挿話【Side:サスガス】頭痛しかない妹と、頭痛を呼ぶ少女(5)
いつもなら生徒会室で時間をずらして向かう食堂。
けれど今日は、生徒会室には向かわず、このまま直接食堂に行けば、会えると思った。
誰に?って、ユーフィリナ嬢にだ。
もちろんセイリオス殿やシェアト、そして守護獣殿も一緒だろうが、そこは仕方がない。
むしろ私が、飛び込み参加のようなものなのだから。
しかしこの日の放課後、銀の魔道具に受け渡しに付き合うというユーフィリナ嬢に、もう一度直接会って、シャウラのことをお願いしたいと思った。
そう、そこに、ただただ彼女に一目会いかったとか、私も一緒に彼女と昼食を食べたかったとか、そんな邪な気持ちはなかった………………とは否定しにくいが。
だが、今にして思えば、あれは虫の知らせだったのかもしれない。
この後に起こったとんでもない事態に対しての――――――――
『おや、まだセイリオス殿だけですか?』
学園の食堂で一人、純白のブレザー姿で腰かけているセイリオス殿に声をかける。
本来、我々学園生のブレザーの色はロイヤルブルーなため、その真っ白なブレザーは周りの目を惹き、周りに溶け込むこともなくやたらと浮いているのだが、本人はまったく気にならないらしい。
うん、その図太さはさすがだ――――――としか言いようがない。
しかも、セイリオス殿は同性の目から見ても、非常に美しい。仕草一つ一つに色気さえ漂うのはこれまたどういうことかと、常々思っている。
それゆえに、食堂がセイリオス殿を中心として色めき立っているのだが、ご本人様はこの状況にすっかり慣れてしまっているのか、まったくもって我関せずだ。
罪深いにもほどがある。
でもまぁ、セイリオス殿の認識は、“ユーフィリナ嬢”と“ユーフィリナ嬢以外”で綺麗に分類されており、“ユーフィリナ嬢以外”はもはや目にも映っていないのだから、仕方がない。
そんな目にも入っていない一人である私ではあるが、四大公爵家の子息及び、現能力者という共通点と、一応ユーフィリナ嬢をお守りする一人として物の数として入れてもらえているのか、眉間を寄せつつも私の声に反応した。
この眉間の皺が、私の声掛けに関してではないことを祈るばかりだが…………
『あぁ、いつになく遅くて心配しているところだった。しかし行き違いになるのも困ると思い、こうして動けなかったのだが、サルガス殿丁度いいところに来てくれた。ちょっとここで、私の代わりにユーフィリナを待っていてくれないか?』
どうやら眉間の皺はユーフィリナ嬢がまだ来ないことに対しての心配と苛立ちからで、私はむしろ歓迎されているらしい。
相変わらずのシスコンぶりに内心で苦笑しながらも、私は『構いませんよ』と頷いた。
だが、ここでシェアトが飛び込んでくる。
『今、ユーフィリナ嬢がイグニス殿と一緒に、シャウラ嬢を探しています!嫌な予感がしてなりません!とにかく我々もユーフィリナ嬢に合流してシャウラ嬢を探しましょう!』
『なっ………………』
シェアトの発した言葉の意味を咀嚼し、腑に落としてから、行動へ移すまでの時間。
私は情けなくもその場に凍り付いたが、セイリオス殿は一言も発することなく素早く立ち上がると、そのまま駆け出した。
その後を当然のように追うシェアト。だが、私の理解はまだ追いついてこない。それでも足は焦燥に駆られ、セイリオス殿とシェアトの背中を追いかける。
これは一体どういうことだ?
ロー殿と会うのは放課後だろう?
まさか、予定が早まったのか?
それとも、ロー殿とユーフィリナ嬢を会わせたくなくて………………
あの馬鹿ッ!
