私、気づいてしまいました(5) 〜シロの追憶と独白〜
三百年ごとに、フィリアの魂は再生と死を繰り返す。
その度に、希望と絶望は刹那で我が身を貫いた――――――
一度目は、ただただ泣いた。声の限り慟哭した。
二度目は、声も涙も出なかった。自分の中にある聖なる光がどす黒い闇に浸食されるような錯覚を覚え、気が狂ってしまいそうだった。
そして次に来る三百年後に怯えた。
フィリアがまた絶望で死を選んでしまったら、今度こそ自分たちはどうなってしまうのかと。
だから、人間たちのいる地上へ降りた。
待ちくたびれたというより、もう大人しく待っている気が失せた。
何かをしていないと、自分が壊れると思った。
相棒でもあり、好敵手でもある炎狼イグニスは傷心のあまり完全に不貞寝していたが………………
だからどこへ行くとも言わなかった。互いが生きていることは感覚でわかる。それが共にフィリアを守ってきた守護獣としての絆だと勝手に思っている。
それに、フィリアの魂がこの世界に再生される日が来れば、また再会することになるだろう。
自分たちは永遠にフィリアの魂に寄り添うべき存在なのだから。
ゆえに、さよならもいらないと、一人地上に降りた。
聖獣、雪豹としてではなく、人型で。
しかし、降りて来たからといって、明確な目的があったわけでもない。
目指すべき場所があったわけでもない。
フィリアがこの世界に絶望するなら、壊してしまっても構わないと思いつつも、聖なる光を宿す聖獣がそれを実行できるわけもない。
それは、光の神がこの世界を創造し生み出すことはできても、この世界を破壊し消し去ることができないのと同じだった。
だからこそ、どんなに悲しくても、どんなに辛くても、聖なる光を宿すモノは自らの命を絶つことさえできない。フィリアの後を追うことさえ叶わなかった。
ただ、何百年も待ち続けることしか――――――
だが、そんな日々の終わりだ。
この世界の破壊が無理でも、フィリアに死を選ばせた“魔の者”を見つけ、完全消滅は無理でも封印くらいはできるかもしれない。
さて、どうするか………………そう悩んだのは束の間だった。
フィリアの魂が復活の気配を感じて闇から這い出してきた“魔の者”と魔獣たち。
狙うべきフィリアの魂が自己消滅した(死んだ)ことで、それらの標的は自然と聖なる光を宿す自分となった。
そもそも神が消えて以来、残された聖獣たちが召喚獣となっているのも、闇の眷属に狩られるのを防ぐためでもある。
人間から見れば質が悪いとしか思えぬ召喚に関する代償も、元はと言えば聖獣たちが我が身を守るために要した苦肉の策だった。
そう、聖獣を召喚するための3つの奇跡と呼ばれるアレだ。
1つは、聖獣を召喚できるかということ。
もう1つは、聖獣自身がその願いを叶えるに足る願いであると認めるかということ。
そして残りの1つが、聖獣が求めるだけの代償を差し出せるかということ。
謂わばこれで、聖獣たちはその人間の想いの深さを推し量り、闇の存在の有無を確認しているのだ。
実のところ、神は姿を消す前に、自分の愛玩であり、守護である聖獣たちに命じていた。
“人間たちが本当に困っている時は助けてあげなさい”
―――――――――と。
神の言葉は聖獣たちにしてみれば絶対。だが、のこのこと地上に降りては“魔の者”や魔獣たちに狩られてしまう聖獣も少なくはなかった。
そこで、聖獣たちはあくまでも召喚獣として人間の望みを叶えるようになったのだ。
今やそれが儀式めいたものになっていることは否めないが………………
しかし、私と炎狼はそれらの聖獣たちとはまた一線を画す存在。
“神の娘”を守護するためだけに創造された特別な守護獣なのだ。
召喚獣になる気もなければ、そう易々と“魔の者”や魔獣どもに狩られることもない。
創造されし時から魔力と能力の差は歴然で、我々はフィリアを守るためだけに存在していた。
そのため、人間を助ける義理も謂れもなく、あっさり見捨てたとしても何ら問題はなかった。それこそ塵芥同然として。
実際、一瞬でも再生したフィリアの魂に惹き付けられ、現れた闇の眷属たちと、多勢に無勢でかなりの死闘を強いられたこともあった。そしてその戦いに巻き込まれた運の悪い(間の悪い)人間もいたわけで…………
