第二百二十五話 地下10階の決闘
バルド・カイゼルは大きく息をつくと、椅子に深く腰掛けた。
いまだ残る闘技場での熱気に包まれた身体を少し休めるように、疲れと安堵が交互に浮かぶ表情をしている。
「……やつは、すげぇよ」
バルドはふっと笑いながら、デスクの上に置かれたグラスの縁を軽く指でなぞる。
その仕草にはどこか感慨深いものが宿っているように見えた。
「ノクターン・グリムで頂点に立つため、玲司は毎日何十人というストレンジャーと決闘している。しかも、ただの模擬戦じゃねえ。常に全力、命を賭けた戦いだ」
「何十人も……!」
思わず声が上ずる。
冷静沈着で余裕を持った態度が印象的だった玲司が、そんな危険な日々を送っているとは想像もしなかったからだ。
「そうだ。相手は人間だけじゃない。ここにはビーストテイマーもいるって話をしただろ? 玲司はそいつらが使役するモンスターとも嫌というほどやり合ってる」
バルドの言葉に、背筋がゾクリと震える。
S級モンスターを扱うテイマーまでいるギルドで、毎日のようにそんな実戦を繰り返しているのか。
「日々、ボロボロになりながら、それでも決して負けねえ。その姿が、ここの連中を惹きつけてるのさ」
(玲司が……そんな生活を?)
俺が知る玲司は、人を嘲るように冷たく笑いながら相手を弄ぶ、余裕たっぷりの“狂気”を抱えた男だった。
しかし、今の話を聞く限り、彼は超えがたい修羅場をくぐり抜け続けているように思える。
「……今も?」
自分でも驚くほど小さな声が出る。だがバルドははっきりと頷いた。
「今もだ。あいつは最下層、地下10階で決闘中だ」
地下10階――。
ノクターン・グリムのビルは地上の高層階だけでなく、深く地下まで拡張されているということを先ほど聞いたばかりだが、まさかそこが“決闘場”だとは。
俺は息をのむ。
玲司がそこまでの闘いを続ける理由はなんなのか。
あるいは、彼が追い求めているものは何なのか。
「そこに、連れて行ってくれませんか?」
思わず口から飛び出した言葉に、自分でも少し驚く。
だが、玲司のことを知りたいという想いが今の俺を突き動かしていた。
バルドは短く笑い、椅子から立ち上がる。
かすかな疲労を押し隠すように、再びあの堂々とした姿勢を取り戻したように見えた。
「もちろん構わねぇよ」
彼はそう言うと、大きな肩をほぐしながら俺に目配せをする。
その瞳の奥には、先ほど闘技場で見せた鋭い光とは別の、仲間を導くような優しさが浮かんでいる気がした。
「ついてこい。地下へ案内してやる」
バルドの背中は頼もしさと独特の凄みを同時に湛えている。
俺は深く頷いて、そのあとを追った。
(玲司……お前は何を目指して、どんな地獄をくぐっているんだ?)
胸の奥がちりちりと疼く。
闇を纏ったあの覚醒の力を操り、過去に多くの人間を恐怖に陥れた男が、いま再び修羅の道を選んだのは何故なのか。
ノクターン・グリムの地下へと続くエレベーターに乗り込む間、俺は静かに思考を巡らせる。
バルドが語る玲司の姿は、俺が知る彼とはあまりに違っていたからだ。
エレベーターのドアが開くたび、地下階層の冷たい空気が漂ってくる。
下へ行けば行くほど暗さと静寂が増していくようで、まるで地獄へ誘われているかのような錯覚さえ覚えた。
再び鳴り響くエレベーターの機械音が止まる。
まもなく、闘技場とは別の“決闘の場”へ俺は足を踏み入れることになる。
決闘が行われている地下10階の光景は、いったいどんな地獄絵図なのか――その恐怖と好奇心が入り混じった緊張感を抱えながら、俺はバルドとともに暗い通路を進んでいった。
(玲司……今度は逃げずに、お前の本心を聞かせてもらうぞ)
地下10階——そこは地上とはまるで異なる、異様な空間だった。
闘技場の天井は高く、頭上に黒々とした鉄柵が組み合わされている。
薄暗い光源は血の香りを孕む空気を照らし出し、壁に刻まれた無数の傷跡や乾いた血の痕が目についた。
まるで、ここが絶え間ない死闘を繰り返す“戦いの檻”であると物語っているようだ。
その中央——。
玲司がいた。
「次!」
玲司の鋭い声が闘技場に響く。
彼の目はまるで獲物を狙う猛禽のように研ぎ澄まされていた。
その瞳の奥に宿るのは、狂気にも似た静かな熱。
その瞬間、対峙していたストレンジャーが吠えるように襲いかかった。
【A級スキル:風刃連撃】
素早い連撃が玲司に迫る。
しかし、玲司は微塵も動揺する様子を見せずに剣を構え、あっさりと受け流す。
まるで相手の攻撃をすべて先読みしているかのようだ。
「甘いな」
玲司が冷ややかに呟いた刹那、
【S級スキル:雷迅剣】
雷を纏った一閃が舞い、相手の剣を弾き飛ばす。
ビリビリと空気を震わせる稲妻の閃光が走り、ストレンジャーは地面に激しく叩きつけられた。
「……まだだ!」
倒れたストレンジャーが震える足で立ち上がろうとするが、
「終わりだ」
玲司の断罪剣が、一瞬でその喉元に突きつけられる。
肩で息をするストレンジャーは、絶望の表情を浮かべたまま動けない。勝負は決した。
「次だ」
玲司が低く呟くと、待ち構えていた別の対戦者が闘技場の扉から雪崩れ込んでくる。
一人が倒されれば、また次の挑戦者が現れる——その連鎖が果てしなく繰り返されているようだった。
「僕は……もっともっと強くなる……!!」
玲司が血に染まった剣を握りしめ、静かに宣言する。
その眼差しは、もはや常軌を逸した執念を帯びているようにさえ見えた。
目の前で繰り広げられる光景に、俺は圧倒されていた。
(俺だって、負けられない!! だけど、こんなに努力している奴が、なぜ負の方向へ突き進んでしまうんだ?)
かつて彼と戦った記憶が脳裏に蘇る。
冷徹な笑みを浮かべ、他者を嘲るかのように立ち回っていた玲司。
しかし今の姿は、嘲笑よりも狂気と焦燥を孕んだ闘志が全面に滲み出ているように思えた。
隣に立つバルドが腕を組みながら無言で闘技場を見つめている。
先ほどまで俺に力強い信頼を示してくれた彼も、今は視線を鋭くして玲司の姿を追っていた。
「今は……こんなところで見ている場合じゃない」




