ヒロイン探しは続行します(10)
腐女子――――――――
それは、男性同士の同性愛を扱った、ボーイズラブ(BL)などの創作物を好む女性を指す。
といってもこの言葉は、前世での言葉だ。
この異世界で通用するかどうかもわからない。
しかし、このシャウラは間違いなく腐女子様だと私は結論づけた。
というか、怒涛の如く展開される台詞からいって、そうとしか思えなかった。
正確に言うならば、“沼”への勧誘…………もしくは“沼”への突き落としというべき台詞からも…………
「セイスハはやっぱり王道中の王道ですわ。それにやはりセイリオス様は誰とカップリングさせたとしてもやはり“攻”になってしまいますの。皆様次々に作品を書いては持ってきてくださるのだけれどね。その逆で、スハイル殿下は誰とカップリングさせたとしても“受”が多いですわ。けれど最近はセイシェアも人気急上昇なんですのよ。あとはレグスハとかサルシェアとか………」
うん、私はこの状況によく似たモノを知っている。
前世での“江野実加子”状態だ。求めてもいない乙女ゲームの話を、大学の食堂で延々聞かされ続けていたあの状態。
今に思えば、もう少し真剣に聞いておけばよかったと、後悔しかないのだけれど。
しかし、今世でもまさかこのような状況に陥ることになるとは夢にも思わなかった。それも今度は“沼”だ。
もちろん、その手のことに偏見はない。前世ではファンタジー小説を読み漁っていたし、私の周りにも“沼”にずっぽりとハマっている人達はいた。それに、お兄様たちの容姿を思えば、そりゃ創作意欲も想像力も駆り立てられるだろうと思う。
しかも、それをせっせと書いてシャウラに持ってくる人達がいるのだと言うのだから、ただただ驚きだ。
前世で言うところの同人誌サークルがしっかりと出来上がっている。というより、むしろ――――――――
「随分作品も集まってきましたし、そろそろ西の公爵家の威信にかけて売り出していこうかと思っておりますの」
いやいやいや、そんなもの…………いえ、少々マニアックすぎるものに西の公爵家の威信をかけてしまうのは非常にまずいのではないでしょうか?それどころか西の公爵家の威信が地に落ちる可能性も…………と、思いつつ私は確信する。
シャウラこそ、腐女子様方を取り仕切る総元締め様だぁぁぁぁぁぁぁ――――――――と。
けれど、疑問はある。どうしてシャウラがそんなことをいきなりカミングアウトしてきたのかということだ。
今や私の隣にしっかりと腰をかけ直したシャウラから、予想外のトンデモ話を呆け顔で聞きつつ、私はふとそんなことを思う。
所謂、ガールズトークの定番である恋バナからのこの展開。
脈絡は一見あるようで、正直言えばまるでない。もちろん、私から振ったわけでもない。
いや、ほぼ初対面のこれから友達になろうかという相手に、そのような話を振る人間もまずいないだろう。
なのに、このカミングアウト。あまりにいきなりすぎて、耳も頭も心もついていけていない。
う~ん…………この話には、どういった意味があるのかしら?やっぱり、“沼”への突き落としなのかしら?それとも、もっと深い理由が………………
そんな私の心の声が聞こえたわけではないだろうけれど、シャウラの口がようやく止まった。といっても、自分の推しやら、お薦めの推しやらについて、散々語り尽した後だったけれど。
それからシャウラは、やや前のめり気味だった身体を起こし、スッと居住まいを正すと、麗しき微笑みを添えて告げてきた。
「これで、私の秘密を一つ暴露しましたわ。それも一番恥ずかしい秘密をです。これでユーフィリナ様は私の秘密を知る友ですわ。ですから、ユーフィリナ様も気兼ねなく何でも私に話してくださいませね。もちろん、無理強いは致しませんから、ご安心ください。それに、こういったお話はお兄様にはできませんし、ユーフィリナ様なら偏見なく聞いてくださるに違いないと、今朝お会いした時に直感しましたの。もしかしてご迷惑だったかしら?」
なんてことを言いながら上目遣いで見つめてくるシャウラ。その瞳にたじろぎつつも私は悟る。
異性でなくても、美しい女性の上目遣いはとても効果的なのだと。
今回に限っては、庇護欲というより、むしろ圧倒的な強制力を感じ、私は慌てて言葉を返した。
「そんな……そんなことはありませんわ。驚きはしましたが……その……とても嬉しいです」