理解というより、それは兄として直感だった。
聞いた話によれば、シャウラはロー殿に好意を持っているらしい。そのロー殿に、同じ女性の目から見ても、無垢で愛らしく、透き通るように美しいユーフィリナ嬢を会わせたくなかったのだろう。
ロー殿の気持ちがユーフィリナ嬢へと傾くことを恐れたために。
そしてそれは二人のことが好きだからこそ尚更、余計な嫉妬心を抱きたくなかったんだと思う。
わからないわけではない。
いや、朴念仁の私が繊細な乙女心について語れるはずもないが、ユーフィリナ嬢と出会った今なら、シャウラの気持ちはなんとなくだがわかる。
それにだ。
シャウラは陛下がご覧になった“先見”について何も知らない。
銀の魔道具が危険な物かもしれないという認識さえない。
そんな中で、万が一にでもロー殿から受け取った銀の魔道具を使い、“先見”通りに命を落としてしまったら――――――――
『それは絶対に駄目だッ!』
廊下を駆けながら無意識のうちに、心の声がそのまま口を衝いて出た。
そしてようやく、状況に頭が追いついてくる。
『セイリオス殿!どちらに⁉』
迷う素振りを微塵も見せず、廊下をひた走っていくセイリオス殿の背中に問いかけてみれば、『特別教室だ!』という答えがすぐさま返ってきた。
やはりな…………と、最悪な事態を想定して動いていることを察する。
あの“先見”通りに……………
それにしても、食堂から特別教室までの道のりはなんとも遠い。
どれだけ近道をしようとも、廊下の端から端を駆け抜け、さらには中庭を横目に渡り廊下を突っ切った上に、特別教室がある三階まで階段を駆け上らなければならない。体力面での心配はないが、精神的摩耗が半端ない。
どうにもこうにも気持ちばかりが急いて、いつも以上に遠く感じてしまう。それでも最短コースを全速力で駆けているため、これ以上の時短はできない。それこそ転移魔法くらいしか。
しかも、痛いくらいの衆目監視。
そりゃそうだろう。廊下を走っているのは、東西南の公爵子息だ。さらに言えば、一人は純白のブレザー姿で明らかに学園内の廊下を走るには浮き過ぎているし、私といえば生真面目が制服を着て歩いていると揶揄されるほどの堅物な生徒会長。本来、注意すべき立場の私が脇目も振らず廊下を走っているのだから、誰だって二度見、三度見したくなるのは当然のことだ。
だが、この廊下を抜け、渡り廊下を突っ切れば、人の数は一気に減る。
頭の片隅でそんな計算をしながら、残り十メートルほどの廊下を駆け抜けようとした時、それは突如として起こった。
ドンッ!
大きな破壊音と、床の下から突き上げられたかのような衝撃。
地震のようにグラグラと揺れる棟。
そこかしこから上がる女子生徒たちの悲鳴。
駆けていた足は、踏ん張りを効かすべく一時的に止まる。そのまま咄嗟に窓の外を見やれば、特殊教室のある棟が見事に半壊していた。
我が目を疑うとはまさにこのことだ。
『これは……まさか…………』
『シャウラ嬢の魔力だな』
セイリオス殿の断言に、シェアトは真偽を確かめるように私の横顔を見つめてきた。
私はそれに応える余裕もなく、窓の向こうへと目を眇める。
目視でわかるほどに、その棟を囲い込むようにして巨大な竜巻のように渦巻く、極限まで膨れ上がった魔力。
私にはわかる。
あれはシャウラの魔力に外ならない。
しかし、この状況にすぐさま違和感を覚え、困惑する。
見えない壁でもあるのか、最初に受けた衝撃以降は、シャウラの狂乱する魔力による余波も、破壊された棟の一部も、我々がいる棟に掠るどころか届くこともない。
あれほどの凄まじさだというのに、どういうことだ…………
