトの側近として認識されている。そんなユウリの身だしなみが乱れていたり、奇妙な言動をしたりすればそれはリトの名前を汚すことになる。特にハルはその意識が強く、リト本人以上にユウリの言動を厳しい目で見ている。彼女はリトの侍女なのでリトを思ってユウリにきつく当たるというのもわからなくはないのだが、それでも注意を受ける側としては気分が萎えてしまうものだった。
「ハルは、私を嫌ってるみたいだから」
「まぁそれはそうだろうな」
「!」
ついこぼしてしまった弱音をオウギにあっさり肯定されて、ユウリはびくりとした。だがオウギは「なにを今さら」という顔をした。
「別にあいつに好かれなくてもお前の仕事に支障はないだろ。職分が違うんだから」
「う、うーん……」
確かに仕事中に顔を合わせることはほとんどない。だがあからさまに嫌われているというのはいたたまれない思いもするものだ。同じ女性でもあるし、控室を共有している相手でもある。できることならもう少しちゃんと話してみたいと思うのだが、とりつく島がないというのが現状だ。
考えこんでしまったユウリにオウギは呆れ気味に言った。
「本当に難儀な性格をしているな。誰からも好かれるなんて無理な話だろうに」
「うぅ……」
「あいつのことは気にしすぎないほうがいい。変に取り入ろうとすれば逆に足元を掬われるぞ」
「え?」
急に話が不穏な方向に向いたように思えて、ユウリは目を瞬かせた。今度はオウギが気まずげに目を逸らしたが、それでも続けて言った。
「お前も憶えてるだろうが、殿下は自分のことすら味方と思わなくていいと言ってただろう。正直俺はそこまで極端に考えてはいない。殿下のもとに集っている以上、そこには信頼関係があるべきだと思う。だがその一方で、ここにいる人間を見極めることはときに必要になるとも思っている。あいつとの接触を避けろとまでは言わないが、適度に距離を置いて観察するくらいの気持ちでいた方がいい。殿下の周りにいる俺たち自身が足元を掬われるわけにはいかないからな」
オウギがこんなにはっきりと私見を述べるのは珍しいことだった。それだけ重要だと思っていることなのだとユウリは受け止めた。オウギがハルになんらかの不審を抱いていることが透けて見えて若干の不安を感じたが、ユウリはうなずいてみせた。
「わかった。心に留めておく」
そういう振る舞いに慣れることはまだできそうにない。だがこれまでの経験で、オウギたちがユウリに伝えることはこの身を案じて言ってくれているというのもわかっている。だからまずは素直に受け取ろうと思った。
正装である官服に着替え、身だしなみも整えた。あとはもう待つだけだ。
そして。そのときが訪れた。使者たちに囲まれて、里長がやって来た。
先触れのときと同様、カシュウ、カナト、そしてユウリの三人で出迎えた。はじめに目にしたときに奇異に映ったフードを皆が被っていたので、ユウリにはその中から里長を見分けることはできなかった。長だからといって特別な装いをしているというわけではないようだ。
ただ、使者一人を迎えたときとは比べ物にならない、肌がチリチリと粟立つほどの圧を感じた。集団だからなのか、それともその中に里長を擁しているせいなのか……。ユウリはなんとなく、後者が正しいのではないかという直感を持った。
前を歩いていた二人が膝をついて礼の姿勢をとる。
「先触れにてお伝えしたとおり参上いたしました。こちらが我らが里の長、ユイカにございます」
聞き覚えのある使者の声で紹介されたのはそのすぐ後ろ、使者たちに囲まれるように立っていた者。その者はおもむろにフードを取った。
さらりと髪が揺れる。
「殿下の招聘により参りました、里長のユイカと申します」
しとやかな声、優美な振る舞い。そこからはリトからの招聘に真摯に応じようとする姿勢が感じられる。だが迎えた側は……特にユウリは、まるで目を縫い留められてしまったかのようにその姿から目を離すことができなくなった。
ユイカと名乗ったその里長たる人の青色の髪が、漆黒の瞳の周りにさらりと揺れている。
――誰がなんと言おうと、あなたは私の娘よ。
急に前回の里帰りの折、ミイナから言われた言葉がリフレインした。それは胸をぎゅうと掴まれるような苦しさを伴っていた。ユウリは身動きもとれないまま、しばらく息をすることも忘れてただその女を見つめていた。