もちろん、すべてを話せるわけではない。私のカミングアウトは趣味程度の話では終わらないからだ。
しかし、嬉しかったのも本当のこと。
だからその気持ちを、シャウラの言葉に甘える形で示すことにする。
ニコニコと私を見つめてくるシャウラに、私は意を決してもう一度口を開いた。
「で、では……その……シャウラ様に教えていただきたいことがあるのですが…………」
「まぁ、何かしら?あんな堅そうな顔をしていて、実はお兄様の大好物が甘い物全般ってことかしら?それとも生真面目そうに見えて、実は朝が酷く弱いってことかしら?それともとっつきにくそうに見えて、実は大の子供好きってことかしら?それとも…………」
「い、いえ……サルガス様のことではなくて…………」
私は遮る形でシャウラの口を止める。とういうか、何故ここでサルガス様の暴露話となっているのかがわからない。しかしシャウラは、その美しさを損なうことなく唇を尖らせた。
「えぇ~違いますの?それはとても残念ですわ」
「残念?」
きょとんと首を傾げた私に、今度は突然「きゃあぁぁぁぁぁ!その顔は反則ですわ!」と、シャウラがまたぎゅうぎゅうに抱きついてくる。
もうさっぱり意味がわからない。
「あ、あの…………」
「私のことは気にせず、お話になって」
いやいや、この状況は非常に気になります…………とは思いつつも、私はシャウラを張り付けたままで、ようやく肝心の言葉を口にした。
「実は私、人探しをしておりまして、シャウラ様がご存知であれば教えていただきたいと…………」
その言葉に、今度はすばやく私から離れたシャウラは、私の顔を覗き込むようにして興味津々とばかりの目を輝かせた。そして、怒涛の質問攻撃が始まる。
「どんな方?もしかしてユーフィリナ様も一目惚れ?それとも、魂が呼び合う運命のあの方のことかしら?いえ、あの方と出会われたのなら、一瞬でおわかりになりますわよね。だって運命の相手ですもの……………って、あら?だとしたら本当に一目惚れ?そうよね。運命の悪戯はあるものね…………ちょっとした遠回りは、人生に付きものよ。それで、ユーフィリナ様がお探しの方の髪と瞳の色は?うちのお兄様よりも背か高いのかしら?顔立ちは整ってらっしゃるの?妹贔屓ではあるけれど、うちのお兄様もなかなか精悍な顔をしていると思うのだけれど。それに世間では堅物で通っているけれど、案外過保護で優しいんですのよ。それに、セイリオス様には劣るかもしれませんが、魔力量も多いですし何より万能型ですわ。それでも、そのお探しになられている方のほうが魅力的なのかしら?ちなみにおいくつの方?私的には二、三歳くらい年上の方が丁度いいと思いますのよ。その点お兄様ならピッタリですわ。そういえば、その方は学園の方なの?爵位はお持ち?あぁ、そこについてもお兄様は問題ないわね。なんといっても生徒会長ですし。ふふふ…………」
えっと………どうして所々でサルガス様が登場するのかしら?
もしかしてシャウラはブラコン?あぁ、だから兄自慢をしたくて堪らないのね。
なら、ここは私も一緒になって兄自慢をするべきなのかしら…………もちろん、私にとってお兄様は自慢すべき兄であることは間違いないのだけれど、正直にお話しすればそのシスコンぶりに逆に引かれてしまいそうだわ――――――って、今はそうではなくて!
私は咄嗟に我に返ると、「私が探しているは、ご令嬢で…………」と、シャウラの猛口撃の合間に繰り出される兄自慢へ割り込むようにして告げた。
すると、シャウラの口がピタリと止まる。
それからパチパチと大きなヘーゼルの瞳を瞬かせると、「お探しなのはご令嬢ですの?」と聞いてきた。
私はコクコクと全力で首を縦に振る。
当然だ。私が探しているのはこの世界のヒロインなのだから。
しかし何故かシャウラはガックリと項垂れた。そしてぶつぶつと呟く。
「ご令嬢をお探しだったなんて………私はてっきり……………って、まさかユーフィリナ様はそっち系の方?」
シャウラは伏せていた視線を私へ向けると、祈るように胸の前で手を組み、キラキラと目を輝かせた。
今度は一体何なのかしら?と、シャウラの言葉を反芻するように問い直す。
「そっち……系?」
しかし、その答えはシャウラの答えを聞く前に降臨した。
そうだわ、シャウラは腐女子様だった!
