第二百十五話 ダンジョンにある部屋
「……これは?」
「ああ、ワシが住んでいる部屋だよ。くつろいでくれ」
老人はそんなことを言いながら、手慣れた動作で湯を沸かし始める。
この殺伐としたダンジョンに似つかわしくない、落ち着いた雰囲気に少し戸惑う。
「まさか……本当にダンジョンに住んでる……?」
つぶやく俺の耳に、湯が沸く音が心地よく響く。
老ストレンジャーはお茶を淹れ、俺の前に差し出した。
一応は毒を警戒しつつも、その落ち着いた様子に流されるようにカップを受け取る。
「……うまい」
香ばしい香りとほのかな苦味が広がり、緊張していた身体が少し緩む気がする。
「だろう? 長年の経験がなせる技よ」
老人は満足げに笑みを浮かべる。
その姿は先ほどまでの剣劇や擬態とはまるで別人のようで、穏やかささえ感じさせる。
「あなたが“ダンジョンの仙人”なんですか?」
おそるおそる尋ねると、仙人は軽く頷いた。
「他の連中はそう呼ぶな。 ワシが何十年もダンジョンに住み着いているから、そういうあだ名になっただけさ」
「でも、さっきはどうしてモンスターに擬態なんか……」
先ほどの“エメラルドゴブリン”騒動を思い出す。
あれほどの力を持つ人間がわざわざゴブリンに化けるなんて、理解できない行動だ。
「ああ、ああしておけば他のモンスターが襲ってこないし、時々面白い連中を試せるからな。 お前のように“ビビッとくるやつ”を見つけては、すこし遊ぶのさ」
「ビビッと……?」
仙人はニヤリと笑う。
「覚醒者の片鱗ってやつだ。 ま、その力を試すためにも、擬態しといたほうが都合が良かった」
覚醒者。
その言葉に俺の意識は一気に引き締まる。
やはり、この人物は“スぺシリア・チルドレン”に関わる何かを知っている。
「それじゃあ……あなたに聞きたいことがあるんです。 覚醒者、そしてスぺシリア・チルドレンのことを」
俺は思わず椅子から身を乗り出す。
長年の疑問と、いままさに押し寄せる好奇心が入り混じって胸が熱くなる。
「ほう……やっぱりそこに行きつくか」
仙人は目を細め、少し黙ってからゆっくり立ち上がる。
「ふむ、とはいえ腹が減っては話もできん。 まあ、お茶だけじゃつまらんだろう」
そう言い残し、彼は部屋の奥へと歩いていく。
やがて戻ってきた時、その手には皿が載っていた。
皿には奇妙な料理が並んでおり、見たこともない淡い色の肉が使われている。
「これはモンスターの肉……!?」
思わず顔をしかめる俺に対し、仙人はまるで当たり前だという態度で笑う。
「ダンジョンで暮らすにはこういうのも食わねばならん。 ほれ、“幻影蛇の燻製”ってやつだ。 肉質が柔らかく旨味があるぞ」
「ごくり……」
若干の抵抗感はあるが、仙人が普通に食べているので、意を決して口に運ぶ。
予想以上にコクがあって、少しスパイシーな味が広がる。
「意外と……うまい……!」
「だろう? それも長年の経験さ。 良質なモンスター素材と調理法を知れば、人間も十分生き延びられる」
仙人は“どうだ参ったか”と言いたげに笑う。
俺も戸惑いつつ、皿を空にするころには怪しさよりも美味しさが勝っていることに気づく。
「さて、お前さんも満たされたところで……本題に入ろうか」
仙人は皿を下げ、真剣な目つきになって俺を見つめる。
その瞳には深い光が宿っていて、まるでこちらの内面を見通しているようだ。
「お前が知りたいのは、覚醒者——そしてスぺシリア・チルドレンのことだな?」
「はい……ずっとそれを追っていて」
俺が拳を握りしめながら答えると、仙人は低く息をつく。
老ストレンジャーの言葉を待ちながら、俺は高鳴る鼓動を抑えきれないでいた。




