第二百六話 ひとつになりたいんです
心臓がドキドキと暴走しそうなほど高鳴り、全身が硬直する。
バトルではあれほど動けるのに、この展開には全く対処不能だ。リンの唇があと数センチという距離まで迫り――
「私、天城さんとひとつになりたいんです……」
頭の中に警報が鳴り響く。
彼女は普段クールで落ち着いた印象だが、ここまで感情をさらけ出すとは思わなかった。
「好き……天城さん、好き……」
「あ……あ、あ……!」
急激な熱が身体を駆け巡り、彼女の唇が触れそうになった――そのとき。
こんこん。
部屋の扉がノックされる。
「……!!?」
リンも俺もハッとして、思わず身体を離す。
頬を染めたまま、互いに顔を逸らすが、胸の鼓動は収まらない。
扉が開き、入ってきたのはリンのお母さんらしき人物。
穏やかな微笑を浮かべているが、ここに至るまでの空気からすれば、あり得ないタイミングの登場だ。
「天城さん、ご無事ですか? うちのリンが大変お世話になっているようで……」
「い、いえ、こちらこそ!!」
俺は思わず大声で答えてしまい、顔が真っ赤。
お母さんはクスリと笑いながら続ける。
「体がお疲れでしょう? もしよろしければ、お風呂に入っていってくださいね。うちの湯船は広いんですよ」
「は、はい……お言葉に甘えます!」
完全に勢いに流され、返事してしまう。
(危なかった……あと数秒遅かったら、俺はどうなっていたんだ!?)
リンが照れ隠しのように目を逸らしている姿を見て、俺も気まずさMAXだが、助かったのは事実。母親という第3者の登場に心底安堵を覚える。
※ ※ ※
湯気が立ち込める浴室。
リンの家のお風呂というのは、思った以上に広くて清潔感がある。
水蒸気が肌を包み込み、さっきまでの緊張をほんの少し忘れさせてくれるようだ。
「はぁぁ……」
湯船に浸かってみると、全身の疲れがじわじわと抜けていく。
激戦による傷や筋肉の痛みが和らぎ、呼吸が楽になる感覚。
こんなにも落ち着ける環境があったなんて……でも、さっきの“事件”で心は落ち着かない。
(まさかリンが、あんなに積極的だなんて……)
彼女のうるんだ瞳、柔らかい体の感触、耳元にまで迫った声――思い出すだけで顔が熱くなる。
体温がどんどん上がり、湯船の温度と合わさって限界に近い気すらする。
「違う……こんなこと考えちゃダメだ……」
必死に頭を振って、冷静さを取り戻そうとする。
しかし湯船に映る自分の顔は赤く火照り、さっきの“彼女の頬”を思い出してしまう。
どう頑張っても頭から消えないくらい衝撃的だった。
(やばい、うっかり血圧が上がりすぎてのぼせそう……)
少しだけ湯船から身体を起こし、縁に腕を置いて深呼吸する。
リンの家族にお世話になっているのに、こんなこと考えている自分が何やら申し訳なく思えてくる。
それに俺は今や、悪神の復活やスぺシリア・チルドレンの問題を抱えていて、恋愛感情に溺れている余裕はないはず……なんだけど。
(とにかく、しっかり温まって、傷を癒して……)
覚醒者としての試練は続く。
だけど、ほんのひとときくらい安らぎを味わってもいいだろう。
(はぁ……あんなに密着されたの初めてかも……俺、どうするんだこれ)
そんなことを頭でグルグル考えていると、浴室の扉の向こうからリンの声が聞こえた
。少し遠慮がちなノックのあと、申し訳なさそうな声がかすかに響く。
「天城さん、一緒に入ってもいいですか? お背中流します」
「ぶふっ……!!」
驚きのあまり、思わず湯にむせかけて咳き込んでしまう。
このシチュエーション、冗談じゃない。
さっきまでのドキドキがまだ冷めやらぬのに、そんなことされたらどうなってしまうんだ。
「な、何言ってるんだ……!? そんなのダメに決まってるだろ!!」
慌てて声を張り上げると、扉の向こう側からクスッと笑う声が返ってきた。
「ふふっ、それは冗談です♪」
湯気の向こうに感じるリンの気配が微妙に近く、思わず心臓がドキッとする。
彼女はいったいどんな表情をしているのか――ドア一枚隔てているだけでも、想像するだけで頭が熱くなる。
「でも……」
リンが小さく呟くのが聞こえる。
その声が少し沈んだように感じて、俺は耳をそばだてる。
「……?」
返事を促すように黙って待っていると、リンは少し照れ混じりに語りかける。
「もしよければ、これからいつでも泊まりに来てください」
「……え?」
まさかの提案に、一瞬頭が真っ白になる。
お風呂に誘われたあとですら衝撃的だったのに、今度は泊まりに来いと……?
「疲れたら……私が癒します。回復魔法だって使えますし、お料理もがんばりますから」
リンの声は少し照れているようでもあり、どこか強い意志が感じられる。
湯気の向こうから、その真剣さが伝わり、俺の胸がまたドキリとする。
「私、誰にも負けたくありません」
「……?」
「……天城くんの同級生にも、ダンジョン配信している子にも。天城くんに想いを寄せる人がいるなら、私はもっともっと頑張ります」
彼女の言葉に心臓が一際高鳴る。
(いったいどういう意味なんだ……俺のこと、そんなに……?)
思考が追いつかないまま、俺は熱で上がってきた体温を冷ますため、もう一度湯船に深く沈み込んだ。




