第百四十三話 仲間を救い出せ!
大刀、霧島、藤堂がシャチの口に飲み込まれてから……。
空中を泳ぐ氷鎧のシャチ――その異様なS+級モンスターは悠々と旋回している。
「来るぞ!」
イザナの叫びが部屋の空気を震わせた。
その声に反応するように、シャチは巨大な体をぐんと沈み込ませ、凄まじい勢いで急降下してくる。
ドォン……!
まるで空間そのものを歪めるような衝撃音が響き、床の氷がひび割れを起こした。
俺は思わずバランスを崩しそうになる。
「ガァァァァ!!」
シャチが大きく口を開け、怒りを示すように咆哮を上げる。
だが、それだけでは終わらなかった。
空間がねじれるような、胸の奥がムカムカするような嫌な感覚が襲ってくる。
次の瞬間、何かがおかしいと気づく。視界が歪み、体がまるで上へ向かって落ちていくような……。
「うわっ……な、なんだこれ……!」
思わず叫びそうになったが、言葉より先に上下が反転した。
足もとにあったはずの床が頭上に移り、氷の天井が今度は地面になっている。
気を抜けば頭から落下する――そう思った瞬間、イザナの鋭い声が響いた。
「ぐっ……持ちこたえろ! 【グラビティフィールド】!」
【グラビティフィールド】
効果:重力を自在に操り、空間内の動きを制御する。
ビリビリッと空気が震え、イザナの魔法が俺たちに作用する。
体がぐんと重くなったように感じ、なんとか虚空に放り出されるのを防いでくれた。
白石も俺も、イザナ自身も――ひとまずシャチの口から逃れる形で、“今や地面となった天井”へと着地する。
氷のつららが突き出す天井を蹴り、ガキッと氷が砕ける嫌な音が耳に刺さった。
「助かった……けど、これ、どうなってるのよ」
白石が荒い息を吐きながら呟く。
その顔には安堵よりも不安の色が濃かった。
俺も同感だ――“下”だったはずの場所が今度は“上”だなんて、完全に常識を壊す現象だ。
しかし、休む暇はなかった。
シャチが再び口を開いて空間を歪めようとしているのを、視界の端で捉える。
「またか……!」
イザナが警戒の声を上げ、俺たちは再び身構えようとする。
すると、今度は上下が元に戻り、足下が急に消え去ったかのような感覚が襲う。
俺たちは重力に引かれるように、再び床へ落下を始めた。
「くっ、あの攻撃をどうにか止めないと……!! 白石!」
イザナが必死に指示を飛ばす。白石がそれに応えるように魔力を練り上げる。
「わかってるわ! 【爆炎の嵐】!」
【爆炎の嵐】
効果:広範囲に爆炎を放ち、敵を焼き尽くす。
白石の手から巻き起こる真っ赤な炎の渦が、ゴォォッという低い唸りを伴ってシャチの頭部を直撃する。
バチバチッと氷が弾ける音が聞こえ、シャチが苦しそうに大きく体を揺らした。
「ガァァァァァ!!!」
その一撃で空間操作が一瞬だけ途切れ、俺たちはどうにかつららの床に着地した。
膝がガクンと揺れて、危うく転倒しそうになるが、すぐに体勢を整える。
「やったかしら……?」
白石の弱々しい声が響くが、シャチはなおも生きていた。
氷の鎧を軋ませながら、怒りに燃えるような冷気を辺りへ撒き散らす。
「一時的に凌いだだけだな……次が来るぞ!」
イザナが剣を構えながら焦燥をにじませる。
いつも冷静な彼ですら、この状況は楽観できないらしい。
シャチは巨大な体躯をバネのようにしならせ、再び空中へと舞い上がる。
迫力がありすぎて、こっちの心臓が押し潰されそうだ。
「気をつけろ! 来る!」
シャチが回転しながら、広範囲に冷気を撒き散らす。
その白い霧が視界を奪うように広がり、まるで一瞬にして吹雪に巻き込まれたみたいに周囲が真っ白になる。
【スキル:氷霧の吐息】
効果:広範囲に冷気を放ち、敵の視界を奪う。
「視界が……!」
白石が叫びながら杖を握りしめる。
次の瞬間、眩い光が霧を貫くように照らした。
【光の閃光】
効果:眩い光で敵の視界を奪う。
光の奔流が氷の霧を一部切り裂き、シャチの巨体がちらりと見えた。
そのタイミングを逃さず、イザナがさらに魔力を集中させる。
「今だ! 【グラビティプレス】!」
【グラビティプレス】
効果:重力を一点に集中させ、敵を押し潰す。
ズシッという圧迫感が空気を伝い、シャチの巨体がギリギリと軋むように沈む。
しかし、それでも奴は簡単にやられない。
シャチが再び口を開き、空間をぐにゃりと歪ませようとする。
周囲の空気が吸い込まれるように流れ込み、ゴウッという轟音とともに俺たちの体がふわりと浮く感覚に襲われた。
「ぐっ……次の手を考えないと!」
白石が炎を放ちながら必死に牽制しているが、いつまた上下がひっくり返るか分からない。
そのうえ、仲間たち――大刀や霧島、藤堂――はすでにあのシャチに吸い込まれてしまった。
彼らがどうなっているのか、無事なのか、それすらも確認できない状況だ。
「天城くん、何か考えあったりする!?」
白石がこちらを見て叫ぶ。
混乱しそうな頭を必死に働かせて、俺はあの人の顔を思い出す。
そう、イワン。
彼が託してくれた力は、こういう状況を突破するための切り札じゃないのか。
(イワンから託されたあのスキル……! 今はそれを使うしかない。時間がない……仲間を見捨てるわけにはいかない!)
「あります!!」
刀身をぎゅっと握りしめて自分に言い聞かせる。
イザナの視線もすぐ横で重なり、覚悟を決めるように頷いた。
「時間がないぞ。あの化け物に吸い込まれた仲間たちは、きっと長くはもたない」
イザナが冷静に告げる。
だけど、その声の奥には確かな焦燥が見えた。
仲間を失うわけにはいかない――それは俺も同じだ。
ものすごい轟音と風圧の中、俺は剣を握り直す。
そして、心の中で決意を固めた。
(やるしかない! イワンの遺したこの力で、必ずあのシャチを止める。そして、みんなを取り戻すんだ!)
俺は一歩踏み出す。
その瞬間、周囲の冷気がビリビリと震え、シャチの唸り声が再び響いた。




