第百九十六話 久しぶりのダンジョン探索
薄暗い通路を進むたび、空気がひやりと肌に触れ、ところどころで水滴が落ちる音が響いている。
ここはB級ダンジョン。
昔の俺なら、命がけで挑むような危険地帯だった。
だが、今の俺の実力からすれば、それほど脅威ではない。
とはいえ、油断は禁物。
ダンジョンがいつ牙を剥くか分からないから、剣を片手に慎重に足を進める。
(昔は死にものぐるいだったよな……)
ひさしぶりに日本に帰ってきた俺は、今までの日常であった、ダンジョン探索をあらためてやろうとしていたのだ。
どこか懐かしく、楽しい日々でもあった。
ダンジョンを潜り、ジャンクアイテムを見つけて、《過去視》でレアアイテム化させて喜ぶ日々。
そんな日常が戻ってきたのだ。
足元の岩を軽く蹴りながら懐かしい思いに浸る。
と、暗闇の中から、突如として唸り声が聞こえる。
その正体は、闇に溶け込むように姿を隠す狼型のモンスター。
シャドウウルフと呼ばれる怪物だ。
【影狼】
種別:敵モンスター
ランク:B
特徴:闇に紛れて高速で動き、奇襲を得意とする獣形態。
スキル:影走り:素早い移動で敵を翻弄する。
スキル:黒牙の一閃:鋭い牙で対象を切り裂く。
俺は冷静にマジックバッグに手をやり、蒼狼の戦靴を取り出す。
昔はレアアイテムとして喜んで使っていたが、今では切り札のひとつと言える装備だ。
【A級アイテム:蒼狼の戦靴】
効果:素早さを大幅に向上させる。
影狼が闇の中から猛スピードで突っ込んでくるが、俺はほんの一瞬で敵の死角へ回り込み、剣を構える。
一振りすると、剣先から放たれる光が影狼の黒い体を包み込み、一撃で霧散させる。
かつてなら数分かかっていた戦闘が、いまや一瞬で片付くレベルだ。
(……こんなものか)
あまりにもあっけなさすぎて、感慨すら湧かない。
(……俺は、いつの間にこんなに強くなったんだろう)
かつては必死に立ち回っていたレベルの相手なのに、いまやワンアクションで蹴散らせるほど成長している自分に、皮肉めいた感慨を抱く。
しかし、それだけの経験と苦難を経てきたのも事実だ。
「よし、ジャンクアイテムでも探すか」
さっそくダンジョンの壁際や隠し通路を探し、石像の裏や崩れた床を覗いてみる。
すると、案の定、何かの痕跡や古い木箱が目に留まる。
「なんだ、これ……」
ただのガラクタかもしれないが、時にはお宝が紛れていることもある。
そう考えながら、身を乗り出して木箱を調べ始めた――
そのとき、ダンジョンの深部から遠く響く悲鳴が聞こえた。
「——誰か!! 助けて!!」
明らかに人間の声だ。
しかも絶望の色を帯びている。
俺はすぐに顔を上げ、音の方向に耳を澄ます。
心臓がドクンと跳ねる。
こんなB級ダンジョンなら、普通のストレンジャーが攻略していても不思議はないが……大声で助けを求めるほどの緊急事態とは?
「何が起こってる……」
すぐに剣を握りしめ、気配を探るように走り出す。
ここから悲鳴のあった方角へ向かう通路は少し入り組んでいるが、音の反響を頼りにダッシュする。
やがて暗い角を曲がると、そこには複数人のストレンジャーが対峙していた。
「くそっ、ふざけんな!!」
「ここで引く気はない……!」
険悪な雰囲気が漂う。どうやら人間同士――ストレンジャー同士が争っているようだ。
何かモンスターに襲われているのかと思いきや、これはPKに近い状況かもしれない。
そもそもB級ダンジョンで救助要請があったのなら、モンスターの群れかと思ったが、様子がおかしい。
ダンジョンの奥深くで、片方のグループが怯えたように後退し、もう一方は武器を構えて追い詰めている。
恐らく、宝箱やレアアイテムを巡るトラブルか、恨みを抱いた者同士の決着をここでつけようとしているのか……
(まさか、こんなところで“人間”が争うなんてな……)
冷たい汗がにじむ。
ストレンジャー同士の対立は、時にはモンスターとの戦闘よりも厄介だ。
相手が人間だからこその残酷さや駆け引きがある。
しかも、相手が複数人で手練れだったら、油断はできない。
俺は慎重に距離を取りつつ、状況を見極めようとする。
「……助けを求める声があったってことは、あの人たちは襲われてる側か?」
思考が一瞬交錯する。
(このまま見過ごすわけにはいかない……止めるなら俺しかいない)
剣を握る手に力が入る。
こんなB級ダンジョンでまさかの人間同士の衝突。
モンスターとは違う意味で嫌な空気が漂っている。
俺は、その場で一瞬足を止め、息を整えた。
仲裁するにしても、まずは話し合いか、それとも武力で制圧するか――
(状況がどうであれ、殺し合いだけは避けたい。何が起こってるのか、話を聞かないと……)
そう決意すると、俺は慎重に距離を詰め、剣を片手に身構えながら彼らのもとへ歩み寄る。
「ははっ、そろそろ分かっただろ? 俺たちが“仲間”じゃなかったってことがよ!」
「くそっ……!」
PK集団。悪名高い連中がダンジョン内で弱者を襲い、アイテムや金品を奪う――いわゆる“プレイヤーキル”行為を行う輩。
真ん中に立つ屈強な男が、大振りの斧を持って笑っている。
周囲にも数人の取り巻きがいて、複数のストレンジャーを取り囲んでいた。
囲まれている側は三人ほどで、既にボロボロで抵抗する気力を失っているらしい。
「さあ、アイテムと金を全部置いていけ。それで命だけは助けてやる」
斧の男――ボスらしき人物が冷たく言い放つ。