しかし、守ってやる必要なんてない。
むしろ、この世界を壊す気でいるなら、助けてやったところで何の意味もない。
とはいえ、闇の眷属を誘き寄せてしまったのは自分の中に宿る聖なる光であり、偶然に居合わせた人間を見捨てれば、何故かフィリアの魂がまた酷く悲しむような気がして(なんなら膝詰めで説教されるような気がして)、気がつけば我が身を犠牲にしてまで必死に守っていた。
ほとんど無意識のうちに。
我ながらほんと馬鹿すぎる。
それはもう嫌になるほどに…………
そして、その中の一人に王族の人間がいたのは、本当にただの偶然だ。
今となっては助けた相手が王だったのか、王子だったのか、はたまた王女だったのかその記憶すら曖昧となっている。
だが、自分の正体も、自分を襲った相手の正体も決して明かしたわけではないのに、謝礼だと言って王都のはずれに屋敷を用意され、さらには伯爵位まで押し付けられてしまった。自分は人間たちでいうところの戸籍も何も持たぬというのに。
だいたい聖獣は、別に何も食べなくとも生きていけるし(娯楽として食べることもあるが)、寝るところにも拘りはない(私の場合は)。
人型となって身に着ける服も、その気になれば魔法でいくらでも出せる(ほとんど同じ服装になってしまうが)。
だから、正直はじめは面倒なことになったな……と、思った。
迷惑だと突き返す気満々だった。
領地をもらったところで、邪魔なだけだし、これで人間たちに縛られてしまうのは癪だったからだ。
しかし、その王族はただそこに住んでくれるだけでいい――――――と言った。
領地は優秀な家令に任しておけばいい――――――――とも。
つまり、言い換えるならば、王都のはずれで闇の眷属どもを誘き寄せる餌としてこの身を捧げ、まんまと寄ってきた奴らを駆逐しろ――――――ということらしい。
まったく、神聖なる聖獣をこき使うとは、ろくでもない王族だ。
だが、敢えてそれに乗ってやることにした。
フィリアの絶望を取り除く方法が未だ見つかっていなかったこともある。
そして、魔獣はともかく、聖なる光を持ってしても、消滅させるどころか一時的に闇の力を削ぐことしかできない“魔の者”について、自分になりに調べてみたいと思ったからだった。
日中は屋敷に籠っては文献を漁り、夜な夜な闇の眷属狩りをする日々。
社交はしない。
妻子もいない。
なんなら、王都の屋敷に使用人がいたのは最初の二十年だけで、今は雇う気すらない。
しかし、領地は相変わらず歴代の優秀な家令がきちんと治めてくれているようで、“引き篭もり伯爵”などという有り難くない二つ名を頂戴したが、所詮人間たちにどう思われようが、どうでもいいことだった。
唯一の利点といえば、当初、不必要だと思われた棚ぼたで与えられ爵位のおかげで、王宮で保管されている古い文献を堂々と見ることができたことくらいで、気がつけばまた三百年という月日が無情にも流れていた。
その間、現状を取り繕うためにも、有りもしない養子申請をし、爵位を継がせたという小賢しい真似もしなければならなかったが(微妙に自分の見た目を変えながら)、王家が代替わりするにつけ、自分の存在は薄れ、名ばかりの爵位と屋敷、そして領地だけが手元に残った。
おそらく今の王家は、この私が聖獣であることも知らないだろう。
それどころかぱたりと姿を見せなくなった“魔の者”は、もはや人間たちにとって御伽話の存在となりつつある。
だが、それは限りある短い命しか持たぬ人間たちが勝手にそう思っているだけで、決して事実ではない。
それ故に、私は焦っていた。
もうすぐ二度目の再生から三百年となる。
三度目のフィリアの再生は、もう間もなくのはずだ。
だというのに、この世界は何一つ変わることなく存在し、“魔の者”も一人として消えたわけではない。
三百年という月日がただ徒に流れただけで、このままではまたこの世界に絶望し、フィリアは死を選んでしまうと。
だが、そんな私の危惧は徒労に終わり、フィリアの魂は三百年経っても再生しなかった。
死を選んだわけではなく、再生自体果たされなかったのだ。
何故だ?
二度も死を選んだから神の理から外れてしまったのか?
それとも、再生できない理由が他にあるのか?