止まることなく巡る思考。が、そこから即座に導き出された答えは―――――――――
『結界が……張られているのか…………』
私の呟きに、セイリオス殿が軽い舌打ちとともに答えた。
『イグニスの結界だ。だが、これで確実となった。間違いなくユーフィリナも、シャウラ嬢も、あの棟の特別教室にいる』
『だったら、すぐに行きましょう!』
喰いつくようにシェアトがそう声をかけるが、セイリオス殿は首を横に振った。
『今の我々にはあの結界を突破する方法も、シャウラ嬢の魔力を鎮静化させる術もない。それにどうやらイグニスは魔力吸収を行っているらしい』
『魔力吸収って……まさかあれほどの魔力量をですか⁉』
思わずそう聞き返してしまったのは、誘拐事件の際に父から『我々の身体では到底持たない!』と言われたことがあるからだ。
だがそれは、愚問だったらしい。
『そうだ。我々人間では無理だが、イグニスは聖獣だ。ある程度の無茶はきく。ここはイグニスと…………ユーフィリナに任せるしかない』
微妙な間があったのは、セイリオス殿にとっても苦渋の決断だったからだろう。
しかし、だからといってここで指を咥えて眺めておくわけにもいかない。それどころか、突然の惨事にこちらの棟にいる者たちが一斉にパニックを起こし始めている。
窓から半壊した棟を呆然と見つめる者。
目視でもわかるほどの魔力が、いつ何時こちらに飛び火するかわからないと戦々恐々と逃げ出す者。
恐怖を孕んだ混乱は波紋のように広がっていくばかりだ。
その結果、次に苦渋の決断を強いられたのは私だった。
シャウラやユーフィリナ嬢のことを思えば、守護獣殿が張ったという結界を強引に破ってでも駆けつけたい。
だが、セイリオス殿でさえ破れないモノを私が破れるはずもない。
そして何より、現生徒会長という立場がどうしてもここで立ちはだかる。
『この状況は不味いですね。このパニックが広がれば、二次被害へと繋がる恐れがあります。今の我々にあの結界が破れないなら、私は一先ず生徒会長として、事態の収束と被害状況の確認をします。シェアト頼めるか?』
そう、ここでシェアトに声をかけたのは、もちろん彼が“言霊”の現能力者だからだ。
以前のシェアトなら、そこはかとなくパールグレーの瞳に戸惑いを滲ませていたが、今のシェアトには一切それがいない。
私の頼みに躊躇なく頷くと、シェアトはその圧倒的な強制力を宿す“言霊”を行使した。
『騒ぐな!直ちに沈まれ!』
こういうのを鶴の一声というのだろう。ある意味便利な能力だ。
私の“忘却”の能力より、ずっと使い勝手がよさそうに思える。ま、隣の芝はなんとやら…………かもしれないが。
しかしこれで、大きな混乱は防げたはずだと一つ息を吐く。あとは冷静に被害状況を確認して、適切な対応をしていけばいい。
頭では理解している。
そうすべきだとも思っている。
だがそれに心が納得しない。
どう足掻いても、結界が張られている以上、今の我々は渦中に飛び込んでいくことはできない。
それでも、どうにかしてシャウラたちのところへ行けないだろうかと、往生際悪く考えてしまう。
するとそんな私の葛藤を読んだかのように、セイリオス殿が口を開いた。
『今はイグニスの結界が何とか持っている状態だが、あの魔力の感じからすると、最後まで保たない可能性の方が高い。だったら、今の我々がすべきことは、皆をできるだけ安全な場所に避難させた上で、事態が急変した際の備えを万全にしておくことだ。だからまずは報告と状況の確認を兼ねて医務室へ行こうか』
『『医務室?』』
怪我人が運ばれているだろうから、状況確認はまぁわかるとして、医務室で報告とは一体誰にするのか。
シャムか?
やはりシャムなのか?
