初めての手紙
※武 頼庵(藤谷 K介)様主催の『第3回 初恋・恋愛企画』参加作品です。
※しいなここみ様主催『純文学ってなんだ? 企画』参加作品です。
※コロン様主催『酒祭り』企画参加作品です。
あらまあ、こんなお婆ちゃんの話なんかが聞きたいの?
それは別にいいんだけど──『初恋の話を聞かせろ』って言われても、ねぇ……。
これってアレかしら。昔のことを思い出させることで、認知症を改善しようとかいうやつ?
でもお生憎さまね。まだまだ頭ははっきりしているし、──それに初恋って言っても、それほど大昔の話じゃないんですからね。
私たちの若い頃は、まだ愛だの恋だのと浮かれていられるご時世じゃなかったわ。
物心がつく頃にはもう戦争は終わってたし、私の町は空襲の被害もほとんどなかったけど、とにかく何もかもが不足していて、いつもお腹を空かしていたのはよく覚えてる。
少しずつ暮らしがマシになってきたのは──そうね、小学校の頃の朝鮮特需くらいからかしら。
そして、女学校の時に東京オリンピックの開催が決まってからは、日本中が沸きに沸いて、復興に勢いがついて──。
とにかく、誰もががむしゃらに働いていた、せわしない時代だったわ。
私が和彦さんと結婚したのは二十歳の時。
女学校を出てから二年ほど地元の郵便局で働いていたんだけど、親戚の勧めでお見合いをして、そのままお嫁に行ったのよ。
え? ──そうねぇ、別に不満とかはなかったわ。
それが普通だと思ってたし、あの頃はまだ、恋愛結婚の方が少なかったくらいだもの。
都会の若い人たちは、はやりのファッションでおしゃれをして自由に恋愛を楽しんでいたようだけど、田舎の小娘からしたらどこか遠い世界のことにしか思えなかったわ。
私たちの周りでは『夫唱婦随』『亭主関白』が当たり前で、それに疑問を抱く子なんていなかったんじゃないかしら。
幸い、和彦さんはそう悪い夫ではなかった。
無口で不愛想で、仕事ばかりで家のことは任せっきりだったけど、私のやることに文句を言うこともほとんどなかったしね。
夫婦の会話もほとんど一方通行。私のおしゃべりに『ああ』だの『うん』だの生返事で、聞いているんだか聞いてないんだか──。
でも大きな喧嘩をするようなこともなかったし、平凡だけどそれなりに幸せな日々だったわ。
三人の子供たちもグレずに育ってくれて、ちゃんといいお嫁さんや旦那さんと幸せになってくれたし。
でもね。孫たちに向けるあの愛想のいい笑顔を、一度くらいは私に向けてくれても罰は当たらなかったんじゃないかしらねぇ?
──ええ、そう。夫婦水入らずで出かけたことなんて、たった一度しかなかったのよ。
あれは和彦さんが定年退職した三日後くらいだったかしら。いつものように黙って朝ご飯を食べていた和彦さんが、だしぬけに『今日は花見に行こう』って言い出したの。
近所の公園に行く途中のスーパーで、パックのお寿司と缶ビール、ちっちゃな桜餅なんかも買ったりして。
ベンチに並んで座って、散り始めた桜を眺めながら、何を話すでもなく食べたり飲んだりして、のんびりと過ごしてたわ。
でもしばらくして、和彦さんがふいに立ち上がって、ポケットから取り出した手紙を渡してきたの。
『自分は口下手だから──後でひとりで読んでくれ』とか言いながら。
そのまま、呆気に取られている私を置いて、『床屋に寄るから先に帰ってくれ』なんて言って、ひとりでそそくさと歩いていってしまったのよ。
こんなことは初めてだったし、一瞬、『まさか熟年離婚!?』とかも頭をよぎったわ。でも、恐る恐る封筒を開けて見たら、そこに書かれていたのは──。
『長年支えてくれて感謝している。ありがとう』
──ねえ、たった2文よ!? そんなの、口で言えば済むことだと思わない!?
そういえば、前の晩に遅くまで机で何か書いてたようだけど、これだけ書くのにそんなに時間がかかるなんて、ある?
──でもね。そのまま家に帰って何の気なしに掃除をしていたら、ふふふ、見つけちゃったのよ。ゴミ箱にぎゅうぎゅうに詰められた、書き損じの手紙の山を。
そこだけゴミが多いから不思議に思って見てみたら──それがまあ、こっちが赤面するようなことばかり、一杯書いてあったの。
『いつも笑顔で出迎えてくれたのが嬉しかった』
『娘や孫が自分ではなくお前に似てくれたのが幸いだった』とかね。
それを読んでいるうちに、もう何だかおかしくなっちゃって──!
和彦さんは確かに表情に乏しい人だったけど、何も思ってないわけじゃなかった。
むしろ、色々と思ってたことはあったのに、それを素直に口に出せなかっただけで──実はもの凄く照れ屋だったんじゃない!?
もしかしたら、手紙を書いているうちに気恥ずかしくなってきて、色々と削っていくうちにあんな短いものになっちゃったんじゃないかしら。
そのことに気づいたら、あのムスッとしたしかめっ面も、何だか可愛く思えてきちゃったのよね。
──実を言うとね、まだ和彦さんが亡くなったという実感はないのよ。
コロナで本当にあっという間だったし、看取ることも、普通にお葬式を上げることさえ出来なかったもの。
でもね。私ももう、そう遠くないうちにお迎えがくるでしょう。
そうしたら、また和彦さんと一緒にいられる。
今度こそ、本人の口から素直な気持ちを言わせてみせるわ。絶対に、逃げたりごまかしたりなんて許してあげるものですか。
私から和彦さんに何かをおねだりするなんて一度もなかったし、その時いったい、和彦さんはどんな顔をするのかしら。それを想像するだけで、今からワクワクしてきちゃうのよ。
え? ──ああ、ちょっとわかりにくかったかしらね。
今話していたのが、私の『初恋』のお話よ。私の初恋は──まさに『今』なの。
あの書き損じの手紙を見つけた時に、私は和彦さんに生まれて初めての恋をして──。
そして、今もまだ『初恋』の真っ最中なのよ。