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22 先触れ

 雪が消えた地面には下草が青々と茂り始めている。露に濡れた若草から視線を上へと転じれば、木々の枝では硬く閉ざしていた芽がほころび、柔らかな若葉や可憐な花が揺れるようになった。朝晩も底冷えすることはなくなり、空気は暖かく空は淡く霞んでいる。

 芽生えの季節の到来。それはそのまま、彼の者の来訪を告げるときだった。

 暗嶺より、先触れの使者が到着した日。それは穏やかな陽気に包まれた、心地よい日和だった。

 使者の出で立ちはユウリの目には奇異に映った。外は穏やかに晴れているというのにその人は黒染めのフードを纏っていたからだ。ユウリにとってはフードとは雨除けのために着こむものであり、こんな日和にその姿で現れる意味がわからなかった。しかも使者は廷内に入っても目深に被ったフードを取らなかったため、かなり近くに来るまで人相もわからなかった。このようななりでよく廷内に入れたものだ。不審者として扱われてもおかしくない様相だというのに。

 しかし後で聞いたところによると、そこは中央と彼ら呪術師たちの暗黙の了解ということらしい。門衛たちは人相というよりも彼らの身につけたフードで来訪者を判断しているようだ。その黒染めのフードはその里特有のものなのだそうだ。

 入口で使者を出迎えたのはユウリとカシュウ、そしてカナトの三人だった。使者は三人の前で足を止め、そこで初めてフードを取った。お互いに簡易の礼を交わす。

「名無き里より参じました、ヒノクと申します。殿下にお招きいただいた我らが里長より、到着の旨をお知らせに参りました」

 中性的な顔立ちだが、声からは女性であると思われた。淡々とした口調に表情の読めない顔。ようやく人相がわかったというのに、やはりユウリにはこの人物の印象をうまくとらえることができなかった。

 先の使者の口上にカシュウが応える。

「遠方からようこそ遥々お越しくださいました。ヒノク殿も長旅でさぞお疲れのことでしょう。まずは一服できる席を設けております。どうぞこちらへ」

「……それではお言葉に甘えさせていただきます」

 使者はにこりともせずに応える。お互いの対応の仕方に温度差を感じて落ち着かなかったが、なにはともあれカシュウが先導する形で応接間へと移動した。その道中でユウリは以前カナトが話していたことを思い出していた。現在の里長が、里の他の者たちからあまり信用されていない様子だったということを。里長の使者としてやってきたこのヒノクという人もそうなのだろうか。表情がないのは、本当はここに来るのが嫌だと思っていることを押し隠しているせいなのだろうか……。

 応接間に着くと、ヒノクを客人としてもてなしつつカシュウが今後の予定を確認した。双方の事情を鑑み、里長を迎える日取りは三日後に設定されることになった。里長は今、使者たちとともにカシュウらが手配していた要人向けの宿に留まっている。そのまま日にちまで宿で疲れを癒してほしいと伝えると、使者はそれで問題ないと応じた。

 カシュウが使者と話す間、ユウリはカナトと並んで二人の対話を見守っていた。いつもと変わらずにこやかに話を進めるカシュウとは対照的に、やはりヒノクは表情を崩さない。ユウリはいたたまれなかった。使者は言葉では「それで構いません」とか「お任せします」と応じるものの、その声音からはまったく同意の意思が感じられない。どの返答にもその頭に「不本意ではあるけれど」という枕詞が隠れている気がして仕方がないのだ。

 先触れとしての用件は済んだため、使者はそのまま里長の元へと帰っていった。見送りまで済ませるとユウリは詰めていた息を一気に吐いた。それほど長い時間は経っていないはずなのに、なんだかどっと疲れてしまった。

 すると隣のカナトから指でこめかみ辺りをつつかれた。

「ぅわっ」

「なーに疲れた顔してんだよ。本番はこれからだっていうのに」

「あ、その、ごめん……」

「まぁ使者の前でそんな顔見せなかっただけ良しとするか。及第点ってとこだな。なぁカシュウさん?」

 急にカナトに水を向けられたカシュウはほほと笑った。

「こういうことは慣れも必要でございます故。いい予行練習になったというものでしょう」

 使者を迎えるのを予行練習と言っていいものなのかユウリには疑問だったが、二人がそれほどこだわっていないようなのでとりあえず流しておくことにした。

「さて、んじゃ気合入れて準備すっかな」

 カナトが大仰に肩や首を回して見せたので、ユウリもなんとなく身体を伸ばした。ふぅ、とひとつ息をつくとそれだけでも視界が開けるものだった。心の整え方についても、ようやく要領を得てきた気がした。

 三人は揃ってリトの執務室を訪ね、使者とのやりとりについて報告をした。もっとも予定の調整については事前に申し合わせてあったため、要するに「予定通りこうなりました」という報告である。先方の言い分によってはさらなる調整が必要となる可能性もあったが、使者がこちらの提案をすべて呑んだ形で話がついたためその必要もなくなった。

「ずいぶん聞き分けがよかったんだね」

 報告を受けてリトがぼそりと言う。そうですね、と応えたのはカナトだった。

「正直、あの使者がなにか腹に抱えてんのか、その辺までは見定められてません。探りを入れようにも隙が無い感じで。もうちょっとなんかこっちに要求してもらえたら少しは糸口が見えたかもしれませんが」

 隣で静かに立っていたように見えたカナトだが、その実かなり使者のことを観察していたようだ。ユウリはあのカナトの視線を思い出した。こちらの隠しているなにかを暴こうとするような、鋭い目つき。そんなカナトでも探りきれないのであれば、ユウリに使者の考えを見透かすことなど到底不可能だろう。

「まぁあちらも警戒してるってことかもしれません。なんせ殿下からの招聘は初めてですから。それに……」

「うん?どうしたの?」

「いや、なんでもありません」

「……そう」

 今カナトは明らかになにかを言おうとしてその言葉を呑みこんだ。しかしリトはそれ以上追求しようとはしなかった。報告は以上となり、カナトは里長を迎える準備のために退出した。

 その後ろ姿を、ユウリはなんとなく目で追ってしまった。カナトが言葉を呑む前に一瞬、ユウリのほうを見たような気がしたのだ。

(あれは、私のことを見た、のか?)

 ほんの一瞬のことで確信は持てなかった。だが気のせいだと流してしまうにはやはりどこか引っかかるような気がした。

 カナトからの視線の意味をユウリがそれとなく察するのは、使者来訪の三日後。ついに里長を迎えたそのときのことだった。

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