これは明らかにキャスティングミスです(5)
私の前世である“白井優里”の最期がどうだったかという記憶はない。
だけど、前世での愛読書であったファンタジー小説のお約束ともいえる展開をまんま辿っているならば、私はトラックかバイクあたりに跳ねられて、この異世界に転生したのだと思う。
いや、トラック転生やらバイク転生やらの場合は、異世界の誰かに生まれ変わるというより、本人そのものが異世界に召喚されるパターンが多いので、今回の私は違うのかもしれない。
普通に死んで、普通に転生した。
その場所が“魔法学園で恋と魔法とエトセトラ”という乙女ゲームの世界だっただけで。
しかしこれに関しても、転生ものではもはやお約束ともいえるパターンで、物珍しさの欠片もない。
ましてや悪役令嬢に転生とは、定番中の定番ではないかと、自分の転生先に物申したくなってくる。
もっと捻りはなかったのかと。
とはいえ、まさか自分の身にこんなことが起こるとは思ってもいなかったので、意識を飛ばすくらいには驚いた。なので、これが神様の仕組んだ大掛かりなビックリだとしたら間違いなく大成功だとも言える。
冗談を抜きにして、『ほんと勘弁してくださいよ!』と、文句を言いたくなるくらいには。
そして大概のパターンで言えば、この乙女ゲームをやり込んだアラサー女子が悪役令嬢として転生し、ゲームで得た知識と経験をフル稼働させながら断罪回避のためにあらゆる手段を講じていく――――――というのが、お決まりの流れなのだけれど、私はまだアラサーと呼ばれる年齢にはなっていなかったと思う。たぶん。
うら若き………と言うには、烏滸がましすぎるとしても、一人暮らしをしながら都内の大学に通い、就職活動をしていた二十二歳の現役女子大学生だったはずだ。
社会の荒波に揉まれる一歩手前の………………たぶん。
そして更に言うと、私はこの乙女ゲームをまったくもってやり込んでなどいない。
ほんのさわりをした程度だ。それもまるで神の啓示のように脳内で再生された声――――――あの声の主、“江野実加子”から強引に勧められる形で。
そう、実際にこの乙女ゲームにどハマリしていたのは私ではなく彼女――――――私の大学の友人………いや、何故か大学の食堂でいつも隣り合わせとなる顔見知り―――――――“江野実加子”だった。
つまり私は、大学の食堂で顔見知り程度の知人である“江野実加子”から、一方的に(←そう、ここ強調)乙女ゲームの内容を聞かされていたに過ぎない。
やれ“スハイル様の好感度がMAXになった”だの、“ユーフィリナが別ルートでもまた邪魔をしてきた”だの、尋ねもしないのにそれはもう呆れるほど詳細に。
もし彼女が、私の身に起こることを予め知っていて、だからこそあれだけ一生懸命に話してくれていたのだとしたら、本当に申し訳ないことをしたと今更ながらに思う。
もう少し静かにご飯を食べられないのかしら?なんてことを思わずに、なんならノートと教科書代わりとなる攻略本を持参し、『本日もご教授お願いします!』と、勤勉学生よろしく頭を下げた上で、もっと真剣に聞いていただろうのに…………と。
後悔先に立たず。覆水盆に返らず。すべては後の祭りだ。
けれどあの時の私は、自分のことで精一杯だった。
就職活動と卒業論文、そして目一杯に詰め込んだ掛け持ちのバイト。
毎日が目まぐるしく、それでいて達成感一つなく、ただただ一人で生きていくことに必死だった。
先程、社会の荒波に揉まれる一歩手前と称したけれど、実際の私はうぎゃーと生まれた時からすでに人生の荒波の中に、一人放り出されていたのだから―――――――
私は孤児だった。
親の顔は知らない。
何故なら、児童養護施設の前におくるみ一枚で捨てられていたためだ。
現在の日本で赤ん坊を捨て置けば、それはれっきとした犯罪行為。
だからその当時、警察が躍起となって私を捨てたと思われる親を探したそうだけれど、何の手掛かりも見つからなかった。
園長先生の言葉をそのまま借りるならば――――――
『施設内の防犯カメラにも何も映ってなくてね、優里はまるで世界から突然産み落とされたかのようにそこにいたのよ』
――――――ということらしい。
ようするに、私の出生はまったくもってわからないということで、私は園長先生の“水島”という名字をもらい、“水島優里”として施設で過ごした。
私が“白井優里”になったのは六歳の時。
養子縁組をしたためだ。
子宝にずっと恵まれなかった白井の養父母は私を施設から引き取り、愛情たっぷりに育ててくれた。
しかし、世の中はなんとも皮肉なもので、白井の養父母はあれほど望んでもできなかった子宝に恵まれたのだ。
私を引き取ってから四年後、私が十歳の時に。
もちろんその後も白井の養父母は、実の娘と私を分け隔てなく育ててくれた。歳の離れた妹も『お姉ちゃん、お姉ちゃん』と私を慕い、とても懐いてくれた。
けれど私には、児童養護施設にいた時から消しても消しても拭えないある感覚があった。
私はこの世界の異分子である――――――――――と。
漠然とした感覚。もしかしたら自分が捨てられた子供であるという被害妄想から生まれたものなのかもしれない。
それとも、園長先生の『世界から突然産み落とされた』という言葉がずっと胸に引っ掛かっていたのかもしれない。
理由は定かではないけれど、年々その感覚が強まっていくことだけは確かだった。
だから、高校卒業と同時に家を出て、就職するつもりでいた。
一日も早く自立したいというより、この世界の異分子である私はここに居場所を作ってはいけないと、そんな強迫観念にも似た強い衝動に駆られていたんだと思う。
しかし、白井の養父母の猛反対にあい、それでは……という双方が妥協する形で、東京の大学に奨学金で進学することになった。
東京の大学にしたのは、もちろん養父母の元を離れ一人暮らしをするためであり、奨学金は養父母からの援助をできるだけ少なくするためだった。
今思えば…………私の大学進学のためにと、せっせと入学資金を貯め続けてくれていた養父母の愛情に対して、後ろ足で砂をかけるような行為だったかもしれない。
でも、幼き頃からずっと付いて回る感覚にはどうしても抗うことなどできなかった。
実際、前世の私は若くして死んだ。
まるでこの世界の異分子だと弾かれるように。
まぁ、死んだ時の記憶がないので、あくまでもそう思われるというだけの話なのだけれど、結果として養父母の元を早めに離れておいてよかったと思う。
だから改めて“白井優里”であった自分の前世に対して思うことは、一人暮らしをしていたあのアパートはちゃんと引き払えたかな?とか、数えるほどしかなかった家財道具は処分してくれたかな?とか、集めたファンタジー小説は買取に出しても二束三文だろうな……とか、まさかアパートで腐乱死体になって発見とかじゃないよね?とか、その程度のことだ。
十分親不孝者であることに、かわりないけれど………………
しかし、それももう今更の話だ。
私の遺体が早期発見だろうと腐乱していようと、それこそ今の私にはどうしようもない。ちゃんと火葬さえしてくれていればそれでいい。
前世を思って、ここで四の五の言っていても、時は一秒たりとも過去へ戻ることはないのだから――――――
白井のお養父さん、お養母さん、先に旅立った不孝をお許しください。優里は転生先で立派に生きていきます!