つまりシャウラの言う“そっち系”って…………
「ち、ち、違います‼違います‼私は純粋にただあるご令嬢を探しているだけで!」
「あら、残念……ではなくて、純粋にというと、単なる人探し?」
「そうです!」
私がそう断言すると、シャウラは暫し私を見つめてから再び居住まいを正し、丁重に告げてくる。
「それでは、改めてお伺いいたしましょうか」
そして、艶やかに色付く唇で綺麗な弧を描き、ふわりと微笑んだ。
ゴーン……と歓談室に設けられた魔導式振り子時計が十六時丁度を知らせる。
歓談室にシャウラと閉じこもってから、かれこれ四十分近く経っていたらしい。
その音を耳に捉えながら、私はシャウラの口が開くのを待っていた。しかし、その口が開くよりも前に、シャウラの形のいい眉がハの字に下がったことで、シャウラにも心当たりがないことを知る。
「ごめんなさい。私にもそのご令嬢の心当たりはないですわ。その……世界中の名立たる男性を虜にしてしまうほどに、ただただ愛らしくて、傍にいるだけで癒されて、白金の髪に空色の瞳で、癒し魔法に特化した魔力を持つご令嬢でしょう?髪と瞳の色、さらに癒し魔法に特化という点を除けば、今私の目の前にいらっしゃる方となるのですけれど………………」
「まぁ……シャウラ様は人をおだてるのがとてもお上手なのね。うっかり本気にしてしまうところでしたわ」
そう答えて、私はクスクスと笑う。
社交辞令を鵜呑みにするほど、私もそこまでおめでたくはない。
以前、もしかして私って美少女?――――――なんてことを、危うく思ってしまったことはあるけれど、今はちゃんと自分が地味顔であることを認識している。
もちろん、見目が悪いということではない。どちらかというと整った顔はしていると思う。
けれど、シャウラのような華やかさもなければ、個人が持つカラーと言うべきものも私にはない。だからこそ、私の隠密スキルが免許皆伝ものになってしまっているのだけれど、まぁそれは利点として受け止める。
しかし、シャウラの方は私の言葉を奇怪なものとして受けて止めたようで………………
「も、もしかして、その様子だと謙遜とかではなく、ユーフィリナ様は本当にご自覚がない?」
「はい?自覚ですか?あの……えっと………………」
内心、何の自覚だろうと必死に考える。
“神の娘”の生まれ変わりとしての自覚なら、まったくない。
自分の見目についてなのだとしたら、地味顔という自覚はある。
けれど、私がそれについて答える前に、シャウラは額に手を当てながら天を仰いでしまった。
「なんたることでしょう?ご自分のことをまったく理解されていないだなんて…………これはある意味罪ですわ。人類としての罪。しかしそれもまたユーフィリナ様の魅力。だからこそこのように、自分の色にユーフィリナ様を染めたくなってしまうのですね。特に殿方は…………」
「ま、まさか…………」
「あら、女性である私がそう思ってしまうのですもの。世の男性からしたら、それはもう自分色の染め上げて征服したくもなるでしょう。それも、ユーフィリナ様はこの世界を照らす聖なる光でもあるのですから」
そう言いながら、ふふふと笑うシャウラに、今度は私がへにょりと眉を下げた。そしてようやく先程の答えを口にする。
「シャウラ様、申し訳ございません。私はこの度、国王陛下から“神の娘”の生まれ変わりとして認定を受けてしまいましたが、その自覚は少しもないのです。本当にそのことが心苦しくて…………だから、自分が納得できるまで“神の娘”の生まれ変わりである女性を探そうと決めて、シャウラ様に心当たりがないかと尋ねた次第なのです。もちろん守護獣であるアカも、この事は納得してくれています。むしろ、協力さえ買って出てくれました。そしていつか、千年もの間待ち続けてきたアカに会わせてあげたいのです。本当の生まれ変わりである彼女に。もちろんそれは、ようやく自覚できた私になるかもしれませんし、他のご令嬢になるかもしれません。でも今は、身に覚えのないことをただ鵜呑みにして流されてしまうのは嫌なのです。ですから、シャウラ様のご期待を裏切って申し訳ないのですが、私にはその自覚がない以上、自分が“神の娘”の生まれ変わりだと認めることはできません。せっかく友人となってくださったのに、がっかりさせてしまって申し訳ございません」
隣に座るシャウラへ向かって、私は深く頭を下げた。
私が探しているのはこの世界のヒロインだけれど、同時に“神の娘”の生まれ変わりを探していることも事実のため、ここは“神の娘”の生まれ変わりの一本槍で押し通す。しかし、その事がかえってシャウラの顰蹙を買う恐れがあることは、十分にわかっていた。
