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9 己の職分

 叙任式を経て、ユウリは正式に皇子リトの陣営の一員となった。とは言っても式では陣営の人々とあいさつを交わすことはおろか、それぞれの顔をゆっくりと見る時間すらなかった。おまけにあの「偽シオン騒動」もあって、ユウリはただ成り行きを見守っていることしかできなかった。やはりまだここでの身の振り方に慣れない。あのような特殊な事態にも臨機応変に動けるようにならなければ、いくらオウギに厳しく護身術を叩きこまれてもそれを活かすことはできないだろう。まだまだ課題は山積みなのだと思うと、言い知れない焦りや悔しさのようなものがこみあげてくる。

「ユウリ、なにか考えごと?」

 声をかけられてはっと我に返る。ここは皇子の執務室。声をかけてきたのはリトだ。

「あ、いえ、その、すみません」

 こういうときにどう応えるべきかわからず、いまだにまごついてしまう。そんなユウリにリトはふっと笑う。

「だから何度も言うように、改まらなくていい。私はあなたの意見を聞きたくて招いたのだから、思うことがあるなら言ってほしい」

 今の皇子は式のときの雰囲気とは違い、肩の力が抜けている。隣にはカシュウも控えているが、やはり式のときほどには緊張感を纏っていない。今この場で息を詰めているのはユウリだけという気がした。彼らにとってはこれは日常であり、その日常にユウリだけが馴染めていないということなのだろう。リトから直々に「思っていることを言え」と言われているのだからなにか応えなければいけないと思っても、そんなに都合よく言葉は出てきてくれない。

 リトはそんなユウリに。

「まぁ慣れていないものは仕方ないか。じゃあ訊き方を変えよう。ユウリ、あなたがここへ来てから今までで、私の行いがおかしいと思ったり、不審に感じたことはない?」

 リトがユウリに求める「意見」とはすなわちこのことなのだ。職分としては補佐官ということになるが、リトはユウリを「お目付け役」としてここに招いたのだ。

「いや、それはない、けど……」

 リトからの問いかけが引き金となって、心に引っかかっていることが浮かんできた。この場で言うようなことではないような気もしたが、試しに疑問として投げかけてみることにした。

「ハルのことは、少し気になっている。仲間として働いているのに、ずっとすれ違いになってて……。式のときのことも、訊けていなくて」

 あのとき、なぜハルは動いたのか。そしてあれは一体なんだったのか。リトが言うにはハルが「偽物」と断じたシオンは本人に見えたという。その後の顛末もユウリは知らない。ハルの真意がわからないのは、ちゃんと会話を交わしていないからなのか。それとも単にユウリの察しが悪いという話なのか。そんなことさえ、ずっとすれ違っている今の状況ではわからない。

「ハル、か……」

 リトはあごに手を当て、なにか考えを巡らせた。その様子を見ていたカシュウがおずおずと口を挟む。

「殿下、私からご説明いたしましょうか?」

「……ううん、いい。私が話すよ」

 カシュウの助け舟を断って、リトは再びユウリを見た。

「ハルの仕事は執務中以外の私の身辺の世話だ。自然、休むのは深夜になる。だから私が執務中の昼間にも休みをとらせている。本来あの叙任式にも出席する必要はなかったんだけど、本人が希望したので出席させた」

 その説明で、ユウリの疑問は少し晴れた。たしかにリトの執務以外の時間が主な労働時間なのであれば、ユウリとすれ違いになるのは当然だ。

「優秀な人だよ。とてもよく働いてくれている。私の陣営の一員としては日が浅いけれどね」

「え?」

 それは意外な気がした。あの身のこなしはどう見てもベテランという気がしたのだが。

 その疑問にはすぐにリトが応えた。

「彼女は長らく、母上の侍女をしていた人だから」

 リトの言う母上、つまりは現帝たるミルダその人。ユウリも式のときにその姿を目にした。顔立ちはリトにも似ているが、その目つきはより厳しいものに見えた。

 ユウリは以前カナトが言っていたことを思い出した。

――腕の立つ女の手合いってのは陛下が囲ってるし。

 つまり彼女もその一人だった、ということ……。

「少し前にあちらでちょっとした問題が起きて、ハルはその中心にいた。そのまま母上の侍女をしていたら禍根が残りそうだということで、カシュウの提案で私の侍女として迎えたという流れだ。ユウリも見ていたとおり彼女は腕も立つからね。私も助かっているよ」

