第十六話 朱音との昼休み
静まり返ったグラウンドに、ざわざわと生徒たちの声が広がり始めた。
「何だったんだ、あの魔法……」
「あんなの天城が使えるなんて、嘘だろ?」
朱音はぽかんと口を開けたまま、まだこちらを見つめている。
「すごい……本当に勝った……」
その呟きは誰にも聞こえていない。城戸の取り巻きたちが慌てて彼に駆け寄り、介抱を始めていたからだ。
取り巻きの一人が低ランクの回復魔法をかけ、ようやく城戸が目を覚ました。だが、その顔はまだ茫然としている。
俺は一歩前に出て、無表情で城戸を見下ろした。
「約束、覚えてるよな」
その言葉に、城戸の顔が一気に青ざめる。
「ぐっ……そんな……なんで……お前みたいなゴミスキル持ちが!!」
叫びながら拳を震わせる城戸だったが、取り巻きの一人が肩を押さえた。
「城戸、もうやめとけ。負けは負けだ」
その一言で、城戸は自分に理がないことを悟ったのか、悔しそうに唇を噛む。
「……覚えてろ!」
そう吐き捨てると、城戸は立ち上がり、どこかへと逃げ去っていった。
その時、教師の野島がグラウンドにやってきた。額に汗を浮かべながら、大声を張り上げる。
「おい、何か大きな音がしたが、何があった!?」
「模擬戦の途中で、ちょっと……」
俺が淡々と答えると、野島は顔をしかめながら辺りを見渡した。
「あれ、城戸はどこに行った? あいつもここにいたはずだろう」
「えっと……もしかしたら荷物をまとめる準備をしてるのかもしれません」
「はぁ? まだ下校時間じゃないぞ。どう言うことだ?」
「ははは……」
俺は愛想笑いで返すしかなかった。
昼休み。学校の中庭にあるベンチで、購買で買ったパンをかじりながらジュースを飲む。目の前にはスコア表のホロウィンドウが浮かんでいた。
模擬戦の結果が反映され、Fランクのままだった俺の成績はわずかだが上昇していた。
「……ちょっとだけど、嬉しいな」
成績が上がることなんて滅多にないから、こうしてわずかでも成果が出ると素直に喜べる。パンをかじりながらスコア表を閉じようとしたその時、隣のベンチが揺れた。
「ねえ、天城くん。ここ、座ってもいい?」
「えっ、月宮さん?」
驚いて顔を上げると、朱音が弁当箱を手にニコニコと笑いながら隣に腰を下ろしてきた。
「ありがとう。模擬戦、お疲れさま」
「お疲れさまって……そんな大したことじゃないよ」
「いやいや、大したことだって! だってあの城戸を吹っ飛ばしたんだよ?」
朱音は手を小さく叩きながら笑顔を浮かべている。その明るい表情に、俺は肩をすくめた。
「でもさ、天城くん。盾であの雷を防いだ時、すっごくかっこよかったよ!」
「いや、別に……ただ、そうするしかなかっただけだし」
「謙遜しなくていいのに。ほんとにかっこよかったってば」
朱音の目は真剣だった。どうしても褒めたくて仕方ないという気持ちが伝わってきて、俺は頬を掻く。
「ありがとう。そう言われると、まあ……ちょっと嬉しいかも」
「うん、もっと自信持っていいと思うよ」
そしていよいよ本題と言わんばかりに顔をずいとこちらに寄せて、
「それもあのマジックバッグのことだけど……」
「え?」
と、そこで朱音の視線が俺の手元にあるパンに向いた。
「天城くんって、いつもそれなの?」
「それって?」
「購買のパンとジュースだけってこと」
「ああ、まあな。簡単だし、時間もかからないし」
「へえ……そっか」
朱音は何か考えるように頷き、それから自分の弁当箱をそっと開いた。中には彩り鮮やかな卵焼きや野菜が詰められている。
「すごいな。これ、月宮さんが作ったの?」
「もちろん! 女子力高いでしょ?」
胸を張る朱音に感心して、思わず頷く。
「いや、ほんとすごいよ。俺、こういうの全然作れないから尊敬する」
「そりゃあね。天城くんが料理するイメージなんて全くないもん」
「ひどいな」
「事実でしょ?」