五里霧中。疑心暗鬼。
フィリアのためにこの世界在を滅ぼしてしまいたいと考えた時期もあった。
だが今は、この世界を壊せないなら、フィリアがいないこの世界で一秒たりとも生きていたくないと思った。
けれど、死ねない。
死ねないからこそ、絶望しながらもどこかで繋いでいた希望。
その希望が、完全に見えなくなってしまった瞬間、ただただ自分の中に存在する聖なる光が疎ましく思えてきた。
これがあるから自分は死ねない。
これがあるから世界を滅ぼせない。
これがあるから…………………………
しかし、これは神から与えられたモノであり、生まれた時から当然のように備わっているモノでもあるため、自分のモノでありながら排除の仕方などまるでわからなかった。
地上に降りて三百年もの間、あれほど調べ尽したというのに。
だったらもういっそのこと闇に落ちてしまおうか…………などと考える。
そうすれば、世界を壊すことも、死ぬこともできるかもしれない………………と。
そして決めた。
いや、ある思考に取り憑かれた。
今やただの研究材料として狩り続けていた魔獣を喰らってみようと。
その血を啜り、肉を食べ、己を闇で染めてみようと。
愚かなる考えは、とても魅力的なモノに見え、私は狩ったばかりの魔獣に手を伸ばした。
するとどうだろう。聖なる光は闇に一時的とはいえ閉ざされた。
残虐な気持ちが芽生え、自分を傷つけることも、相手を傷つけることも厭わなくなった。
しかしそれは、一過性の麻薬のようなもの。
フィリアの存在を永遠に忘れられないように、聖なる光が完全に自分の中から消え去ることもなく、ある程度の時間が経てば、その闇は聖なる光の前に消え失せ、自我が戻った。
瞬間、酷い自己嫌悪と自暴自棄に陥り、それが耐え切れなくなってまた魔獣を喰らった。
そんな日々をは百年近く続け、もはや自分が神聖な聖獣だということも忘れかけていた頃、彼の者が私の前に現れた。
久しく見ていなかった“魔の者”。
かれこれ四百年近く見ていなかったが、その麗しい見目に反して、中身の醜悪さは相変わらずだった。
しかし丁度魔獣を喰らった後だったこともあり、彼の者は私の中の聖なる光に気づくことはなかった。
心はこれ以上なく荒んでいた。
どうでもよくなっていた。
なんならこのまま殺してくれてもいいさえ思うほどに。
そんな殺伐とした想いが漏れ出ていたわけではないだろうが、好奇心旺盛な彼の者は私に興味を覚えたようだった。
『ねぇ、随分身体の中に闇を抱え込んじゃってるけど、君……ただの人間じゃないよね?――――――何者?』
興味深々とばかりに尋ねられ、なんだか無性に自分が滑稽に思えた。
自分はもう“魔の者”から見ても、聖獣として判別できぬほどに穢れてしまっているのだと。
そしてこの場に、彼の者の跡を追うようにしてもう一人の“魔の者”が現れた。
フィラウティアだ。
闇を染め込んだような黒い髪と瞳。
血を連想させる真っ赤な口紅と、苛烈な性格を示すような真紅のドレス。
“魔の者”の特徴すべてを体現したかのような妖艶たる女。
この女を見て、腹の底からムカムカと苦い物がせり上がってくる。
今にも吐いてしまいそうだ。
そんな私を一瞥して、フィラウティアは訝し気に眉を寄せた。
『何?この人間……いえ、魔物落ちした何かなのかしら?酷く禍々しいのだけれど』
いよいよ“魔の者”に禍々しいと言われるまでになってしまった自分が愉快でならなかった。
もしかしたら本当にこの手で、フィリアが絶望する世界を滅ぼせるかもしれないと。
そんな狂気の中、彼の者と違ってフィラウティアの得体の知れぬモノに対しての怪訝は一瞬で終わり、すぐさま本能を剥き出しにしてきた。
そう、性的な欲求でだ。
『でもあなた……随分と綺麗な顔をしているわね。そして、白銀の絹のような長い髪に、夜空の星を集めたかのような白銀の瞳――――――まるで光の眷属のように、憎々しいほど神々しいわ。なのに、酷く禍々しいなんて…………ふふふ、ここまで中身と外見が伴っていないものを見たのは初めてね。いいわ、私のものにしてあげる。そしてもっともっとその美しい顔のままで汚れていくといいわ。アリオト、あなたも一緒に愉しみましょう』
そう言ってフィラウティアが、悩ましげに垂れかかってくる。
頬を伝うフィラウティアの指が、ウジ虫が這うようでおぞましくて仕方がない。
彼の者を嫣然と微笑みながら流し見て、こちらに寄せてくる毒々しい真っ赤な唇に吐き気がする。
それに耐え切れず、身体は無意識のうちにフィラウティアを振り払っていた。
瞬間、フィリアを失った日の悲しみと絶望が蘇る。
何故なら、フィリアを失うことになった元凶こそこのフィラウティアなのだから。
この女の顔を――――――この狡猾な愉悦に満ちた妖しげな笑みを忘れるわけがない。
あの日から千年近く経とうとも――――――――
あぁ…………この女は本当に変わらない。
きっとこれは神の思し召しかもしれないな。
まぁ、あのルークスがそこまで気が利くとも思えないが………………
辛うじてだが、まだフィリアの守護獣としての矜恃は残っている。
そして、動揺の影に隠れてしまった冷静さを改めて引っ張り出しながら、必死に考える。
彼らの目的は聖獣である自分ではないようだ。というか、自分が聖獣であることも、喰らった魔獣のおかげで気づかれてもいない。
では何故、“魔の者”が現れた?
