私、気づいてしまいました(4)
開け放たれた窓。
部屋に充満する重い空気を濯ぐように時折吹き込んでくる風。
頬に当たる風の涼やかさに目を細めるも――――――
「彼の者が施してくれた結界は、こうして外気は通しても、魔力だけでなく音まで遮断してくれるなんて、致せリ尽くせりですね。おかげで外を気にせず話せます」
にっこりと笑いながらそんなことを告げてくるシロに、私は首を傾げた。
そのまた逆も然りではないかと。
そこで素朴な疑問として尋ねてみる。
もちろん理由は心の安寧のためだ。
「でもシロ、外に魔力や声が漏れないのだとしたら、外からの気配もこちらからはわかないのではないかしら。もし話の途中でアリオトが戻ってきたら大変だわ」
そう、私が心配しているのはその一点。
麗しくも人懐こそうな見た目や、いくら物腰は柔らかくとも、アリオトはれっきとした“魔の者”なのだ。もしかしたら、シロの話を漏れ聞いたアリオトが逆上してシロを闇に落としてしまうかもしれない。
現在アリオトは突然の来客対応で部屋を一旦離れただけで、すぐに戻ってくると言い置いて行った。
もちろん、即座にその客人を叩き出すことはないだろうけれど、私にすぐに戻ると言った手前、そう長話してくるとも思えない。
そんな懸念から問いかけてみたのだけれど、シロは慌てる素振り一つなく悠然と言って退けた。
「ご心配にはおよびませんよ。こう見えても私は聖獣ですからね。どんな結界を張られていようとも、闇の気配には敏感なんです。それに、相手があのフィラウティアなら早々に解放されることはないでしょう」
「解放……されない?」
何故か酷く不穏な言葉のように聞こえて、私は思わず聞き返していた。
そんな私に、シロは肩眉を器用に上げたものの、すぐに何かを察したらしく、今度は情けないほどに眉をハの字に下げる。
「もしかしてユ、ユ、ユフィは、彼の者が同胞とはいえ、他の女と会っていることに妬いているのですか?」
“ユフィ”と呼んでほしいと言った私の願いを律儀に叶えるために、噛み噛みで私の名前を口にしながら告げてきた質問に、私は微笑ましさと疑問を同時に抱え込んだ。
もちろん微笑ましく思ったのは、私の名前を口にしてくれたことに対してだけれど、疑問については果たして自分がアリオトに対して嫉妬を覚えているのかわからなかったからだ。
そう言えばアリオトもそんな風なことを言っていたけれど、実際ところそれが正解なのか、今もってわからない…………が、私の回答だったりする。
ただ、アリオトの同族であるフィラウティアに対してまったく興味がないと言えば嘘になるのだけれど………………
そこで改めて興味と嫉妬を天秤に乗せてみる。
しかし、両者は均等を保ったままで傾く気配がないように思われる。そのため、私はやや困惑を滲ませながら、正直にシロに答えた。
「妬いている……わけではないと思うわ。興味がないわけではないけれど、それは無関心ではないというだけで、酷く知りたいとも思わないの。でも変よね。アリオトのことを誰よりも愛しているなら、この状況は心穏やかにいられないはずだわ。だって、同胞とはいえアリオトが一緒にいる相手は女性なんでしょ?なのに今の私は、むしろ心の負荷がなくなって、落ち着いて考える余裕まで出てきているの。これって変よね」
そう言いながら、今度は私の方が情けない顔となった。
アリオトの愛の証は今もしっかり左手の甲に刻まれている。なのに、愛するアリオトが傍にいない方が落ち着くなんて、我ながら矛盾していると思う。
曖昧な記憶を探るまでもなく、おそらく私の恋愛経験値は皆無に近いはずで、男女の機微に決して敏い方ではない。それでもこの状況は、アリオトを独占している彼女に悋気を起こし、やきもきして然るべきことくらいは想像できる。
にもかかわらず、そこまでの感情はどこを探してみても今の私にはない。ないと思う。
ここまでないとなると、私は酷く薄情な人間か、無感情な人間ということになる。
そのことが不思議であり、不誠実にも思えて、私は右手で左手の甲を隠すようにぎゅっと握り締めた。
しかしシロは、そんな私に対して「変ではございません」ときっぱりと言い切った。
そのことに私が不安げに顔を上げると、シロはどこまでは優しげに白銀の瞳を細め、口を開く。
