プロローグ
国の境がどこにあるのかを正確に把握している者はあまりいない。市井で売られている地図などでは、そのあたりはあいまいにぼかされているものが多いし、国境をまたぐような街道が通る場所というのも限られている。そうした街道を使うのはおおかた国をまたいで商いをする隊商であったり、特定の国には属さない流民であることが多い。つまり多くの一般の民はそんな街道を通ることさえ稀である。国が公式に敷設している越境の街道は二本あり、一方の街道は大河に削られた谷に沿うような道で国の南西側を通っている。もう一方の海と接する漁師街の先へと続く道は国の北東側を通っている。北東側の道にはわりと緩い関門しかないが、南西側は大河にも水門を設置し、船での行き来さえも制限している。それはその昔、この国が南西側に暮らす異邦の民から侵略を受けていたことに由来する。今はもう戦争状態は解かれているものの、いまだにそちらから国境を超えるには様々な検問を受けなければならず、隊商の繁忙期などで越境者が多ければ一日がかりになることもざらにあった。それらの街道が通る場所以外の国境は急峻な山々が囲んでおり、踏破するのは容易ではないし、公に敷設された街道もない。だからたとえ国の民であろうと、北西側の国境がどのあたりなのかをつぶさに知っていることは稀だった。
しかしそんな北西の、急峻な山々のあわいにも、住む者たちはいるのだった。ただその存在は忘れられがちで、よほど国の歴史に詳しい者でなければそこに人里が存在すること自体知らない。
……あるいは、その人里の者たちがもたらすあるものの恩恵に与る、一部の特殊な者たちでなければ。
人が住んでいるのだから、その近くまで街道を敷こうという話が出たことも、昔々にはあった。しかし何代か前の皇帝が異議を唱えたため、その計画は白紙に戻された。以来数十年の時を経たが、いまだに近くには街道はおろか、馬車程度が通れるような田舎道すら通っていない。その不便さで人が住まなくなってもおかしくはないというのに、その里はいまだにひっそりと存在している。
なぜそんなことが起きるのか。それはこの地が、街道こそ敷設されないものの、中央から手厚い庇護を受けているからなのだった。
曰く、この里を絶やしてはならぬ、と。
この里が一体なんなのか。それを知るのもまた、一部の人間のみ。
そこは、昔々に禁じられた呪いを、今世に伝えるための里。
国の成立に大きく関与したといわれる、国ができる前からこの土地に住んでいた呪術師たちは、今ではほとんど表舞台には登場しない。呪術師たちにも派閥があり、皇帝の支配を良しとしない一派は弾圧に遭って滅びたといわれている。そうでない者たちは大きく二手に分かれた。一方は呪術を捨てて市井へと下り、国の民として生きる道を選んだ者たち。そしてもう一方は、国に与することで呪術を守ることを選んだ者たち。後者はいまだに中央とつながりがあり、招聘を受ければ応じて彼らの術を国政のために捧げている。そしてその中でもひときわ特殊な人々が暮らすのがその人里なのだった。
国は国政に反目しない限りにおいて呪術の存在を容認しているが、それでもあまりにも人道にもとるものや危険なものについては使用を禁じた。彼らが崇める祠も一部は閉鎖している。中央には国の秩序を安寧に保つ責務がある。禁呪とされるものはそうした秩序をを根本からひっくり返すほどの危険性を秘めている。初代皇帝によってもたらされた法にも明記されているし、そもそも倫理的に呪術師の中でも使用をはばかる考えが定着している。
だが実のところ、法による禁止というのは建前でしかない。
呪術は基本、その一族の中でしか受け継がれない。血縁が関係しているとも言われるが詳しくはわかっていないことが多い。禁呪を使う者がいなくなれば、その技は永遠に失われてしまうと言われている。それを良しとしない一部の呪術師が、中央に甘言をもって取り入った。
皇帝らが望むときには、その呪いを捧げることを約す。ゆえに禁呪を受け継いでいくことを容認してほしい、と。
中央の者たちはそれを受け入れた。その方が都合がよかったからだ。己らに与するのであれば、危険な呪いにも利用価値があると踏んだのだ。ゆえにこの里は滅ぶことなく、いまだにひっそりと存在しているのだった。
辺境でありながら手厚い庇護を受け、民にほとんど知られることなく存在する、奥まった人里。その存在を秘密裏に知る中央の者たちは、そこに住まう者たちをひっそりとこう呼び慣らしていた。
暗嶺に住まう者たち――暗嶺の呪術師、と。