最後に見たのは、二度目のフィリアの魂が再生した頃。
そこからずっとご無沙汰だった。
本来ならば三度目の再生を果たすはずの百年前に姿を見てもおかしくはなかった。
だが、魔獣は当たり前のようにいたが、“魔の者”はその影すらなかった。
フィリアの魂がまだ再生しないことを知っていたかのように…………
そして満を持したかのように現れた“魔の者”。
つまり――――――――――
フィリアの魂の再生が近いということか。
足元から這い上がってくる歓喜に身体が打ち震える。と同時に、何度も味わった絶望に、心が悲鳴を上げる。
希望と絶望がワンセットでやってくることをこの身体が、心が、今も尚覚えている。
もう二度とあんな想いは御免だと。
しかし目下の問題は目の前の“魔の者”だ。
二対一。相手が魔獣なら余裕だが、さすがに“魔の者”となると、かなり分が悪い。
しかも今は魔獣を喰らい、聖なる光を強制的に閉じた状態だ。
もちろん強引に開放しようと思えばできなくもないが、たとえそれをしたところで、目の前の“魔の者”をどうこうできるとは到底思えない。
ならば、ここでの最優先事項は、フィリアの魂の再生に備えるためにも、この場を全力で回避することだ。
とはいっても、四百年間何もできなかった自分が、突然フィリアの絶望を拭い去れるとも思えないが、それでも足掻かないわけにはいかないだろう。
いや、この再生までの百年という誤差に希望を持ってもいいのかもしれない。
神だって馬鹿じゃない(たぶん)。
自分の娘を、自分の鏡たる存在を、待ち望んでいるのは、他ならぬ神なのだから。
この百年という空白の時間で、フィリアの魂に何かをしたはずだ。
まるで、ふと手にした考えが正解であり、真実であるような気がした。
むしろ確信すら覚える。この百年間ずっとそれに気づかず、腐り続けていたというのに。
我ながら相当単純だと思うが、それだけで薄っすらとした希望の光が見えてくるのだから、希望というものは案外そこかしこにあるものなのかもしれない。
だとしたら、自分が為すべきことは一つだ。
この眼前の“魔の者”たちからフィリアの魂を守ること。
その結果、自分が聖獣とは言えぬ存在に成り果てたとしても構わない。
そうと心が決まれば、たった今魔獣を喰らったことも、追い風のように感じた。
聖なる光を秘すことで“魔の者”たちの警戒を解き、動向を探ればいいと。
とはいえ、フィラウティアの提案に従い、戯れる気など毛頭ない。
そんなことをちらりと想像しただけで、ふと千年前のあの光景が蘇ってしまう。
フィリアを絶望に追いやったこの女とあの男の光景が――――――――
いや、実際のところあの男はフィリアを裏切ってなどいなかった。すべてはフィラウティアが仕組んだことであり、フィリアの心を殺すための罠だった。
それでもフィリアは最後の最後まであの男を信じ抜き、愛しているからこそ、あの男が辿ることになった死への結末に絶望したのだ。
もう絶対に、あのような悲劇は繰り返させやしない。
確固たる決意のもと、振り払っても尚、まるで執念深い蛇のように、何度も絡み付いてくるフィラウティアを引き剥がすため、その腕に手をかけた。と同時に、彼の者が口を開く。
『冗談でしょ。ボクはこんな屋外で事に及ぶような悪趣味じゃないし、そもそもフィラウティアにも興味はない。ただの…………いや、色欲魔で奔放で、とても残虐な困った同胞だね。でもさ―――――そこの彼にはとぉ~っても興味があるかなぁ』
そう言って湛えられたのは一見すれば人懐こそうな笑み。
だが、酷く歪んだ笑みにも、追い詰めた獲物を見据える獰猛な笑みにも見えた。
そして、この酷薄な笑みの正体にようやく気づいた時、すべてはもう遅かった――――――――――――――




