第二百九話 仙人が潜むダンジョン
「ここが……渋谷のA級ダンジョン……〈歪んだ神殿〉か」
古めかしい柱や割れた石像が、かつての神聖な神殿だった痕跡を残している。
だが空気は澱み、そこかしこに邪悪な霧が漂い、階段の奥からは不気味なうめき声が聞こえるような気さえする。
目的は、このダンジョンに何十年も住んでいるという“奇妙なストレンジャー”との接触。
もし彼が“覚醒者”の情報を握っているのなら、手掛かりになるかもしれない。
歩みを進めると、A級モンスター・堕ちた聖騎士が現れた。
漆黒の鎧に禍々しいオーラを纏い、“暗黒斬撃”を放つ魔剣を携えているという厄介な相手だ。
「ちょうどいい……」
俺は新調した武器で試し斬りをするべく、マジックバッグから冥狼の双刃を取り出す。
Sランクの双剣で、斬撃に呪いの波動を付与し、敵をじわじわと弱体化させる効果がある。
パラディンが剣を振りかぶった瞬間、漆黒の衝撃波――暗黒斬撃が迫るが、俺はすかさずスキルを発動する。
【S級スキル:過去視:極】
効果:敵の動きの“直前データ”を一瞬で頭に再生し、最適な回避と攻撃ルートを導き出す
暗黒の斬撃が飛んでくる“直前”の敵の挙動を、頭の中で再生するように見切る。
一瞬タイミングをずらしてステップを踏むと、漆黒の波は紙一重で素通りしていく。
「遅い!」
俺は踏み込んで、双剣に呪いの波動を纏わせながら超高速の連斬を繰り出す。
不穏な紫の閃光が、パラディンの頑強な鎧をがりがりと削る。
「グオォォ!!」という悲鳴とともにパラディンが膝をつき、止めを刺すべくもう一度振り抜くと、鎧ごと黒いオーラが砕け散る。
「よし!」
A級とはいえ、成長した俺には余裕を持って倒せる相手になっていた。
この調子で奥へ進むが、次第に不穏な空気が増していくのを肌で感じる。
神殿の更に奥。
崩れた石柱を通り抜けた先で、妙に鋭い気配が走った。
次の瞬間、通路の暗がりから小さな影が一歩踏み出す。
(なんだ、こんなところにゴブリン……? まさか?)
それはゴブリンの輪郭だが、普通のF級モンスターと明らかに違う。
(緑色に光ってる……まるで宝石みたいだ)
体表はエメラルドのような透き通った緑色で、瞳は光を帯びて怪しく揺れている。
「レア種か……?」
普通のゴブリンといえばただの雑魚だが、A級ダンジョンに出没するとなれば相応の実力を持つはずだ。
俺は双剣を構えなおし、さっさと倒して通り過ぎよう――そう思い斬りかかる。
「いくぞ!」
バックスイングからの斬撃で一刀両断を狙う。
が、ゴブリンは一瞬で身を翻し、俺の攻撃を避けたどころか、あざ笑うようにこちらを見た。
(え……こいつ、ものすごく身軽だ)
驚くより早く、ヤツが緑の残像を引くように突進してくる。
俺は防御態勢を取る間もなく、その爪先から繰り出される“突き”をまともに受け、吹き飛ばされそうになった。
「ぐっ……」
ゴブリンに一撃入れられるなんて、俺にとって屈辱的だ。
背中に鈍い痛みが走るが、すぐに身を起こす。
するとゴブリンが、低く揶揄するように呟いた。
「その、慢心……雑魚を見る目……だから痛い目を見る」
「え……!?」
「お前に恐怖を与えた、青ゴブリンの呪い……かもな?」
「なっ……お前、しゃべったのか……!?」
人語を理解するゴブリンなど、普通じゃあり得ない。
さらに“青ゴブリン”というワードを出され、俺は頭がざわつく。
あのとき、朱音を助けるために潜ったB級ダンジョンで、青ゴブリンに苦戦を強いられた記憶が蘇る。
あれは俺のトラウマでもあった。
(なぜ知ってる……!! それよりも、このゴブリン……何者なんだ!?)
しかし思考する間もなく、ゴブリンが笑い声を立てると同時に何かを素早く奪い去った。
「……マジックバッグがないっ!」
気づけば、俺の腰につけていたマジックバッグがゴブリンの手の中にある。
そのままゴブリンはまるで超人的なスピードで回廊の奥へと消えかけていく。
「おい、待て!!」
ゴブリンが消えた先には霧の深い回廊が続いており、怪しげな魔力が渦巻いている。
マジックバッグを奪われたのは痛い。
回復ポーションや予備装備など、重要アイテムが全部持ち去られたことになる。
「くそ……どこにいるんだ!?」
俺はすぐに追いかけようと駆け出す。
が、通路は狭く入り組んでおり、足元もところどころ崩れている。
あのゴブリンが狭所を抜けて逃げ回ったら、相当手強い。
(さっきの一撃、A級モンスター並みの威力だった。下手するともっと上かも)
焦りを感じながらも、このまま見失うわけにはいかない。
俺は【S級スキル:過去視:極】を再び使い、ゴブリンの直前の動きをイメージ化して逃走ルートを推測する。
視界の中でゴブリンの足取りが薄い残像のように見え、左の通路へ入ったことが分かる。
「そっちか……!」
ゴブリンが向かった通路を選び、一気にダッシュ。
闇の奥でくぐもった笑い声が響く気がするが、かまってる暇はない。
とにかくマジックバッグを取り返さないと戦闘どころではなくなる。
すでに人語を解し、俺の過去を知っている風だった。
青ゴブリンを口にしたのは、俺を挑発するためか、それとも何か別の目的か……
思考は止まらないが、まずは追いついて倒すしかない。
「絶対に逃がさない!」
こうしてエメラルド色に輝くゴブリンを追う追撃戦が始まる。