と、二人揃って疑問符を頭にくっつけたシェアトと私に、セイリオス殿は行けばわかるとばかりに微かに口角を上げると、医務室へ向かって走り出した。
結果から言って、報告の相手はシャムではなかった。
そこには当然シャムもいたが、人酔いしてしまったレグルス殿を医務室に運び込んだスハイル殿下と王弟専属護衛騎士のエルナト殿がいた。
シャムが発動させた魔法陣上のベッドで横になっているレグルス殿。
どうやら最初の衝撃の際に起こった学園中の混乱が、そのままレグルス殿に流れて込んでしまったらしい。
言わずもがな、北の公爵子息であるレグルス殿は、“読心”の現能力者だ。
普段の彼は人の心が勝手に聞こえてこないようにと、その能力を常に閉じている。
だが今回は、能力を閉じていたにもかかわらず、恐怖という強い感情がまるで防波堤を突破した津波のように、レグルス殿へと流れ込んでしまったらしい。
ちなみに、そんなレグルス殿の安静のためにも、今日の医務室担当である大学院生は、他の怪我人に対し、自ら出張する形で処置を行っているそうだ(体よく医務室から追い出されたと言えなくもないが)。
といっても、不幸中の幸いと言うべきか、今のところ、報告された怪我人は軽い打ち身と擦り傷程度。
本当によかったと胸を撫で下ろす。
そしてさすが御学友同士というべきか、セイリオス殿はこうなることを予め察していたらしい。
まったくもってこの人には敵わない。
しかし、スハイル殿下たちもまた、セイリオス殿がここに来ることがわかっていたようで………………
『やはり来たな。で、一体何が起こった?』
端的に寄越された確認に、セイリオス殿がこれまた簡潔に報告する。
『シャウラ嬢の魔力暴走だ。今、イグニスとユーフィリナが事態の収拾にあたっている』
『ユーフィリナ嬢が⁉』
『そうだ。おそらく陛下が“先見”でご覧になられた未来が今起こらんとしているのだろう。なら、そこにはユーフィリナがいるべきだ』
「……そう……だな……」
スハイル殿下は声を絞り出すようにそう答えながら、私にその視線を向けた。
『サルガス、大丈夫か?』
大丈夫か?と聞かれれば、正直その答えは“大丈夫ではない”となる。しかしそれを馬鹿正直に口にするほど、私の矜恃も安くはない。
『問題ございません。それより我が妹、シャウラが多大なるご迷惑をおかけし、大変申し訳ございません。本件が無事に片付きました折には、西の公爵家の者として、シャウラの兄として、私が一切の責任を負わさせていただきます』
その場に片膝をついて、深々と頭を下げる。
もちろんこの場限りの言葉ではない。本気で責任を負うつもりだ。ただ…………
無事に片付いたら――――――
そう口にしながらも、この時の私にはそんな未来などどこにも見えなかった。
ユーフィリナ嬢がシャウラの傍にいるなら、守護獣殿の時のように…………
そんな期待もないわけではない。しかし、この状況を楽観視できるほど、決して事態が軽いわけでもなければ、私自身、そこまで楽観主義でもない。
それでも、ユーフィリナ嬢と守護獣殿がシャウラの傍にいるという事実に一縷の望みをかけている自分も確かにいた。
だからこそ、無事に片付いたら…………などと口を衝いて出てしまったのだが、顔を上げなくとも、スハイル殿下が渋い顔をしているのがわかる。
どうやら責任を負うと言った私の言葉はお気に召さなかったらしい。
この方は、なんだかんだ言ってお優しいから………………と、内心で有難くも申し訳なく思う。
とはいえ、それに甘えていい立場ではない。
今回の件に誰かの思惑が働き、どんな裏があるのだとしても、その発端となったのはシャウラ自身の行動で間違いないからだ。
たとえそれが兄を思っての行動であろうとも、いや、私を思っての行動だからこそ、私が責任を負うべきだと思う。
しかし、その責任の所在について言葉を重ねるだけの心の余裕はどこにもなかった。心は急き、歯がゆい時間だけが私の前に横たわっている。
そのため、いつもの私なら絶対にしないが、スハイル殿下の言葉を待つ前に、私は次の行動へと移すべくさらに口を開く。
『現在、シェアトの“言霊”で生徒たちは落ち着きを取り戻しておりますが、セイリオス殿の話によると、イグニス殿の結界が最後まで持たない可能性があるとのことです。ですから、皆を安全な場所に避難誘導し、事態が急変した際の備えをしたいと考えております。どうか、私にそれを実行へ移すご命令を!』
報告をする義務があるとはいえど、とてもじゃないがじっとなんかしていられない。
結界の中に入れないのなら、せめて自分ができることをする。
これ以上、シャウラの魔力暴走の被害者を出さないためにだ。
今度こそ、あの時守れなかったシャウラを守るために……………………