だからこそ謝罪の言葉を口にし、私は頭を垂れたまま、その審判を待つような気持ちとなる。
もしかしたら、自分を、周りの人たちを、国王陛下を騙したのかという非難の声が降ってくることも覚悟の上で。
しかし私の頭上に降ってきたものは――――――――――
「…………ふっ……ふふふふ…………や、やだ……ユーフィリナ様ったら………ふふふふふふふ……あはははははは……………」
シャウラ様の笑い声だった。それもどちらかというと大笑い的な感じの。
いやいや、今笑えるポイントなんてありましたっけ?と思いつつ顔を上げれば、すっかり涙目となったシャウラがそにいた。
そしてその涙を細い指先で拭い取りながら、「突然笑ってしまって、ごめんなさい。でも、ユーフィリナ様らしくていいと思いますわ。普通なら、たとえ自分が偽物であろうとも、本物ですと主張するところですのに…………」と告げてくる。
そうよね……中にはそんな方もいらっしゃるかもしれないわね。
などと、目から鱗の心境となりながらも、「いえ……それはさすがに…………」と、私は困り顔のままで答える。すると、シャウラは大輪の花が咲き綻ぶような微笑みを湛えた。
「うふふふ。だからユーフィリナ様らしくていいのですよ。そのような方とお友達になれて嬉しいわ」
「わ、私もシャウラ様とお友達となれて嬉しいです。サルガス様にも感謝しないといけませんね」
ソファに手を付き、隣に座るシャウラに向かって私が前のめりになると、「まぁ、本当に愛らしいこと。確かに、この出会いを下さったお兄様に感謝しませんとね」と、シャウラは鈴を転がすようにコロコロと笑った。
それからすぐさま、その笑いの余韻ごと綺麗に引き取り、何事もなかったように話を続ける。
「しかし、ユーフィリナ様のお気持ちは当然のことだと思いますわ。いくら魂が“神の娘”のものにしたって、前世の話ですもの。身に覚えがなくて当然ですわ。それで自覚しろと言うほうが無理な話です」
「シャウラ様…………………」
「それに、私には身に覚えのないことを認められないユーフィリナ様のお気持ちが、痛いほどわかるのです」
「えっ…………」
大きく目を瞠った私とは対照的に、シャウラの目が苦笑で細まった。そして衝撃的なことを口にする。
「私には七歳から以前の記憶がまったくありません。お兄様が“忘却”の能力を顕現させた折に、私と母の記憶を消してしまったのです。もちろんわざとではありませんわ。能力の暴走による不可抗力によってです。そのため私は、七歳以前のお兄様と遊んだ記憶も、両親と過ごした記憶も持っておりません。言うなれば、白紙です。だから身に覚えのない話をされても困るという気持ちは、本当にわかるのです。あぁ…………ユーフィリナ様、そんな顔をなさらないで。これは私の暴露話の一つであって、他意はありません。強いて言うなら、ユーフィリナ様の、自分は“神の娘”の生まれ変わりだという自覚はないから、それらしき女性を探すという暴露話の返礼といったところでしょうか…………」
「で、でも………………」
返す言葉も未だ見つかってはいなくせに、咄嗟にそう口にした瞬間、私はある記憶を思い出した。というより、また彼女の声が脳内を巡り始めた。
そう、前世の知人であり、この乙女ゲームにどっぷりとハマっていた“江野実加子”の声が――――――――――
“サルガス様はね、“忘却”の能力が顕現した時の暴走で、偶々近くにいた彼の母親と妹の記憶を消してしまうの。そのことが原因で、母親は心を病んで引き籠りとなり、妹のシャウラは暫くの間、口も利けなくなるのよ。まぁ、妹の方は一時のことですぐにサルガス様に明るく接してくれるようになったみたいだけどね。でも、サルガス様は自分を許せなかった。可愛い妹から母親の愛情を奪ってしまったことに対してね。だから、自分が一番大事にしている記憶を消してしまうのよ。そのせいで、サルガス様の心にはいつもどこか大きな穴があってね、それをヒロイン――――――つまり、私ね…………が、埋めてあげるのよ。もちろん悪役令嬢、ユーフィリナの横恋慕もあったりして、結構大変なルートだったんだけどね。けれど、それを超えて二人は深く深く想いを重ね合わせるの。そして、『君が、私の心の穴をすべて埋めてくれた。だからこの心は君のものだ。愛しているよ』そう言って、サルガス様が私を抱きしめて涙を流すシーン…………最高だったわ。ねえ、ちょっと聞いてる?”