その………若干言い難いことに、なんなら自分もまだ半信半疑ではありますが、どうやら私の転生先は、よりにもよって悪役令嬢らしいですけれど。
ということで、今はこの転生先――――――――乙女ゲーム“魔法学園で恋と魔法とエトセトラ”の世界について考える。いや、じっくりしっかりと今すぐにでも考えたいところではあるのだけど………………
私は目覚めたベッドの上で周りを見回すと、ひっそりとため息を吐いた。
残念ながらその時間は、もう少し先になりそうね……………と。
私が目覚めたのはつい先刻。
時間にして、約二時間ほど意識を失っていたらしい。
そのため窓の外には夜の帳が下り、部屋は煌々とした灯りが点されていた。
しかし驚いたのはそこに対してではない。
私のベッドを取り囲むようにして、執事のムルジムを筆頭に、侍女長のアダーラ、私の専属侍女であるミラとラナ、そして公爵家お抱えの医者と回復師と呪術師、その他諸々の面々が勢揃っていたからだ。
もしかして私、意識を失っていたんじゃなくて、軽く死んでた…………とか?
と、思わずそう尋ねたくなるくらいに。
まぁ、葬儀屋は来ていなかったので、ギリセーフかもしれないけれど。
しかし、ある者は大号泣し、ある者はさめざめと泣きながら天に祈りを捧げているという、お葬式さながらの悲壮感たっぷりの光景で、私はせっかく開けた目をもう一度閉じたくなった。というか、閉じた。
気まずさゆえの、ちょっとした現実逃避だ。
けれど、それほどまでに心配させてしまったと思えば、忽ち申し訳なさが込み上げてくる。
ちなみに今の私は、“白井優里”としての意識と“ユーフィリナ”としての意識が、水と油のように綺麗に分離している状態ではない。
私の意識は完全に“ユーフィリナ”であり、“ユーフィリナ”の記憶と前世の“白井優里”の記憶が脳内で仲良く同居している――――――といった具合で、いい感じに馴染み合っている。
どうやら、意識を失う前の“悪役令嬢は明らかにキャスティングミスだ”という見解の一致が中和剤となり、“白井優里”と“ユーフィリナ”の意識を同一化させたらしい。
ま、私の勝手な憶測だけど。
そのため、已む無く目を開き直し、私のベッドを取り囲む面々を目覚めたばかりのぼんやりとした頭で見ても、「あなたたちは誰⁉」と、パニックに陥ることもなかった。むしろ、自分の傍にいる医者たちが公爵家のお抱えの者たちとわかり、安堵の息を吐いたくらいだ。
あぁよかったわ。お兄様に拉致られた王家お抱えの者たちではなくて。
どうやら由緒正しき公爵家から誘拐犯を出さずに済んだみたいね。
――――――――と。
しかし、そう思ったのも束の間、すぐさまあることに気づく。
その要注意人物(傍迷惑な危険人物ともいう)、超絶シスコンのお兄様がここにいないことに。
念のために、誰かの後ろに立っているのではないかと、淡い期待を持ちながらベッドの中から探してみたけれど、お兄様らしき人はどこにもいなかった。
そもそもお兄様は背が高いため、誰かの後ろに立っていようとも直ぐにわかる。
ううん、身長だけではない。
その圧倒的な存在感と、全身から溢れ出すオーラは、たとえこの部屋のどこに潜んでいようと隠しきれやしないのだ。
とどのつまり―――――――
うん、いないわね。
間違いなく、いないわね。
誰かに確認するまでもなく、いないわね。
あぁ、できればここに居てほしかったのだけれど、淡い期待は所詮泡沫ってことよね………
目覚めたばかりだというのに、襲い来る絶望感。
もちろん清々しい朝の光やら、希望の光やらを期待して目覚めたわけではない。
それでも、この目覚め方はあんまりだと思う。
やはりここは、もう一度目を瞑ってしまおうかしら。
でも、自力で一瞬のうちに意識を飛ばすのは至難の業よね…………
――――――などと、我ながらなんとも往生際が悪い、現実逃避への願望が脳裏を掠めていくとともに、脳内で緊急を告げるアラームが盛大に鳴り始めた。