しかし、そのためには王弟であるスハイル殿下の言葉が必要だった。
私はこの学園の生徒会長としてある程度の権限は有しているが、今回の件は学園内の出来事として片付けてしまうには事があまりに大きすぎた。
しかも、闇の存在が関わっている可能性すらあり、私の一存で安易に動けるものではない。
そこで私は、次こそは忠臣として頭を垂れ、片膝を付いたままで正しくスハイル殿下の言葉を待っていたのだが、私の頭上に降ってきたのは王弟専属護衛騎士であるエルナト殿の声だった。
『あれ?魔力が消えた?おや?結界も?』
エルナト殿がそう言い終わると同時に、いや、それよりも早く、セイリオス殿は医務室を飛び出していった。シェアトもまた『私も参ります』とスハイル殿下に最低限の敬意を払った後で、セイリオス殿を追いかける。もちろん私もそれに続きたい。が、スハイル殿下の言葉を待つ身としては、さすがにそれを放り出して駆け出すことはできず、ただただ無様に腰だけが私の気持ちを示すかのように浮き上がり、視線はセイリオス殿たちを追った。
私も一緒に……………………
完全に置いてきぼりを喰らった身体から、気持ちだけが飛び出し先行していく。そして浮いた腰を再び沈める気になど到底なれず、私は無礼を承知でスハイル殿下へとそのまま向き直った。
そんな私にスハイル殿下が命じる。
『行け!サルガス。生徒会長であるお前の代わりなら私でもできるが、シャウラ嬢の兄はお前しかいない!さっさと行って、妹君を助けてやれ!』
その言葉を引き金にして、私は短い返事とともに医務室を飛び出した。
“魔法準備室”にシャウラはいた。
それは、陛下の“先見”通りとしか思えない光景だった。
廃墟と言っても差し支えないほどに荒れ果てた教室。そこに意識なく横たわるシャウラ。
一瞬のうちに世界が絶望で色を失う。
だが、シャウラは生きていた。
そう――――――またもやユーフィリナ嬢は守護獣殿とともに奇跡を起こし、“先見”を覆してくれたのだ。
それを認識した瞬間、また世界が色を取り戻し、より一層鮮やかに光り出したのだから、私も至極単純な人間だと我ながら呆れそうになる。そして、溢れ出す感謝を言葉にしたいと思うのだが、これまた自分の語彙力のなさに途方に暮れる。
『ユーフィリナ嬢、守護獣殿、シャウラを守っていただきありがとうございました。後ほど改めてお礼を言わせていただくが、感謝してもしきれないという気持ちだけは、先に伝えさせていただきたい』
うん、最悪だ。後ほど改めてと言っている時点で、私の貧困な語彙力が露呈している。
なのに、どこまでも心優しきご令嬢であるユーフィリナ嬢は、百万分の一も感謝の気持ちを伝えきれていない私に対し、ふわりと微笑んだ。
『サルガス様の気持ちは十分にいただきましたわ。それに友が友を救うのは当然のことです。ですから、シャウラ様の友人としてお願いします。私も後程参りますが、どうかそれまでシャウラ様のことをよろしくお願いいたします』
友として当たり前のことをしただけだからと、さらりと告げてきたユーフィリナ嬢は、何故か私に向って頭を下げてきた。
貴方って人は……………………
また頭痛が酷くなる。彼女を見つめれば見つめるほどに、私の心は疼き、頭は酷く痛んでしまうのだ。
まるで失われた何かを取り戻したいと、必死に訴えかけてくるように。
そして、私は気づき始めていた。
私が自ら消した記憶の中にユーフィリナ嬢がいるのだと。
あぁ…………そうか。
私も貴方と出会っていたのか。
遠い日のどこかで君に―――――――――
幼く、浅はかだった私が、自分を罰するためにと手放した大切な記憶。
今はそれが悔やまれてならないが、それをそれとも知らずに再び見つけてしまったことに、愛しさが止めどなく溢れ、無性に息苦しくなる。
いや、私は彼女を何度忘れてしまったとしても、きっとまたこうして手に余る程のこの想いを、手にすることになるのだろう。
『本当に君って人は…………ありがとう。シャウラの友となってくれて。心から感謝する。君にお願いされた通り、シャウラのことは私が任されよう。そして言質を取るつもりはないが、落ち着いたらでいいから、シャウラのところへ来てやって欲しい。私も待ってる』
『えぇ、必ず参りますわ』
そう言って笑った彼女はやはり天使のように可憐で美しく、彼女は“神の娘”の生まれ変わりというより、女神そのものだな…………なんてことを、らしくもなく思う。
そんな私の気持ちは、ここにいる面々には筒抜けだったらしく(ユーフィリナ嬢以外)、セイリオス殿を筆頭に総動員で私の追い出しにかかる。
まったく大人げないにもほどがある。
もちろんその追い出し要員の中に、ユーフィリナ嬢も含まれていたが、彼女の場合はただただシャウラを思いやってのことなので、彼女の気持ちに応えるためにもその言葉に甘えて、私は魔法準備室を後にした。