「先程も申しましたが、ユフィはまだ彼の者に完全に落ちたわけではないのです。それを阻止しているのは、目視ではわかりませんがその右手に付けられた“仮紋”です」
「“仮紋”?」
その紋の所在を確かめるようにまじまじと右手の甲を見てみるけれど、シロの言う通り目視ではそれらしき跡も影も何一つ見つけられない。だいたい、いつそんなものを誰に付けられたかという記憶すらない。
見ることもできない。記憶としてもない。これではさすがに理解も納得もできるはずがなく、ただただ右手の甲の上で困惑に揺れる瞳を泳がせるばかり。
しかしシロには、魔力の痕跡を拾い取れるようで、真っ直ぐ私へと近づいてくると、片膝を付き、私の右手を掬い上げた。
「大丈夫ですよ、ユフィ。この“仮紋”は現在、とある国では一時的な所有を示す“紋”―――――つまり、お気に入りを示すだけの飾りのようなものとして、敢えて目に見える形で付けられるのが一般的なようですが、本来はそうではないのです。あくまでも“真紋”を付けるまでの“仮”。不埒な者が横恋慕をし、たとえ“真紋”を付けようとしても、優先権を発動できるものなのです」
なるほど………………とは、思ってみても、だとしたらこの状況はいささかおかしい。
「いえ、シロ……それは少し変だわ。もし、この右手に“仮紋”があるなら、私はアリオトにここまで心を奪われなかったはずだもの。だって…………」
そう、今自分の心に誰を愛しているかと問えば、アリオトだと返ってくる。それは事実だ。
なのに、まるで自分の心が欠陥品にでもなったかのように、持つべきはずの嫉妬心が湧いてこない。それがこの“仮紋”が引き起こしたことだとしても、あまりに中途半端な気がしてならない。
けれど、私の右手と左手をそれぞれに握り締めながら、シロは穏やかに続けた。
「えぇ、仰る通りです。ただ今回、“真紋”を付けた相手が闇の眷属であったこと。そして、“仮紋”がいくら優先権を発動できるとはいえ、そこに絶対はございません」
「えっ…………………?」
絶対ではないという言葉に、私は大きく目を瞠った。
「こちらの“真紋”は“束縛紋”と呼ばれるように心を縛るものです。しかしこちらの――――――と言っても目には見えませんが、この“仮紋”では心を縛ることはできません。言い換えるなら、この“仮紋”をつけた相手に対して、どれほどの想いをユフィが抱いているかによって、その優先権の発動が大きく変わってくるのです」
「つまり、私がその“仮紋”を付けてくれた人を強く想えば想うほど優先権が強くなって、このアリオトが付けてくれた愛の証…………いえ、“真紋”を打ち消せるというわけね」
「そういうことです」
大変よくできました、とばかりにシロから満点の笑みを返されて、私はさらに戸惑いを覚えてしまう。
シロの話と、私のこの状態を鑑みるに、私はこの目視できない“仮紋”を付けた人を憎からず思っていたことは間違いない。そして、アリオトの熱に浮かされながら、泡のように浮かんでは消える存在が、その人だという可能性も高いだろう。
でも…………それでも…………激情にもなり切れない、この中途半端すぎるアリオトへの情を思えば、私がその人に対して抱えていた想いは、とても不完全なものだったことは否めない。
思うに………たぶん、私はまだ自分の気持ちに気づけていなかったのだわ。
それともまだ気持ちが育ちきれていなかったとか………………
しかし、今ここで煩悶したところで答えが湧いて出るわけもなく、私は随分と逸れてしまった話の舵をここで一旦戻すことにした。
「“紋”のことはなんとなくだけれどわかったわ。それでアリオトは、こちらに戻ってくるのにまだ時間がかかってしまうのね。フィラウティア……様に解放されなくて」
正直、フィラウティアをどう呼んだものかと迷った。アリオトの同胞ならばそれは“魔の者”に外ならない。
だとするならば、この世界の異分子であり、我々人間からすれば紛うことなき敵だ。だから、本来ならば敬称など気にしなくてもいいはずなのだけれど、アリオトの客人と思うと、何故か心情的に呼び捨てにするのが憚られた。
そんな私の迷いが生んだ微妙すぎる間に、シロが忽ち苦笑となる。
しかしすぐに、握り締めていた私の手を解き、ゆっくりと立ち上がると、執事然といった面持ちで私を見つめてきた(執事ではないらしいけれど)。
