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20 学びの時間

 執務室ではそれからしばらく今後のことについての話し合いが続いた。カナトが「全員集合」とこぼしたように、ここに今集まっている面々はリトの最側近という扱いのようだ。そんな中に混じっていることはユウリにとっては気まずいものだったが、これからリトが取り組むことに関わっていく以上はこれも慣れるべきことのひとつである。それだけリトがこのことを重要視しているという証左でもある。

 ヒュウゴウを前にした誓い。もしそれが破られるようなことがあれば、今度こそどんな災いが降りかかってくるかわからないのだ。

 それぞれの役割を確認し、その日は解散となった。

 都周辺を白銀に染めていた雪はずいぶんと溶け、気の早い草木は既に芽を出している。気温が上がってくるにつれ宮廷内も少しずつ活気を取り戻してきた。閉ざされていたカーテンもそろそろ開かれることだろう。現帝ミルダの不機嫌も少しはおさまるかもしれない。

 いろんな意味で張りつめた空気が緩み始めるこの時期に、リトの陣営は慌ただしさを増していた。

 リトが稟議に出ている間、ユウリは執務室に収められた本で知識を深めていた。これもリトのお目付け役という任を果たすため、リト本人から与えられた課題だった。

 ユウリに決定的に足りないもの。それはこの国の歴史についての知識だった。前の旅でキジやホウから泉守が守ってきた記録を見せてもらったりもしたが、それはあくまで嵐の前兆を研究していた彼らの考察に関わる部分のみだった。しかもそれは泉守の視点で記されたものだ。ユウリはここでリト陣営の人と会話を交わす中で、自分の知識の偏りを強く感じるようになった。リトからも少しずつ勉強していくよう言われているが、ユウリ自身もまだまだ知らないことが多くあるという自覚があった。

 リトの執務室は書斎を兼ねているため、壁際に並べられた書棚にたくさんの本が並んでいる。そこにおさまっている本は自由に読んでいいと言われているため、ユウリは手始めにこの国の正史が書かれているものを手に取った。はじめのページに他のページよりも大きな紙が折りこんで綴じこまれている。開いてみるとそれは地図のようだった。国の全図と思われるものが描かれている。国土すべてを一枚の紙面に収めているのであくまで簡略的なものではあるが、それでも都の位置や街道、主な街の名などがかなり細かく書きこまれている。ユウリはその中にジオウの店がある街、ラッカの文字を見つけた。その地図で見ると都からそこまで離れていないように見える。つまりはこの国の国土がユウリの想像よりも広かったということだ。ユウリはその地図を見て、以前リュウからいろんな街の話を聞いたことを思いだした。これだけ広大ならば、ユウリが想像もつかないような場所があるのもうなずけるというものだ。

 思わずのめりこむように見てしまったが、今の目的は歴史を学ぶことだ。ユウリは広げていた地図を一旦丁寧に畳んで、正史の始まりのページを開いた。

 ……はずだったのだが。

「お嬢さん?」

「!」

 間近で響いた声にユウリはびくっと身体を震わせた。視線を上げるとうろんげにこちらを見下ろすジグと目が合った。

「立ったまま寝るのは危ないよ。本も落とすかもしれないし」

「あ……」

 ジグに指摘され、自分が寝落ちしていたことに気づいた。本に目を落としていたはずだが、そもそも文章が難解で、読んでいるうちに睡魔に呑まれていたらしい。必要なことだとはわかっていても、これまで勉強などほとんどしてこなかったユウリにはなかなかハードルの高いことだった。本を取り落としてしまう前にジグに起こしてもらえたのは、気恥ずかしさはあるが不幸中の幸いと言えるかもしれない。大事な本を傷つけずに済んだという点では。

「あの、起こしてくれて、ありがとう」

「いやそれはいいけどさ……」

 気まずげなユウリを見て、ジグはため息をつきつつ書棚に目をやった。

「歴史が知りたいの?ならそんな小難しいのから読まないで、もっと簡単にまとまったものから入れば?例えばこれとか」

 そのままジグは一冊の本を抜き出してユウリに差し出した。今開いている本に比べても薄く、装丁もやわらかい雰囲気になっている。確かにこちらの方が入門書という感じがする。ユウリは一旦正史の本を閉じて書棚に戻し、ジグが選んでくれた本を手に取った。ぱらぱらとめくってみると、文章も平易で読みやすく感じた。

「あの、ありがとう。こっちなら読めそう」

「そう」

 素っ気なく返すと、ジグは自分の作業に戻っていった。

 ジグとこうして同じ空間にいるのはまだ数回だけだが、それでもなんとなく人となりが見えてきた。カナトと同じ職分(オウギは「かげ」と称していた)ということだが、明るく闊達なカナトに比べ、このジグは物静かで人と会話しているのをほとんど見かけない。ジグと比べればオウギのほうがしゃべっているように見えるほどだ。初対面のときに矢継ぎ早に話しかけてきたのが幻だったかのように思える。あのとき確かオウギが「猫被る必要はない」と言っていたから、あのジグは猫を被った姿だった、ということなのだろう。ならば今のジグは猫を被っていない、素の姿なのだと受け取ってもいいのだろうか。

 そうであってほしい、とユウリは願う。己を偽らずに素でいられるのがいいことだと思う性分だから。

――私のことも味方だなどと思わなくていい。

 陣営の人たちを知っていくたびに、リトの言葉を思い出してしまう。まるで戒めのようなあの言葉。誰のことも信用しすぎるな、というのは処世術としては間違っていないのかもしれないが。

(あなたは、そんな孤独の中にいるのか)

 リトのことがどんどんわからなくなる。お目付け役として、これまでにもう長い時間を共に過ごしているはずなのに。

(もしも今、ユナがいたら……聞くことができたのかな)

 リトがどういう人物なのかを。だがユウリは首を振ってその考えを振り払う。そもそもユナが仕えていたときにはリトはほとんど眠ったままだったはずなのだ。人となりを知るほどに親しくなるような機会もなかっただろう。

(でも、だったらなぜユナは、あの人に生きてほしかったんだ?)

 ユウリは再び首を振る。それも今考えたところで仕方のないことだ。こたえを知ることは永遠にかなわないのだから。

 考えても仕方のないことは、一旦置いておくことにした。今はそんなことに構ってはいられない。一刻も早く知識を身につけ、来るべき時に備えなければならないのだ。

 ユウリはジグが選んでくれた本を開き、この国の歴史を頭に入れる作業に集中した。

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