第百七十一話 速さの限界
背中から足先まで鋭い痛みが奔り、呼吸をするたび肺が焼け付くような感覚――それでも、ここで終わるわけにはいかない。
中国軍のストレンジャー、陳嵐が目の前で双刀を構え、こちらを冷たく見据えている。
その眼差しにはまだ余裕すら見て取れ、周囲の観衆も次の瞬間に俺が斬られると確信しているかのようだ。
滑走路を包む空気は張り詰め、ふと息を飲んだとき自分の心臓の鼓動がやけに大きく聞こえる。
(次の一撃が最後だ……すべてを懸ける)
震える指で、俺は二振りの剣――双剣をもう一度しっかりと握り直す。
視線の先では、陳嵐がスッと足を動かし、まるで踊るように姿勢を変えた。
その動きには、さっきまで俺を圧倒してきた“速さ”が宿っている。
俺がボロボロになっているのを知っていて、あざ笑うような一言が投げかけられた。
「じゃあね。これで、おしまい」
にやりと嘲るような笑みの陳嵐。
彼女の口調には確かな自信がにじんでいる。
俺は唇を噛み、体の痛みに耐えながら声を上げる余裕さえない。
(ここからどう動く……? もう限界はとっくに超えた。それでも……)
一瞬、周囲のざわめきが遠のいて、鼓膜が自分の鼓動ばかり拾うようになる。
切り裂くような痛みが腕を包むけれど、それを支配しようと意識を集中した。
陳嵐の姿が視界から消えた。
次の瞬間、背後から殺気。普通ならかわしきれない速度――しかし、今の俺には全身が鋭敏に反応していた。
(来る!)
振り向こうとするも、まるで鉛のように重い脚が動かない。
ここで終わる……そう思った瞬間、頭の中で何かが弾けた。
(もっと早く……速く……疾く!!)
脳裏によぎるのは、過去に自分を育ててくれたイザナさんの言葉。
孤児だった俺を拾い、名前を与え、双剣の道を示してくれた。
ずっと「もっと早く動け」と叩き込まれ、時には限界を超える修練を課された。
“速さこそがお前の武器だ。どんな敵も、お前より先に動かれなければ攻撃されないはずだ”――そんな言葉が、幼かった俺の胸に深く刻み込まれた。
そのときからずっと、「もっと早く、速く、疾く、動くんだ」と自分に言い聞かせてきた。
傷ついても、痛みで気を失いそうになっても、そこを越えた先に新たな自分がいると信じて。
今、まさに限界の向こう側を、俺は掴まねばならないんだ――!
「もっと速く……速く……疾く!!」
思い出したように呟いたその瞬間、視界に電撃が走るような感覚があった。
頭の奥でギィンと金属音が響いたように感じ、まるで世界がスローモーションになったかのようだ。
限界を超えた先、俺の体が加速する。
いや、本当に加速したのか、それとも脳が速度を引き延ばしたのか――いずれにせよ、陳嵐の刃の軌道が、はっきりと見えた。
「なっ……!」
この俺の動きを目にして、陳嵐が驚愕の声を漏らす。
“倍速の舞”であれだけの速さを誇っていた彼女が一瞬遅れを取るなんて、誰も想像できなかったはずだ。
「あなたにもうそんな力は残っていないはずよ!!」
悲鳴に近い焦燥を滲ませながら、陳嵐が連撃を繰り出そうとする。
しかし、その全てが視界に捉えられる。
俺は双剣を握りしめ、さらに膝を踏み込みながら言葉を吐く。
「限界なんて……超えるためにあるんだよ 速さの限界をな!」
俺が振り下ろす双剣が白光を帯びる。
猛烈な衝撃波が剣先から生まれ、滑走路を揺らす。
まるで一瞬、剣から放たれた閃光が空気を切り裂いたように見え、観衆が息を呑む。
刹那――ドガァン!という大爆発のような音が響き渡り、砂煙と衝撃波があたり一面を覆い尽くした。
「うわっ……!」
周囲の兵士が悲鳴を上げ、視界が白濁した煙で覆われ、しばらく何が起きたかわからない。
鼓膜が痛いほどの余韻が去り、やがて煙が晴れていった。
その先に――地面に倒れこんでいる陳嵐の姿があった。
彼女は完全に気絶している。双刀があちこちに散らばり、身動きひとつしない。
そして、その傍らには、力を振り絞って立ち尽くす俺……。
「……勝負、あったな」
静かに双剣を下ろし、肩を大きく上下させながら息を整える。
滑走路には一瞬の静寂が訪れる。
時間が止まったかのように、観衆が口を開けてこちらを見ているのがわかる。
数秒後、会場の至る所から「あ……あいつ、陳嵐様を……」「うそだろ……!」という困惑と衝撃の声が飛び交う。
中国軍の兵士たちは目を疑うように陳嵐を見つめ、黄は拳を握りしめて険しい表情をさらに歪ませている。まるで信じられないという様子だ。
俺は背筋を伸ばそうとするが、体の傷と疲労が限界を迎え、ぐらりと足が揺れた。
(でも……倒れちゃダメだ……)
なんとか踏ん張り、膝を押さえて息を整える。