この時の私の気持ちは今までになく晴れやかだった。
シャウラが生きている。
そして私の心にはまたユーフィリナ嬢がいる。
おそらく、何千、何万回とユーフィリナ嬢の記憶を消し去ったとしても、私はたった一度出会うだけでユーフィリナ嬢に再び恋をする。
それを実感し、心が認めた今、あれほど酷かった頭痛もすっかりと消えてしまった。
シャウラを助けてくれたという感謝の気持ちもある。
けれど、それ以上に私自身が彼女を求め、一緒に生きていきたいと強く望んでいる。
だから、今この瞬間から、私はユーフィリナ嬢のために生きよう。
この身も心も捧げて、如何なる脅威からもユーフィリナ嬢を守ろう。
まぁ、ユーフィリナ嬢には最強の守護者が二人も付いてはいるが(シスコンな実兄と過保護な守護獣殿)、それはそれだ。
そんな彼らよりもさらに強くなればいいだけの話なのだから。
ユーフィリナ嬢…………君を愛してる。
その言葉を心の水面に落としただけで、ゆっくりと浸透していき、私はどこまでも強くなれる気がした。
なのに、いつだって現実は残酷で――――――――――――――
再び医務室で行われたスハイル殿下への報告と、ロー殿への尋問。
ロー殿の疑いは晴れたが、新たに“からくり魔道具”なんてモノの存在が急浮上する。
さらにセイリオス殿はトゥレイス殿下と“魔の者”アリオトの関与をはっきりと明言した。
そして――――――――――――
突然、それを証明するかのように闇へと沈む医務室。いや、学園。
否応なし、私たちの身体もまた闇に沈み、魔力を根こそぎ吸い取られていく。
『クソッ……また……か……』
守護獣殿の舌打ち。
『これは……凄いな…………闇が……ここまでのもの……とは…………』
どこか遠くに聞こえるスハイル殿下の声。
『スハ…イル……感心して……いる……場合じゃないからね……にしても、これは……キツイ………………』
ようやく人酔いから復活したばかりのレグルス殿の声もかなり辛そうだ。
『……ユー……フィリナ嬢………』
『せめて…………ユーフィリナ嬢……とシャウラ……だけでも…………』
私はシェアトの声に同調しながらも、なんとか闇から這い上がろうとするがまったく力が入らない。
これが闇の力。
“魔の者”の力なのかと、そのおぞましさに全身が戦慄く。
『この闇は、この前のものよりずっと深くて厄介にゃ!セイリオス何とかするにゃ!』
シャウラのベッドにしがみつきながらシャムが必死に叫んでいるが、セイリオス殿だってどうにかできるくらいならとっくにしているだろう。
いや、どうやらセイリオス殿はこんな状況下でも冷静に分析していたらしい。
『なるほどな……あの……銀…の魔道具は……この闇を生み出すためのものか……』
その分析能力には舌を巻くしかないが、だがそれを讃えているだけの力も余裕も今の私にはすでにない。
沈んでいくだけの私たちの身体。
それとは逆に、常闇の海から浮上する二体の身体。
『これはこれは絶景だね。っと、その前にこれを言っておかなきゃね。ただいま、ユフィ。会いたかったよ』
『アリ…オ……ト………トゥ……レイ……ス殿下………………』
これが……“魔の者”なのか――――――――
と、私は闇に囚われながら目を見開く。
暗黒の海原に立つのは、従者らしい衣装を身に纏った人懐こそうな男と、学園の制服を着た、無表情というより、虚無だけとなったトゥレイス殿下。
どうやら隣にいる“魔の者”の影響を諸に受けてしまっているらしい。
そんなトゥレイス殿下とは対照的に、不敵な笑みを顔いっぱいに広げた“魔の者”は、闇の海原にずぷりと片腕を突き入れ、ユーフィリナ嬢の左腕を強引に引き上げた。
そして堂々と宣う。
『さぁ、迎えに来たよ。ボクの可愛い光のお姫様。その君には特別な印をあげよう。本当はボクからあげたかったんだけどね、どうやらこれを残せるのは人間同士だけみたいなんだ。だけど安心して、この者は今やボクの僕。僕のモノはボクのモノ。さぁ、トゥレイス、まずはお前に褒美として望みのモノをやろう』
『ま……さか………………』
『ユー…フィリナ嬢に……“真…紋”を……』
『よ……せ…………やめ……るんだ……』
『ユ……フィ……………………』
声を張り上げたつもりでも、それは気持ちだけで、発した声は泣きたくほどか細い。
彼女を守ると決めたのに………
誰よりも強くなると決めたのに………
私はまた誰も救えないのか―――――――
『おやおや、そんなに睨まないでくれるかな。さぁ、君たちには特等席で見せてあげよう。ユフィが闇に落ちる瞬間を』
そう、気安げに告げて“魔の者”が嗜虐的な笑みを湛える。そして、ユーフィリナ嬢の左手をトゥレイス殿下へ差し出した。
やめろやめろやめろ!
