21 腹の底
稟議から戻ったリトといつものように過ごし、勤めが終わるころにはユウリはどっと疲労を感じた。それはオウギに鍛えられていたころとはまた別の類のものだった。今でも定期的に護身術を習っているが、はじめのころほどに消耗することはなくなった。体力が備わってきたのもそうだが、自分の状態を正しく把握することができるようになり、回復の方法もわかってきたというのが大きい。そうしてようやく慣れてきたところに今度は頭を使う案件が続く。脳の疲労をいなす術はまだ身についていないのだった。
控室に戻り、身体を横たえてもなかなか寝付くことができない。頭を使うのに慣れていなくて、切り替えがうまくできていないというのもあるが、今日読んでいた歴史書の内容が引っかかっているというのもある。
呪術師。ユナの件にしても泉守やロウシュの話からしても、その存在は異質なように感じられる。だがそんな彼らはこの国の成立に大きく関与していたということが、その歴史書には克明に描かれていたのだ。
その昔、呪術師の存在は今よりも一般的だったようだ。むしろ国の成立とともに当時の皇帝が法を敷いたことで、無秩序に溢れていた呪術が規制されて現在のような形になったということらしい。「禁呪」という概念もそのときに生み出されたというように記述されていた。呪術師たちはこの地を平定する際、その力を中央に貸していた。今この国があるのはそうした呪術師たちの助力も大きかったのだという。
ユウリは混乱した。ずっと「絶対的な悪」と思ってきた呪術というものが、国の成立などという重大な事柄にこれほど強く結びついているとは思わなかった。この国の帝位は世襲だ。つまりリトの遠い祖先は、少なくとも彼らが扱う呪術からなんらかの恩恵を受けていることになる。
これから対峙することになるのは、その恩恵を預けた呪術を司る者。それをリトはどう思っているのだろう。年若ながらに世継ぎであることを自覚し、今では執政にも関わり始めているリトがこのことを知らないはずはない。
リトの孤独と、強い意志。それがユウリには悲しく感じられた。そこまで重いものを、たった一人で抱えなければならないのだろうか。
一度混乱した思いは後を引き、ユウリは寝返りを繰り返しながら長い夜をやり過ごした。
翌日。
「なにかご用ですか?」
ユウリは侍女のハルと対峙していた。
今日は稟議はないのだが、リトに少しの間だけ中座する許可をもらった。それはハルと話をするためだ。仕事の性質上ハルとはずっとすれ違いになっていて、会話を交わすどころかこうして顔を合わせることさえ稀だ。リト陣営の面々とも少しずつ話せるようになってきたが、ハルだけはどうしても難しかった。それで彼女が休憩に入る頃合いに控室を訪ねることでこうして顔を合わせることが叶ったのだ。リトからはハルの休憩をあまり削らないようにとだけ言われている。
表情のないハルに見つめられると咎められているような気分になるが、ユウリは単刀直入に話を始めた。
「休憩のときに申し訳ない。少しだけ時間をもらえないか?」
「はぁ、まぁ構いませんが」
「えっと、お……殿下のことについて、ちょっと訊きたくて」
殿下という呼称にはいまだに慣れない。特に今はこうしてハルと対峙していることでいつもより緊張している。思わず噛んでしまうとハルの視線がより冷ややかになったように見えた。このままではどんどん萎縮して言葉が出なくなってしまうと思い、ユウリは丹力をこめて口を開いた。
「ハルから見た殿下というのは、どういう人かなって」
「……それを聞いてどうなさるんです?」
「えっと、恥ずかしいけど、私には殿下のことがよくわからなくて」
ここへ来てそれなりの時間を過ごしてきた。お目付け役として請われただけはあり、リトの側で過ごす時間は長い。その間に会話を交わすことも増えた。だが。
「私はそもそも田舎者で、腹の探り合いだとか、建前だとか、あまりよくわかってない。そういうものに触れると、なんだか距離を置かれているみたいで不安になる。でもだからって踏みこみすぎてはいけないってことも、一応わかってるつもりで」
処世術などとは無縁のままあのアヌカで生きてきた。先の旅でも己の世間知らずを嫌というほど自覚した。そしてこの宮中という場は、世間ともまた違う人との距離感がある。
「でも、私の役割を果たすのに、殿下のことがわからないままというのは、やっぱりおかしい気がして」
自分の言葉足らずがもどかしい。こんな言い草でハルに伝わるかどうかもわからない。ハルはユウリが話している間、まったく表情を変えなかった。それが一層不安を煽る。
一拍置いて、ハルが口を開いた。
「それなら私などではなく、殿下に直接お伺いしたらどうです?」
「いやでも……」
「殿下はあなたが知らなくていいことまではお答えにならないでしょう。それとも、私ならば殿下の秘密をあなたに漏らすとでも?」
「え、いやそういう意図ではなくて……」
ユウリは青ざめた。ハルは自分を見くびられたと思ってしまったのだろうか。
「ごめん。本当にそんなつもりじゃなくて」
萎れた声で言うと、ハルはため息をついた。
「あなたにひとつ、お教えしておきます」
ユウリが顔を上げると、ハルは視線を逸らした。
「探りを入れたいのなら、そのように直截に訊くのではなく、もっと遠回しな表現を覚えたほうがいいですよ。あなたは素直すぎます。見ていてこちらがヒヤヒヤするくらい」
「ご、ごめん」
「殿下は聡明なお方です。そもそもあなたの助力などなくとも立派にお世継ぎとしての務めを果たされるでしょう。だからあなたは求められることだけこなしていればよろしいかと」
「……わかった」
そういうわけにはいかないのだ、と喉元まで出かかったが、それを今ハルに言うのはやめておいた。ユウリの表向きの肩書は「補佐官」だ。周りから見れば補佐官ごときがしゃしゃり出ているように見えるのかもしれない。それにやはり、先の発言でハルの気分を害してしまったような気もする。ユウリが引くと、ハルは無表情にこちらを見た。
「もうよろしいですか?」
「あ、うん。時間もらってありがとう」
一瞬なにか言いたげな視線を感じたが、ハルはぺこりとお辞儀をして部屋の奥へと戻った。ユウリも控室を後にした。
廊下を歩きながらハルとの会話を反芻し、ユウリはコミュニケーションの難しさを改めて感じた。先ほどは意図せずハルの機嫌を損ねるような発言をしてしまったようだし、どうにも自分が伝えたい意図をきちんと伝えるということがうまくいっていない気がする。家族やアヌカの集落の人たちとすら積極的に会話してこなかったことが弊害としてあらわれているのだろうか。だとしたら、リトのことを理解できないのも単に自分のコミュニケーション能力が低いからという気もしてくる。
ただ、そういう己の至らなさは別にして、気になることもあった。ハルの言動の節々から、どうにも自分が嫌われているように感じることだ。
それははじめからあった。ハルと対峙したときに感じる、チリチリとした敵意のような何か。
はじめは自分が緊張しているせいだと思っていた。初めてリトと対峙したときに己がやらかしたことを思えば、その陣営の人から敵意を向けられても仕方がないとも思っていた。だが思い返してみるとそういったぴりついた空気を感じるのはいつもハルがいるときなのだ。リト陣営の人たちを集めてもらってあいさつしたときでさえ、戸惑いや懐疑の目では見られたものの、あからさまな敵意までは感じなかった。あのときはハルは休んでいたためその場にいなかった。
本当はハルにもっといろいろ訊いてみたいことがあるのだが、今のままでは難しそうだ。どうしたらハルと敵対せずに会話することができるようになるのか。リトについての相談をしに行ったはずが、結局は悩みの種が増えてしまっただけなのだった。




