第二百二十話 闘技場
※ ※ ※
闘技場の扉が重々しく開き、軋む音が耳に突き刺さる。
そのまま俺は中へと一歩、また一歩と足を踏み入れた。
内部には冷たい石畳が広がり、息を飲むほどに広大なドーム状の天井が仄暗くそびえ立っている。
(……完全に四面楚歌だな)
周囲を見回せば、ノクターン・グリムのストレンジャーたちがずらりと観客席を埋めていた。
それぞれが鋭い視線を送り、獲物を値踏みするような不気味な空気を漂わせている。
(ここで一斉に襲われたら……さすがの俺でも生き残れる確証はない。いや、それ以前に、この闘技場に満ちる圧迫感だけで心臓が縮こまってきそうだ)
嫌な汗が背中を伝い、ピリピリと全身が張り詰める。
それでも俺は奥へと進んでいく。
引き返すという選択肢は、もう最初からない。
「安心しな」
低く響く声が、張り詰めた空気をかき分けるように届く。
視線をそちらに向けると、闘技場の中央に立つバルド・カイゼルが、不敵な笑みを浮かべていた。
筋肉が盛り上がった体格は、“巨岩”のようという表現では足りないほどの頑強さを誇っている。
「ここは闘技場だ。俺たちはただの暴徒じゃねえ。お前に一斉に襲い掛かるなんてことはしねえよ」
バルドの言葉に、観客席からクツクツと笑い声が上がる。
どうやらノクターン・グリムなりの誇りがあるらしい。
「……」
(話が分かるようでいて、きっと油断した途端に喉元を掻っ切ってくるのが、この世界だ。それでも、多少は正々堂々やってくれるってことか?)
俺は一瞬だけ警戒を緩める。だが、心臓の鼓動は相変わらず高鳴ったままだ。
天井を見上げれば、まるで巨大な龍の口の中にでも飲み込まれたような感覚を覚える。
石造りの壁には無数の剣傷や魔法の痕が刻まれていて、そこからは仄暗い闘気が滲み出している。
観客席にはノクターン・グリムのストレンジャーたちがずらりと居並び、誰もが血気盛んな瞳で俺たちの一挙手一投足を見下ろしていた。
ざわざわとした期待のどよめきが場内を覆い、石畳に立つだけで肌がチリチリと焼かれるような圧迫感を感じる。
(こいつら……一人一人が普通のストレンジャーじゃない。明らかに場数を踏んできた化物揃いだ。だけど、怯んでなんかいられない)
バルド・カイゼルが闘技場の中央へと進み出る。
ギシッとブーツが石畳を踏みしめた音が、静かな闘技場に響き渡った。
「さあ、ルールは簡単だ」
その豪快な声は壁に反響し、雷鳴のように俺の耳を打つ。
「戦闘不能になったほうが負け。いいな?」
「……わかりました」
俺は短く答える。心の中ではバクバクと心拍数が上がっていたが、ここで弱気な態度を見せるわけにはいかない。
「それともうひとつ」
バルドがギラリと目を光らせる。
「俺に勝てば、玲司について教えてやる。ただし、負けたら……記憶のオーブについて、すべて語ってもらおう」
「!!」
思わぬところで“記憶のオーブ”が出てきた。思わず息が詰まる。
(イザナさんがいない中、勝手に契約していい内容じゃない。でも……)
俺はぎりっと唇を噛む。そして心の中で決意を固めた。
(負けなければいい。それだけのことだ)
「……わかりました」
そう言って、静かに断罪剣の柄を握る。
「ハッハッハ、いい覚悟だ!」
バルド・カイゼルが嬉しそうに大剣を構え、胸の奥から喉を震わせるような笑いを上げる。
「さあ、始めようか」
その言葉と同時に、観客席のあちこちから歓声が沸き起こる。
緊張と興奮が入り混じった空気が一気に熱を帯び、思わず息苦しさを感じるほどだ。
※ ※ ※
「いくぜ!!」
バルドがいきなり地を蹴った。
あの巨体からは想像もつかないスピードに目が追いつかない。
【S級スキル:大地砕き(グランドブレイク)】
効果:地面を叩き割り、広範囲に衝撃波を発生させる。
ドォンッという轟音とともに、石畳の床が瞬く間にひび割れを起こす。
そこから荒波のような衝撃波が迫ってきた。
「っ……!!」
慌てて跳躍し、破壊の波を避ける。
危うく足がもつれかけるほどの威力だ。
しかし、
「遅い!」
バルドはすでに俺の死角に回り込んでいた。
「なっ……!!」
ズドォォン!!
大剣の一撃が俺の腕をかすめ、その衝撃で大きく吹き飛ばされる。
空中で体勢を立て直す暇もなく、石畳へと叩きつけられ、肺から空気が一気に押し出された。
「ぐっ……!!」
腰と背中にズキリと激痛が走る。
思わず目の前がチカチカと点滅する。
(こいつ……ガタイの割に、とんでもなく速い! 反応速度が人間離れしてる)
必死に呼吸を整えようとする間もなく、バルドは次の行動に移っていた。
「俺はこれでもソーサラーとしても一流でね……」
片手を掲げると、空間が歪むような感覚が走る。
【S級魔法:獄炎魔陣】
効果:周囲に炎の陣を展開し、敵の行動を封じる。
ゴォォォォ!!
轟く炎の奔流が闘技場の床をなめ回すように広がり、俺の周囲に魔法陣が浮かび上がった。
赤黒い炎の円が俺を取り囲み、じりじりと熱が押し寄せてくる。
(まずい……! こいつ、攻撃力だけじゃなく魔法適性まで高いのか? あの巨体で近接戦闘を仕掛けてきた上に、今度は魔法まで)
バルドの獰猛な笑顔が炎の向こうからチラリと見える。
いかにも余裕だとでも言わんばかりに、腕組みをしてこちらを見下ろしていた。
炎の壁が周囲を覆い、俺の逃げ道を徹底的に奪っている。
無理に突破すれば大やけどは避けられないだろう。
諦めるな――自分に言い聞かせながら、俺は剣を強く握りしめ、石畳を踏み込み直す。
「いいぜ……」
呼吸を整え、心臓の鼓動に意識を集中する。
ここで退くわけにはいかない。
「それなら俺だって……!!」
地を蹴り、全身の力を闇の奥底から呼び起こす。炎の魔法陣が迫り来る中、俺は覚悟を決めた。
灼熱の炎の波動と、観客たちの熱狂が渦巻く闘技場で、俺の心は不思議なほどに澄み渡っていた。
次の瞬間、一筋の黒い閃光が走るように、俺は炎に向かって突撃を開始する。
マジックバッグから、氷刃の双剣を取り出す。
「はあああっ!!」
気合いを入れた一閃で、襲い掛かる炎を切り払う。
属性同士の衝突。ランクが高いほうが勝つ。
いまはS級同士。
その衝突は、巨大な爆発を生んだ。
ドガァン!!
「なっ!!」
もくもくと水蒸気の煙が発生する中、俺はバルドに突撃する。
ガキィン!
バルド・カイゼルが剣を受け止める。
「いいね! なかなかやるな! さすが海外遠征から帰還したストレンジャーだ!!」