頼むからやめてくれ!
彼女の心を奪わないでくれ!
私からも…………
彼女自身からも……………………
私たちに見せつけるかのように行われる、まるで厳粛な儀式にも見える光景。
常闇の海原に片膝を付き、アリオトに促されるままに、トゥレイス殿下がユーフィリナ嬢の左手を掬い上げた。
トゥレイス殿下の琥珀色の瞳が、黄金色から甘くも危険な飴色へと変わる。
『愛している。ユーフィリナ嬢』
その言葉とともにユーフィリナ嬢の手の甲に落とされたトゥレイス殿下の口づけ。
そして、ユーフィリナ嬢の左手の甲に残された薔薇にも見える真っ赤な紋様。
それはたった今私たちの目の前でトゥレイス殿下の“真紋”が付けられたという何よりの証拠だった。
今や首まで闇に浸かってしまったが、それ以上の絶望が視界を埋めていた。
ユーフィリナ嬢を守れなかったという絶望が。
しかしその視界も、程なく闇の海に沈むことで完全に闇に閉ざされた。
時間の概念もなく、闇だけが支配する空間に閉じ込められ、思考が徐々に曖昧となり閉じていく。
もしかしたらこのまま私は死んでしまうのかもしれない……………………
微かに残った自我でそう思った瞬間、その声は不意に来た。
“皆さん、目を閉じていておいてくださいね”
脳内に響いた妙に呑気にも聞こえる声。
だがその声に従うように、私はぼんやりとした意識の中で目を閉じていた。というか、元より閉じていたので、開かなければいいだけの話だ。
一体何を……………………という疑問は、次の声の前に霧散する。
“邪なるすべての闇よ、消えろ!暁光!”
瞼の向こうが一気に白み始め、今度は目を閉じていても眩しすぎる光に目が開けられない。
一体なにが起こった?
いや、わかってる。闇が今、圧倒的な光に祓われたことは。
しかしそんなことができるのか?
いや、やってのけたのだから、できるのだろう。
突如として回り始めた思考。
だが、その答えを知りたくて目を開けたいにもかかわらず、あまりに眩しすぎてどうにも開けられない。
そんな私の耳に、飛び込んできたセイリオス殿の声。
「エルナト殿、絶妙なタイミングでのご帰還だったな」
「いやはや、お褒めに預かり光栄です」
そうだ。この声はエルナト殿の……………
うっすらと瞼を開き、目を光に馴染ませていく。
細くぼやけた視界を満たすのは白く輝く、光の世界。
そんな神々しささえ感じる光の中、スハイル殿下の専属護衛騎士であるエルナト殿は、青白い顔をしたロー殿を連れて、にこやかに立っていた。
こんにちは。星澄です☆
たくさんの作品の中から、この作品にお目を留めていただきありがとうございます♪
サルガス編でございます。
彼の生真面目な性格で真っ正直に語ってくれていますね。
でも一難去ってまた一難。
次回は少し希望が見えるかな〜
どうか皆様にとってドキドキワクワクできるお話となりますように☆
恥ずかしながら誤字脱字は見つけ次第、すぐに修正いたします。
何卒ご容赦のほど………。:゜(;´∩`;)゜:。
どうぞよろしくお願いいたします☆
星澄