………………なるほど、そういうことなのね。
だから……………………
私は見つからずじまいの言葉の代わりに、そのままシャウラに抱きついた。これこそ散々抱きつかれたこれまでの返礼だ。
そしてゆっくりとシャウラの背中を擦る。
「あ、あの……ユーフィリナ様?」
シャウラの驚きを含んだ声が耳を擽った。その声に、同時に込み上げてくる涙をこらえながら、馬鹿の一つ覚えのように同じ台詞を口にする。
「シャウラ様とお友達になれて本当に嬉しいです。これからシャウラ様とたくさん楽しい思い出を作っていけるのですから。ふふふ、やはりサルガス様には感謝しないといけませんね」
「ユーフィリナ……様…………」
「だからお願いです。その楽しい思い出の一部として、私の人探しの相談にのってはもらえませんか?こういったお話は、王弟であるスハイル殿下の御学友であるお兄様にはできませんし、シャウラ様なら偏見なく聞いてくださるに違いないと、今朝お会いした時に直感しましたの。もしかしてご迷惑だったかしら?」
つい先程、シャウラが口にした言葉をそのまま添えて、私はもう一度シャウラをぎゅっと抱きしめた。
“忘却”で消された記憶は二度と戻らないと聞く。
だから、もうシャウラは七歳より前の記憶を取り戻すことはない。つまりシャウラにとって失った記憶は身の覚えのない過去なのだ。
こんなことがあったと話されたとしても、記憶がない以上、そうだとは言えない。
しかしシャウラは心を病んでしまった母親とは違い、前を向いて生きている。
それが私には、強くも美しく見えた。
と同時に、酷く健気にも――――――――
「ふふふ……もう、本当にどれだけ愛らしい方なのでしょう。もちろん構いませんわ。その人探し、お手伝いさせていただきます。おそらく、自分の尻尾を必死に追いかけている愛らしい仔犬を、非常に楽しく拝見している――――――そのような感じになるとは思いますが」
「えっ?尻尾?……仔犬?」
アカのことを言っているのかしら?でもアカは炎狼だし…………
そんなことを思っていると、シャウラは私の腕の中で身体を震わせながらコロコロと笑い、それから私の身体を抱きしめ返してきた。
「駄目ね。私のほうがすっかり絆されてしまっているわ。ねぇ、ユーフィリナ様……私からもお願いがありますの。聞いてくださる?」
「も、もちろんです」
「先程も申しましたように、私には七歳以前の記憶がございません。私としてはそのことに対して、既に仕方がない事として割り切ってしまっているのですが、お兄様はそうではないのです。もちろん、“忘却”で消えた記憶が戻ることはないとわかってはいるのですが、この度、お兄様から国王陛下の“先見”が覆った話をお聞きして、お兄様の“忘却”も覆るかもしれないと思ったのです。もしも、そのような方法があるのだとしたら、お母様の記憶も、私の記憶も取り戻して、お兄様の罪悪感を消して差し上げることができるかもしれないと…………実を申しますと、お兄様には内緒で、“忘却”で失われた記憶を取り戻す方法はないかと、ずっと探してまいりましたの。そこで毎日のように図書室に通っている内に、思わぬ趣味嗜好をお持ちの方々とお知り合いになって、私の視野がとても広がったといいますか、自分でも驚きの未知の扉を開けてしまったといいますか……」
あぁ、“沼”に嵌ってしまったんだわ………と、正しく私の中で言い換える。
「うふふ……まぁ、そのことはさておき…………ユーフィリナ様、お願いです。私と一緒に、記憶を取り戻す方法を探していただけないでしょうか。ユーフィリナ様の人探し同様、難しいことは重々承知しております。しかし、可能性はゼロではないと、“先見”のお話を聞いて確信いたしました。それに、たとえその方法が見つからずとも、もしユーフィリナ様の探し人が見つかれば、その方の能力か何かで取り戻してくださるかもしれないでしょう?駄目かしら?」
「だ、駄目なわけありません!私にも協力させてください!これはお友達として絶対です!」
私もシャウラの腕の中で何度も何度も首を横に振り、駄目ではないことを告げた。
そう、“忘却”の能力で消された記憶は戻らない――――――――それが通説だ。
しかし、“先見”が覆ったように“忘却”もまた覆るかもしれない。
アカの時のように、決して最後まで諦めなければ。
