第二百十九話 ノクターン・グリム
仙人のダンジョンを後にして、俺は夜の街を無言で歩いていた。
足元を滑るように吹き抜ける夜風は肌寒く、コートの襟を立てても体の芯から冷えてくる。
(玲司の過去……そしてあいつの狂気。もう知ってしまった以上、俺には止める義務がある。それが、俺に課せられた宿命なんだ)
俺は足早に人混みをかき分けながら、目的地を目指していく。
ネオンがぎらつく大通りにはちらほらと酔客や観光客の姿が見え、ビル群から漏れる明かりが都会の夜を白々と照らしていた。
けれど、そんな賑わいとは無関係に、俺の心中はどこか重苦しい。
(今の俺がやるべきことは、神楽坂玲司ときちんと決着をつけること)
そう自分に言い聞かせるように、唇を噛む。向かう先は——ノクターン・グリムのギルドビル。
そびえ立つ超高層ビル。
その外壁に大きく刻まれた黒いエンブレムが、ビル全体を威圧的に彩っている。
高層階のガラス窓には妖しい光が反射し、その姿はまるで夜空を貫く黒い要塞のようだ。
(ここか……玲司が所属しているギルド。やっぱり、ただのビルとは雰囲気が違うな)
ビルの正面には、黒いスーツを身にまとった守衛のようなストレンジャーたちが立っている。
銃や武器こそ見えないが、その眼光はまるで猛禽のように鋭く、ちょっとした怪しげな動きでも即座に対応してきそうだ。
俺が近づくなり、門番たちの視線が一斉に俺を捉えた。
濃密なプレッシャーがこちらに向けられ、心臓が軽く跳ねる。
「待て。オマエ、何の用だ?」
低く荒んだ声が夜の空気を切り裂く。
「神楽坂玲司に会いに来た」
静かながらも、はっきりとした意思を持って俺は答える。
「は? オマエ何様だ? 玲司様はうちの幹部だぞ」
門番が不機嫌そうに眉をひそめ、威圧的な目つきで俺を睨みつける。
(そりゃそう簡単には通してもらえないだろうな。ここはトップクラスのストレンジャー集団、ノクターン・グリムだ。しかも玲司が幹部なんだから、なおさらだ)
もう一人の門番が、ジロジロと俺の顔を観察していたが、何かに気づいたように息を呑む。
「……待てよ、こいつ……あの古代ダンジョンを制覇した『暁の刃』の凄腕ストレンジャーだ」
「なにぃ?」
門番たちがざわめき、互いに顔を見合わせる。
どうやら情報はすでに広まっているらしく、その名を聞いた瞬間に空気が少し変わるのを感じた。
(ありがたいのかありがたくないのか……でも、ここでは有名人扱いされる方が都合がいいかもしれない。玲司に会うには力を示す必要があるだろうしな)
その時、低く響く声がビルの内部から飛んできた。
「もめごとか?」
暗いエントランスを背景に、巨大な影がゆっくりとこちらへと歩み出る。
全身を覆う筋肉は岩のように硬そうで、まるで巨熊のような威圧感。
周囲の門番たちが一斉に背筋を伸ばす。
「はっ! バルド・カイゼル隊長!」
「こいつが玲司に会いたいと?」
バルドは俺を見下ろすように視線を走らせ、その鋭い目つきのまま鼻で笑う。
「どんな用か知らねぇが、うちの幹部に会うなら、それ相応の実力が必要だ」
堂々たる態度。まるでここが自分の城であるかのような自信に満ちあふれている。
「……つまり?」
俺はあえて短く問い返す。するとバルドの唇が不敵に歪んだ。
「俺はバルド・カイゼル——ノクターン・グリムの特攻隊長であり、幹部の一人だ。S級ストレンジャーでもある」
「!!」
「俺のお眼鏡にかなわなければ、ここは通さねえよ」
ゴキリと拳を鳴らしながら、バルドは挑発するように口角を吊り上げる。
「わかりました、受けて立ちます」
俺は即答した。少しも迷うことはない。
(玲司に近づくためには、実力を示すしかない。相手がどんな怪物だろうと、今の俺は引き下がるつもりなんてさらさらない)
「ハッハッハ! 気に入ったぜ」
豪快に笑い声を上げるバルドの姿は、まるで古代の闘士のようだ。
彼の背中からほとばしる戦闘オーラに、こちらまで血が騒ぎ出す。
「こい。うちのギルドの地下には闘技場がある。そこで勝負だ」
そう言い放つと、バルドは一瞬も振り返らずにビルの中へと歩き始める。
後ろ姿からは圧倒的な自信と力強さがにじみ出ていて、その男が歴戦の猛者であることを物語っていた。
(ノクターン・グリムのS級ストレンジャー……一筋縄ではいかないのは分かってる。けど、ここで引くわけにはいかない)
思わず拳を握りしめ、改めて覚悟を固める。
夜の闇が、カイゼルの巨大な体を黒いシルエットとして際立たせる。
その背を追うたびに、胸の奥の闘志が不気味なほどに燃え上がっていく。