そして、どこまでも淡々とした口調で事実だけを告げる。
「えぇ、そうです。とはいっても、一方的に絡みついているのはフィラウティアだけで、彼の者の方はまったく相手にもしていませんがね」
「それって………………」
「魔王によって人間を模して想像された“魔の者”が実際子を為せるのかは私にもわかりませんが、フィラウティアとしては同族同士で交わり、少しでも眷属を増やしたいと考えているようですね。純粋な“魔の者”を。とまぁ、表向きの理由はそうらしいのですが、実際はただただフィラウティア自身が持て余している色欲を発散するためですね。あれは………」
「なっ!し、し、し、し…………ッ~~~~~~~」
言えなかった。シロはさらりと言って退けたけれど、どうやら私はR指定に引っかかってしまうらしい。
単なる自主規制かもしれないけれど………………
そんな私に、「ユフィは一生口にしなくてもよい単語です」とシロがぴしゃりと言い置いてから先を続ける。
「私が調べた限りですと、“魔の者”たちは人間たちが持つ欲や悪徳を具現化するような形で創造されたようです。ある“魔の者”は強欲、またある“魔の者”は傲慢、そしてフィラウティアは色欲といったふうに」
「だったらアリオトは…………?」
「好奇・快楽…………と言ったところでしょうね。だから興味がないことには、まったくと言っていいほど食指を動かそうとしない。ほんとピクリともですよ。それはもう、逆にフィラウティアが哀れに思えるほど………」
だったら今は、どういう状況になっているのかしら?と、眉を寄せ、う~んと首を傾げれば、シロはため息交じりに教えてくれた。
「フィラウティアが色仕掛けで迫ってきても適当にあしらい、諦めて…………いえ、憤慨して帰るのをただただ待っているだけですよ。一人優雅にお茶を味わいながらね。ただ、そうしてでも会うのは、“魔の者”同士の情報共有もありますが、フィラウティアに自分の興味が何に向いているのか気取られないようにするためです。今回で言えば、ユフィの存在にまだ気づかれたくないのでしょう。彼の者の独占欲と執着の強さもありますが、フィラウティアに気づかれれば、“神の娘”の生まれ変わりであることを抜きにしても、ユフィはアリオトの興味を奪った者として間違いなくその場で殺されてしまいます」
「…………………………」
つまりそれは、私の身を守るためにアリオトが我が身を人身御供にしたのも同然で…………
そう言えば――――――――
『やっぱり怖い?ユフィ。そりゃ、怖いよね。フィラウティアは誰よりも陰険で、狡猾で、しつこい性質だからね。ここに殺すべき“神の娘”の生まれ変わりがいるって知ったら、張り切って殺しにきちゃうね。でも、本当に大丈夫だから安心して。今のボクはかなり君を気に入っているから、おいそれとフィラウティアに差し出したりはしないよ。そう――――――君を闇に落とすのはこのボクであってフィラウティアではない。だからここでいい子で待っていて。すぐにフィラウティアを追い返して、ここに戻ってくるからさ』
アリオトもこんなことを言っていた。
あの時ですら不穏に思った言葉は、若干アリオトの熱から冷めた今、さらに不穏さを増したような気がするけれど、アリオトが私を守ろうとしてくれたことに変わりはない。
そう思えば、途端にアリオトに対して申し訳なさが募り、私は自然と俯いてしまう。
しかし、それを吹き払うようなさばさばとした声が頭上から降ってきた。
「ユフィが気に病む必要はどこにもありませんよ。そもそもこれはいつものことです。今回はそこにユフィという理由が加わっただけのこと。そして、私と彼の者の関係もまたフィラウティアをやり過ごすための屋敷提供から始まったのですから」
「えっ?」
思わず顔を上げた私に、苦笑とも困り顔とも取れる微妙な表情で、シロは肩を竦めてみせた。
それから執事然とした立ち姿を、若干寛いだものへと変え、ようやく本題となる肝心な話を始めた。