そして、何より――――――――
「シャウラ様……嬉しいです。私は今まで人にお願いしたことはあっても、このように頼みごとをされたことはないのです。だから、とても嬉しい…………本当のお友達となれたようで嬉しいのです」
「まぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~~~ッ‼なんてなんて奥ゆかしくて、健気で、可愛らしいのでしょう。もう限界です!このまま美味しく食べることにいたします!」
「えっ?食べ………………きゃあぁぁぁぁぁッ!」
そのままソファに押し倒される私。
ほぼ同時に、バンッ!と開け放たれる歓談室のドア。
「ユーフィリナ‼大丈夫か!?」
「ユフィ‼何があった⁉」
「ユーフィリナ嬢‼お怪我は……」
「ユーフィリナ………シャウラ!お前は何をやっているのだ!」
私の悲鳴を聞いて、ノックすらもすっ飛ばして駆け込んできたお兄様たち。
もちろん、アカもシェアトもいる。
生徒会の仕事で遅れると言っていたサルガス様もしっかりと合流を果たしており、どうやら「そろそろ時間だぞ」と告げに来たところでの私の悲鳴だったらしい。
そしてもちろん最後の台詞はサルガス様のもので、シャウラは私を押し倒したまま顔を上げると、突然入ってきたお兄様たちの無作法を責める口調となった。
「いきなり入ってきてなんですの?もちろん、ユーフィリナ様があまりにも愛らしくて純粋でいじらしいものですから、このまま私が食べてしまおうとしておりましたのよ」
「お、お、お、お前なんてことを……っていうか、ユーフィリナ嬢を食べるんじゃない!」
そう叫び返したサルガス様と、無言のままのお兄様がつかつかと私たちへ近寄ると、サルガス様はシャウラ様を私から引き剥がし、お兄様はソファに倒れていた私の身体を丁重に抱き起すと、回収完了とでもいうようにそのままソファに腰かけながら私を腕の中におさめてしまった。
しかもぶつぶつと呟きながら………………
「まさか……女性相手にまで、目を光らせておかなければならないとは……まったく油断も隙もあったものではないな………」
「お、お兄様?」
「いいから、ユフィはここにいなさい」
さらにぎゅうぎゅうと抱き込んでくるお兄様に、私の鼓動と熱は高まる一方で困り果ててしまう。
そこへ、アカとシェアトが近づいてきて、今すぐ私を離すようにお兄様を説得してくれているようだけれど、どうやらお兄様に聞く気はないらしい。
そんな私たちの前では、サルガス様とシャウラ様の微笑ましい兄妹のやり取りが続いており――――――――
「一体お前は何をしているのだ!」
「何って、お友達としてユーフィリナ様を食べてしまおうかと……」
「お前は友達を食べるのか!」
「もちろん、普段ならそんなことはいたしませんわ。でもユーフィリナ様があんまり愛らしくて……つい……うふふ……」
「愛らしいからといって、つい食べようとするんじゃない!」
「あらあら、私がお兄様より先に味見しようとしたからってなんて狭量なこと。殿方の僻みほど醜いものはありませんことよ、お兄様」
「シャ、シャ、シャウラ――――――ッ‼」
普段は、生真面目が制服を着ていると揶揄されるほどに堅物なサルガス様も、シャウラ様の前では形無しのようで、私は今の自分の状況も忘れクスクスと笑ってしまう。
そしてそんな二人を見つめながら一層、サルガス様のために記憶を取り戻したいというシャウラ様の気持ちに、全力で応えてあげたいと思った。
腐女子様だけれど、とても兄想いの優しい私のお友達のために、もしもまかり間違ってこの私が“神の娘”の生まれ変わりであるのならば尚更そうすべきだと。
しかし――――――――――――
そんなシャウラの想いが、後にこの学園を巻き込む大惨事に繋がるとは、この時の私は夢にも思っていなかった。
こんにちは。星澄です☆
たくさんの作品の中から、この作品にお目を留めていただきありがとうございます♪
シャウラ様の暴走が止まらない今回のお話。
でもシャウラ様、とてもいい人です♪
相変わらず長いお話となっていますが、皆様にとってドキドキワクワクできるお話となりますように☆
恥ずかしながら誤字脱字は見つけ次第、すぐに修正いたします。
何卒ご容赦のほど………。:゜(;´∩`;)゜:。
星澄