朱音はクスクスと笑いながら弁当をつまみ始めた。ふとした沈黙の後、彼女が視線を上げて俺を見た。
「ねえ、天城くん」
「何?」
「もしよかったら……私が作ったお弁当、食べてみたい?」
その言葉に、俺は一瞬固まった。
「えっ?」
「だから、今度天城くんのためにお弁当作ってきてあげようか、って聞いてるの」
朱音はいたずらっぽく笑いながらそう言う。
「いや、それはさすがに悪いよ」
「悪いってなに? 私、料理好きだし、楽しいから別にいいけど?」
「いやいや、でも……」
焦る俺を見て、朱音はさらに顔を近づけてきた。
「どう? 天城くん専用のお弁当。ちょっと特別感あるでしょ?」
「なっ……!?」
顔が一気に熱くなるのを感じる。そんな俺を見て、朱音はからかうように笑った。
「……なんてね」
「……本気かと思った」
「本気にしてたの?」
「だって、あんな真顔で言うから」
「うーん、どうしよっかな。もしかしたら、冗談じゃなくなるかもしれないけど」
朱音の軽い言葉に、俺はどう返していいのか分からず、ただパンをかじるだけだった。その様子を見た朱音は、満足そうに笑顔を浮かべていた。
しばらく沈黙が続いた後、朱音が視線をホロウィンドウに向けた。
「天城くん、成績少し上がったんだね」
「うん、まあ……ちょっとだけど」
俺は照れくさそうに頷いた。朱音はそのホロウィンドウを覗き込み、目を輝かせる。
「いいじゃん! ちゃんと結果が出てるんだから」
「いや、まだ全然だよ。ランクもFのままだし」
「でもさ、あの模擬戦の結果でしょ? 城戸を倒したのに、Fランクってちょっとおかしくない?」
朱音が首をかしげながら言う。その言葉に俺は苦笑しながら肩をすくめた。
「まあ、そういうもんだよ。この世界はランクですべて決まるからな。俺みたいに低いと何しても評価されない」
「……それでも、私はすごいと思うけどね」
その一言が妙に心に響いて、俺は言葉を詰まらせた。朱音はそんな俺に気づかないふりをしながら弁当をつまむ。
「ところで、さっきの話だけどさ」
「どの話?」
「天城くんが使ったマジックバッグだよ」
「ああ……」
急に話題を振られ、俺は少しだけ焦る。朱音は弁当をつまむ手を止めて、こちらをじっと見てきた。
「ねえ、あれってどこで手に入れたの?」
「え、いや、それは……」
「だって、マジックバッグってB級ダンジョン以上じゃないと出ないんだよ? あんなの普通の冒険者でもなかなか手に入らないのに」
「うーん……たまたま、っていうか……」
曖昧に笑って誤魔化す俺に、朱音は目を細めた。
「ほんとに?」
「ほんとに」
「……怪しい」
朱音は小さく溜息をついて肩をすくめる。
「まあいいけど。天城くんって、ほんとによく分かんない人だよね」
「そんなことないだろ」
「いや、分かんないってば。何考えてるのか全然読めないし、急にあんな模擬戦で派手なことするし」
朱音は少し頬を膨らませながら言った。その仕草が妙に子供っぽくて、俺は笑ってしまう。
「でも、そういうとこ……」
朱音が小さな声で呟く。
「ん?」
「だから、そういうとこが……いいのかも」
「えっ?」
「なんでもない!」
朱音は顔を赤くしながら視線を逸らす。その反応が面白くて、つい俺も顔が緩む。
沈黙が続く中、ふと俺は小さな声で呟いた。
「月宮さん、ありがとうな」
「え?」
「その、いつも心配してくれたり、応援してくれたり」
「別に……私はそんな……」
朱音は明らかに戸惑った様子で、顔を真っ赤にして俯いた。
「いや、本当に感謝してる」
「……そっか」
朱音は小さく頷くと、弁当を閉じて立ち上がった。
「じゃあ、次の授業も頑張ろうね、天城くん」
「ああ、ありがとう」
朱音は小さく手を振りながら中庭を去っていく。その後ろ姿を見送りながら、俺は深く息をついた。
「……ほんと、すごい人だよな」
そんな独り言を呟きながら、俺もパンをかじる。心の中にほんの少しだけ、温かいものが残っていた。