 そういうこともあるのか、とユウリは認識を改めた。叙任式のときも現帝側と皇子側の陣営は明確に分かれていた。その二つは相容れないもののように感じていたが、別に敵対関係にあるというわけではないようだ。よくよく考えてみれば当然のようにも思える。現状、ミルダから帝位を継承するとしたらそれはリトということになる。病に伏せていたリトを呪術に頼ってまで生きながらえさせたのは、世継ぎを絶やさないためなのだ。だからリトが快癒したことは皆にとって喜ばしいことであり、それを押しのけてまで対立することは無意味に思える。

(でもじゃあなんで、この人はこんなに孤立して見えるのだろう……。)

 リト自身、ここでは人を信用しすぎるなとユウリに釘を刺している。つまりリトは誰のことも本心から信用してはいないのだろうか。隣にいるカシュウや、陣営の他の人たちのことも。だからあの叙任式での一件でも、何事もないように振る舞っていたのだろうか。最初からなにが起きてもおかしくないと思っているから。それはひどく心がすり減るのではないだろうか。

「彼女と仲良くなりたいの?」

 リトの声ではっと顔を上げる。リトは小首を傾げてこちらをじっと見ていた。

「いや、仲良く、というか……」

 話をしてみたいとは思う。いつもすれ違っていて、顔を合わせた数少ない機会にもほとんど口をきかなかった。同じ侍女という立場だったなら、もしかしたらユナとも交流があったかもしれない。いつかそうした話をできる間柄になれたらいいとは思うけれど、それよりも。

「私は、仲間として認めてもらいたい、です。ハルだけでなく、他の人にも。あと……あなたにも」

 一瞬言うか迷ったが、勢いに任せて言ってしまった。皇子に向けて「仲間」などとは不敬ととられるかもしれないが。

「私がこの仕事を引き受けたのは、あなたが独りぼっちに見えたからだ。ここに来て、あなたを支える人は案外たくさんいることもわかったけれど、それでも……その感覚が消えることはなくて……。説明するのが苦手だから、どう言ったらいいかわからないけれど」

 ユナがその命と引き換えに守った人。あの祠で見たのがユナの本心なのだとしたら、あの子は自らの意思でその命を捧げたことになる。ならばその意思を尊重したいと思った。ユナが守りたかったものを、自分も守りたい。だがあの祠で、皇子は自分の命を返そうとしていた。他人の命を使ってまで生きながらえさせられることは本意ではなかったということだ。リトの命を継いだのは、リトを取り巻く人たちの思惑だった。己の命でさえも他者の都合に翻弄されている皇子は、とても孤独な場所にいるように見えた。

 こういうとき、思い出してしまうのはリュウのことだった。初対面のユウリとも気さくに話してくれて、話下手のユウリの言葉もちゃんと聞いてくれた。あんな風にあっけらかんとなんでも話すことができれば、もっと仲間としてのつながりを感じられるような気がした。

「もっとお互い、腹を割って話すことはできないだろうか?」

 他にいい言葉が浮かばず、結局は思ったまま口に出してしまった。こんな言い方をしてはさすがにリトが怒るような気がして身が竦んだが、リトはむしろ興味深げに目を真ん丸に見開いていた。そして次には花がほころぶように破顔した。

「わかった。努力する」

 それは年相応の笑顔に見えた。

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