第二百五話 リンによる抗えない誘惑
慌てて周囲を見渡すと、棚からこぼれ落ちたタオルや小物の中に、下着らしきものが数点混ざっているらしい。
どうする……どうすれば……!?
混乱に陥っている俺の耳に、扉が開く音が聞こえた。
「天城さん、よかった! 起きたんですね! 私、おかゆをつくって――」
リンが部屋に入ってきた。
そこへ、俺の手元を見るリンの視線。
次の瞬間、彼女の唇がぴたりと止まり、状況を理解したのか、目を大きく見開く。
「あ……」
沈黙が空気を支配する。
俺が手に握っているのは紛れもない女性用のブラジャー。
そのまま固まった状態で、あわあわと口を開閉させるしかできない。
「いや、違っ……!!」
誤解を解かなければいけないのに、言葉が出てこない。
リンは顔を赤く染めながら視線を逸らし、モジモジとしている。
「天城さん、そういう趣味が……? そ、それならそうと早く言っていただければ……私も準備を……」
「誤解だぁぁぁぁ!!」
思わず大声を出し、ブラジャーを慌てて棚に戻す。
リンは頬をさらに赤らめ、気まずそうに俯いているが、どこか可愛い仕草が余計に俺を困惑させる。まさに災難な展開だ。
※ ※ ※
リンが用意してくれたおかゆを食べながら、俺は必死に弁明をする羽目になった。
体はまだ本調子ではないが、とにかくこの“下着事件”だけは何とか誤解を解かねばならない。
「本当に偶然で、棚にぶつかって、気づいたら顔の上に乗ってて……」
「……本当に偶然なんですよね?」
リンは微妙に眉を上げつつ、しかし最後にはクスッと笑顔を浮かべる。
あからさまに怒っている様子はなく、逆に少し安心したようだ。
「もちろん、こんなことになるなんて思ってもいなかったよ……迷惑かけてごめん」
「ふふ、天城さんらしいというか……」
リンが湯気の立つお茶を差し出してくれる。
柔らかな香りが喉を潤し、身体の芯を温めていく。緊張していた心が少しだけ落ち着く。
「天城さん、もうだいぶ元気になりました?」
おかゆを食べ終わり、しばし会話をしていた後、リンがふと思い出したように言う。
「はい、まあ……なんとか」
「それはよかったです」
「あ! あの、この服……」
「うちにあったもので、適当に着替えをしてしまいました。でも、見てませんから!」
「いや、ぜんぜん。ありがとう。なにからなにまで」
ふう、と一息をつく俺。
お世話になりっぱなしで、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「あの、天城さん。よかったら、お風呂に入りませんか? 疲れを取るのに湯船に浸かるのが一番ですよ」
「え、いや……そんな。ここあなたの家だし、そこまでお世話になるのは……」
俺が躊躇すると、リンは静かに首を振る。
「ぜひ、入ってください。天城さんは命の恩人ですから」
恥ずかしさを感じつつも、彼女の優しさがひしひしと伝わってくる。
(そこまで言われると逆に断りづらい……でも正直、体の汚れと血も気になるし、温まりたいのは確かだ)
「ありがとう……助かります」
そう答えると、リンが柔らかく微笑む。
その瞳が安堵しているようにも見え、心が温まる。
「でも、その前に……」
リンが俺の手をそっと握る。
その瞬間、胸がドキリと跳ねる。
「えっ……?」
彼女の顔がすぐ近くに寄り、真っすぐ俺を見つめる。
その瞳には涙のような潤みがあり、頬がほんのり紅く染まっている。
「天城さん……私、本当に嬉しかったんです。あの廃ビルで助けてもらったり、いつも守ってもらったり……」
リンが小さく唇を噛み、言葉を探すように沈黙する。
やがて彼女は意を決したかのように、まっすぐな声で続ける。
「天城さんは、私にとって特別な人です。だから……ずっと一緒にいたいって思ってしまいます……」
彼女の唇が震え、距離が一気に縮まってくる。
(ま、待て、これって……!?)
俺とリンしかいない空間で、彼女の顔が近づいてくる。
瞳にははっきりとした恋情を湛えていて、唇が触れそうなほど……
「リンさん……」
思わず名前を呼ぶが、彼女はそれを拒まず、むしろ瞳を閉じる仕草さえ見せる。
胸がドキドキして、頭が真っ白になる。俺はどうすればいい……!?
バトルアクションで鍛えた身体も、この場面では何の役にも立たない。
助けを呼びたいが、ここには誰もいないし、助けが必要なのかどうかさえもわからない。
下着騒ぎだけでも十分パニックだったが、今度は思わぬ急接近に焦りまくり、俺はどう対応するか頭が混乱している。
唇まで数センチ。リンの息遣いが伝わる距離で、何とか平常心を保とうとするが、身体が勝手に硬直する。心臓が早鐘を打ち、汗が背中を伝う。
リンの身体がそっと俺に寄り添ってくる。
(や、やばい……!!)
柔らかい感触が俺の体に押し当てられ、全身が硬直する。
彼女の体温と柔らかい感触が、服越しに伝わり、頭が一気に真っ白になる。
「天城さん……」
リンの瞳がうるみ、頬を朱に染めながら、そっと目を閉じる。
その唇が、ゆっくり俺のほうへ近づいてきて――
(ま、待て……これ本当にヤバい!)