「――――――今から約千年前、大切な我々の主であるフィリアを失い、私ともう一匹の守護獣、炎狼はずっと貴女様の魂が再びこの世界に再生されるのを待っていました。そしてフィリアが亡くなってから三百年後、ようやくフィリアの魂が再生したのです。しかしその魂はこの世界に生まれ落ちた瞬間、フィリア自身の意志によって、すぐ死を選んだのです。おそらく、人の目には死産だったように映ったでしょう。けれど、私たちは痛いほどわかりました。フィリアはまだこの世界に絶望し、自ら命を終わらせたのだということが…………そして今から約四百年前、フィリアの魂は二度目の再生を果たしましたが、結果は一度目とまるで同じでした」
心痛を滲ませながら語られる内容に、私は無意識のうちに胸を押さえていた。
今現在、私の中にあるというフィリアの魂は、この世界に絶望はしていないのだろうか………………などと思いながら。
そんな私の仕草一つで、どこまでも敏いシロは小さく首を振った。
「今のフィリアの魂が、絶望しているかどうかはわかりません。しかし、今回の再生に際して、神はただ手をこまねいているだけではなかったようですね。だからこそ本来三百年という周期で生まれ変わっていたものが、今回に限り、四百年という間隔が空いたのでしょうから」
「神……様が?」
信じられないとばかりに口をすると、シロは曖昧な笑みを漏らす。
「フィリアを失った傷心で姿を晦ませた神ですけどね、それでも一応この世界を作った神ですから、それなりにこの世界を見守ってはいたはずですよ。それに神は、フィリアの魂の再生を心から願っていました……」
なのに、二度もフィリアはこの世界に絶望し、生きることを拒んだ。
確かに、三百年という月日を待って、ようやくというところで自らの意志で命を絶たれてしまうなんて、これほどショックなことはないだろう。
こんなことが二度も続けば、さすがに神様だって何かしらの手は打ちたくなるってものだ。
「そしてそれは私たちも同じでした。二度目の再生をフィリアが拒んだことを、私と炎狼は希望と絶望が瞬くに我が身を貫いたことで知りました。一度目と同じように……………見た目よりもどうやら繊細にできていたらしい炎狼は、哀しみのあまりそのまま引き籠ってしまいました。しかし私は逆に、じっとなどしていられなかった。フィリアがこの世界に絶望するなら、この世界を一から作り直してもいいとさえ思ったのです。たとえそれがこの世界の破壊を意味するとしても――――――――」
「シ……ロ………………」
声が震える。視界が涙の膜で滲む。
シロたちを苦しめたはフィリアの絶望。
何故フィリアがそこまでの絶望を抱え込んでしまったのかはわからないけれど、その絶望によってシロたちに更なる絶望を与え、心を打ち砕いてしまうほどに苦しめた。
けれどここで泣いては駄目だ。
憐れむのも、謝るのも違う。
そう思うのに、フィリアの魂ともう一度会うために、この世界の破壊まで考えたという健気すぎる守護獣に、どうしようもなく許しを乞いたくなってくる。
あなたたちをこんなにも苦しめてごめんなさい――――――――と。
しかしシロは泣き笑いのような顔で、どこまでも穏やかな口調で告げた。
「ユフィが気に病むことはありません。これはユフィが生まれる前の話です。そして今、貴女様はこうして私の前にいる。それだけですべてが報われた気持ちです」
それからシロはふっと哀しみの部分だけを振り払うように笑ってから、再び私に近づくと「あぁ……本当にユフィはあの方と同じで泣き虫なんですね」と、私の目元にハンカチーフをあてがった。
その拍子に瞳を溺れさせていた涙の溜まりが雫となって零れたけれど、シロのハンカチーフがそれを優しく受け止めてくれた。
そして、シロが紡ぐ。
「そう、これはユフィが生まれる前の過去の話。先程も申し上げましたようにユフィにとっては少々驚く内容かもしれませんが、ただただ私がフィリアに会いたくて、絶望で気が狂いそうで、でも結局何もできなかった四百年前からここに至るまでの、詮なき話です―――――――」
こんにちは。星澄です☆
たくさんの作品の中から、この作品にお目を留めていただきありがとうございます♪
あれれ?
おかしいですね。
何故かシロの話は次回に持ち越しになってますね。
ほんとすみません。
次回こそは冒頭からシロの話です。
どうか皆様にとってドキドキワクワクできるお話となりますように☆
恥ずかしながら誤字脱字は見つけ次第、すぐに修正いたします。
何卒ご容赦のほど………。:゜(;´∩`;)゜:。
どうぞよろしくお願いいたします☆
星澄




