第二百十七話 玲司の過去
「1万年前の記憶……そんな話を、弟子が?」
かろうじて喉を震わせて言葉を絞り出す。
「そういうことだ」
「そいつの名前は……!?」
思わず身を乗り出すと、テーブルの上の湯飲みがかすかに揺れた。
仙人はゆっくりと口を開き、まるで運命を告げるように淡々と告げる。
「玲司。神楽坂玲司」
「!!」
雷光が落ちたような衝撃が脳内を駆け巡る。
言われなくとも、その名は俺の中で確かな意味を持つ。
そう、神楽坂玲司――俺が背負う宿命の相手。
「やはり……!!」
思わず拳を握りしめる。
仙人が放つ言葉の一つ一つが、俺の心を鋭く貫いていく。
神楽坂玲司が“覚醒者”だったという事実が、俺の中の戦慄と緊張をさらにかき立てる。
それでも、俺の胸の奥には新たな決意が芽生え始めていた。
(どうやら、ただの復讐や因縁ってレベルじゃない。世界や歴史そのものに関わるような大きな運命が、俺たちを結びつけているのかもしれない。ならば、俺は逃げられない。戦うしかない……!)
仙人が再び湯飲みを持ち上げると、ゆらめく湯気の向こうからこう告げる。
(神楽坂玲司、お前を追うことで、俺はきっとこの運命に飲み込まれる。けれど、それが俺に与えられた宿命なら、受け止めるしかない。そうだろ……!)
胸の奥で燃え上がる闘志とともに、俺は仙人の視線をまっすぐに受け止める。
今、このダンジョンの奥深い闇で出会った“覚醒者の師”こそ、俺たちの行く末を見届ける存在なのかもしれない。
そんな考えが頭をよぎった瞬間、茶の香りがやけに鮮明に鼻腔をくすぐった。
「でも……いったい、玲司ってやつは何者なんだ……」
「お前なら、語らずとも、わかるだろう」
「え!?」
「《過去視》によって」
!!
そうか……俺の《過去視》で……。
目の前の仙人は、無言で座って、たたずんでいる。
俺は、その仙人を見つめ、《過去視:極》を発動させた。
※ ※ ※
これは、仙人による、はるか昔の記憶――。
ダンジョンの奥深く――闇が厚く立ち込め、血の匂いと湿った風が入り混じる危険な場所。
そこに、小さな人影がうずくまっていた。
その小さな影は、幼い少年だった。
汚れや泥で覆われた服はぼろぼろで、栄養を奪われた痩せ細った体が今にも倒れそうに見えた。
虚ろな瞳は光を失い、冷たく硬い地面の上で震えている。
「おい……」
仙人は少年を見下ろしながら、静かに声をかけたらしい。
その声は穏やかだが、妙に胸に刺さる力を秘めている。
「……」
少年はまるで死人のように反応しなかったが、仙人が問いを重ねるとようやく顔を上げた。
「こんな場所で死にたいのか?」
冷ややかな問いかけ。
その言葉に、少年はかすかに瞳を揺らした。
「……誰?」
「ワシはこのダンジョンで長く生きている者だ。名は忘れたがな」
「……」
「ほっといてもいいが、お前、まだ生きるつもりはあるのか?」
少年は当初答えを持たなかったが、少し間を置いてから震える声で呟いた。
「……生きたい」
「そうか。なら、ついてこい」
生きる意思を示した少年を、仙人は見捨てなかった――それが、玲司と仙人との最初の出会い。
俺はその情景を想像しながら、無意識に歯を食いしばる。
こんなダンジョンの深奥に捨て置かれるなんて、どれだけ過酷な境遇だろうか。
仙人は自分が長年培ってきた生存の技術を、玲司に惜しみなく叩き込んでいった。
モンスターの殺気を感じ取る方法、足音を立てずに移動する術、そして食料や水を確保するための知恵……。
「剣を持て。敵の攻撃を避け、反撃する。いいな?」
「……はい」
痩せた身体で剣を握る玲司は、最初こそ震えていたらしい。
しかし、その闇に沈んだ瞳には、しだいに闘志の火が灯り始めていった。
何度も転び、傷つきながら剣を振る姿は必死そのものだったそうだ。
ダンジョンに棲む凶暴なクリーチャーとの遭遇も日常茶飯事だっただろう。
俺なら即座に逃げ出したくなるような極限環境で、玲司はただ“生きるため”に剣を振り、仙人の言葉に食らいついて学んだ。
そうして得た基礎体力と戦闘技術は、玲司を大きく変えていく。
体が引き締まり、目つきが鋭くなり、どこか子供離れしたオーラを身にまといはじめたそうだ。
「その力は……なんだ?」
「はい……《過去を視る》力の、ようです……」




